03.結婚詐欺師の男の魂 -須藤 充-

第17話  「今日はシャケを焼いてきたよ!」


「どういうことよ、どういうことなのよ!?」

『だからぁ、ごめんって』

「じゃあ、お金は? お金はどうなるの!?」

『おいおい、あれはボクの支援をしてくれるってことで|お金だろ? 借りたわけじゃないから、返す義務なんかないじゃないか。借用書だって書いてないんだし?』



 女性は、自宅マンションの一室で携帯電話を耳に当てて腹の底から怒声を張り上げる。

 通話相手は、彼女がと思っていた男だ。オシャレなカフェで偶然出会った男で、趣味が合うこともあり二人はすぐに恋に落ちた。

 どこまでもフィーリングの合う相手ということもあり「この人と結婚するんだろうな」と彼女はずっと思ってきたのだ。



「ふざけないで、あれは……!」

『結婚するつもりだった、とか言わないよね?』

「……っ、あなたが……あなたが言ったんじゃない! この事業が上手くいけば将来も考えられるとか、上手くいったら結婚しようって!」



 携帯越しに聞こえてくる軽い調子の言葉に、そこでようやく彼女は自分が「騙されていた」ということを理解した。

 これまで、この男に色々な支援をしてきた。それらは全て「結婚しよう」という言葉があったからだ。

 金が足りないと言えば無理をしてでも作り、借金だってしてきた。現在は毎月の返済のために本職の他にバイトだって増やしたばかり。


 全て彼のためならと、そう思ってきたのだ。

 だが、騙されていた。もうこれ以上は金を搾り取れない、そう思った男はあっさりと彼女を切り捨てた。まるでゴミのように。



『じゃあねぇ、楽しかったよん。い~っぱいお金ありがとぉ~♪』



 通話は、そこで切れた。



 * * *



「おはようございます! 死神さん!」

「……」



 夕飯をと押しかけてきた日から、西園寺がやってくるのはになっていた。


 最初はまぐれかと思ったりはしたが、どうやらそうではない。西園寺がこの部屋にやって来れるのは、偶然でもなんでもない。彼女は霊的な感性が鋭いタイプなのだろう。

 帰れと言っても「でもでもだって」でしつこく粘るし、冷たくあしらっても堪えない。更に最悪なことに、彼女の手料理をパートナーであるトイフェルが大層気に入ってしまったのだ。


 今日も今日とて訪れた彼女に、トートの口からは言葉の代わりに重い――とても重い溜息が零れ落ちた。



「トイフェルちゃん! 今日はシャケを焼いてきたよ!」

「ほほう、有り難いことですね」



 すっかり仲良くなったトイフェルと西園寺を見遣ると、もはやトートには何も言えない。好きにさせようと、そう思いながら早々に書斎へと引き返そうとしたのだが――それは、不意に声を上げた西園寺により阻まれた。



「あっ! そ、そうだ、死神さん! 私、聞きたいことがあったんですけど……」

「……? ……どうした」

「え、ええっと……そのう……笹川ささがわさんっていう男の人、ご存知ですか?」

「知らんな」



 西園寺の口から出た質問に、トートは書斎に向かわせた足を止めて考えるように視線を中空に投げる。しかし、程なくして小さく頭を左右に振ると、傍まで歩み寄ってきたトイフェルがふさふさの尻尾で主人の足を軽く叩いた。



「何を仰っているのです……本当に、トートは仕事が終わったら興味が失せますよね。我々がこちらにやってきた初日に処理した男ですよ、まだ正式に依頼を引き受ける前だったはずです」

「…………ああ、あの時の……あの男がどうかしたのか?」



 そこまで言われて、ようやく思い出したらしい。もっとも、思い出すまでにもたっぷりと時間を要していたが。

 笹川功ささがわいさお――確かに、トートがここにやってきた初日に処理した魂だ。

 すると、西園寺は自分で聞いてきたにもかかわらず幾分か困ったように眉尻を下げた。片手で己の頬を掻き、なんとなく気まずそうな様子だ。



「そ、その……もしかして、あの人も死神さんが……って、思ってたんです、けど……本当にそうだったんですね」

「……知り合いか?」

「い、いいえ! た、ただ……死神さんは、私の恩人です。あのままだったら、私……」

「ちょっと待て、あまり愉快ではない仮説がひとつ浮かんだ。あの時ホテルに連れ込まれていた学生というのは、まさか……」

「あ……あれも、有栖川さんのいじめの……延長で、その……」



 笹川功は、年端もいかない少女たちに性的な暴行を繰り返していた男だ。そのせいで命を絶った少女たちがいた。そのため、魂を強制的に回収し、冥界へ送ることとなった――その結果がアレだ。


 トートがそこまで言うと、西園寺は顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。どうやらあまり愉快ではない仮説が当たってしまったらしい。

 あの時――ホテルに連れ込まれて暴行を加えられそうになっていた生徒というのは、この西園寺だったようだ。その上、あれもいじめの一環だという。人間というのは非常に悪辣だとトートは思った。


 それを理解して、トートの口からは再び重苦しい溜息が洩れた。きっと彼女はトラブルに巻き込まれやすい体質なのだろう。



『……今朝早く、都内にあるマンションの傍で女性が倒れているのを近所の住民が見つけ、警察が事件と自殺の両方から調べています』



 すると、そんな時。

 点けっぱなしになっていたテレビから、ニュース記事を読み上げるアナウンサーの声が聞こえてきた。内容としては、都内のマンションの傍で女性が倒れていたというもの。

 更にアナウンサーの女性は、その様子を事細かに説明し始める。


 女性は発見された時には既に息絶えており、死因は頭部の強打と首の骨折とのこと。現場の様子から自殺の可能性が高いようだが、彼女の部屋には遺書らしき手紙がしたためられていたようだ。



「……!」



 トートがニュース画面を見つめていると、ふと視界に――ぼんやりと人の顔のようなものが浮かび上がった。灰色の、靄のようなものだ。じっと見つめていると、その顔は言葉こそ発することはしなかったものの、ゆっくりと動く口が紡ぐ言葉をひとつずつ拾った。



「……に、く、い……」

「……トート?」

「トイフェル、出かけるぞ。ただの事件ではなさそうだ」



 その靄は、彼にしか見えなかったようだ。恐らく霊的な何かが強い念を残したものをトートの目が拾ったのだろう。

 ただの事件と片付けるには腑に落ちず、トートは早々に踵を返して玄関へと向かった。

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