第18話 「どれほど立派なご尊顔をお持ちなのやら」


「事件となった現場はこの場所のようですね。規制線が張られていますし」



 朝も早い時間に事件現場となったマンションの傍に赴いたトートは、慌ただしく走り回る警察を横目に見遣りながら無遠慮に規制線の中へと足を進める。視認されないというのは、こういう時には非常に便利なものだ。

 当然だが、ニュースで報道されていた女性の遺体は既に現場には残されていない。だが、辺りには生々しい血痕が残っていた。



「トート、何が気になるのですか?」

「……先ほど、画面に彼女のものと思われる魂が見えた。どうも引っ掛かる」



 トイフェルはトートの肩に乗りながら不思議そうに小首を捻るが――特にお小言は言わなかった。

 トートは死神だ、その彼が何かを見たと言うのであればそうなのだろう。


 暫しトートは周囲を見回していたが、現在の彼の目に映るのは人間の姿ばかり。現世と繋がりが途絶えた者の姿は一切見えなかった。彼女は魂が残っていたことで、テレビを通してトートに訴えてきたはずだ。憎い、などと口にするくらいだから、余程の怨恨が残っているのだろう。



「(ならば、成仏などできていないはずだ。憎悪でまだ現世に縛られている可能性が高い……)」



 傍らにそびえ立つマンションを見上げると、不自然に開け放たれた窓が視界に飛び込んできた。そこから時折男が数人顔を出すところを見れば、その部屋が彼女の住んでいた場所なのかもしれないと思った。現在、警察の捜査が入っているのだろう。

 トートは軽く地面を蹴ると、窓が開かれたその高さまでふわりと浮かび上がった。



「……」



 部屋の中は綺麗に整頓されており、争ったような形跡は全く見受けられない。外とは異なり血痕なども部屋の中にはなかった。



「やはり、この男をあたってみますか?」

「ふうむ……長谷川隆行はせがわたかゆきか。そうだな、遺書の内容が本当なら、この男に金を騙し取られた上での自殺ということが考えられる」



 部屋の中に降り立つと、ちょうど室内を調べていた警官二人のそんなやり取りが聞こえてきた。トイフェルはぴくぴくと耳を動かしながら、そのやり取りを一言一句逃さずに聞いている。

 トートは、その話の中に出てきた名前に形のよい眉を顰めると、羽織る外套の中に手を突っ込み――中から一冊のノートを取り出した。



「どうなさったのです?」

「今……長谷川隆行と言ったな」

「はい、間違いございません。この耳でしかと聞きました」



 トイフェルに言葉を向けながら、トートは取り出したノートをパラパラと捲る。そして該当するページで止めると、紙面に記載された文字列を視線で辿った。



「もしや……」

「長谷川隆行――本名、須藤充すどうみつる……閻魔のリストにあるターゲットだ」



 紙面に書かれた名前は、今聞いたもので間違いない。長谷川隆行と書かれている。

 けれども、それ以外にもいくつもの名前が所狭しと書かれており、トイフェルはトートの肩に乗ったままゆうるりと小首を傾げてみせた。



「他のお名前は?」

「この男の名前だ、いくつもの偽名を使っているようだな。閻魔が調べただけでもこれだけあった」

「……いくつなんです? 数えるのも嫌になりますが」

「十四個」

「流石に多すぎでしょう。何をしたんです、この男は」



 この長谷川隆行――本名、須藤充という男は十四個ほどの偽名を持ち、器用に使いこなしながら生活しているようだ。次のページに記載された詳細な情報に目を通しながら、次第にトートの表情は不快に染まっていく。



「……詐欺罪」

「はあ、詐欺」

「人間の言葉では、結婚詐欺と言うらしい。多くの異性の間をふらふらと渡り歩き、結婚をチラつかせて金を搾り取るようだな」

「それで、使えなくなったらポイするわけですね。ははぁ、多くの女性を誑かすだなんてどれほど立派なご尊顔をお持ちなのやら」



 いつものことながら、今日も口の悪い相棒猫の呟きを聞きながらトートはリビングの中央に置かれたままのローテーブルを見遣る。そこに遺書は置かれていないが、生活感はまだ確かに残っている。

 数時間前まで、彼女はこの部屋で過ごしていたはずなのだ。それが自分勝手な男の欲望に振り回された挙句、自ら命を絶つに至った。


 トートがそこまで考えると、彼の視界には先程と同じように再び灰色の靄が現れた。それは程なくして人の姿を形成し、非常に苦しそうな表情を浮かべながらトートの目の前でふわふわと浮かぶ。

 「に、く、い……」と、そう口を動かして。



「……お前の無念は俺が晴らす。だから、先に閻魔のところへ行きなさい。奴を冥界に叩き落としたら、あとは煮るなり焼くなり好きにするといい。……まぁ、それは地獄の者たちが率先してやるだろうが」

「――」



 トートの言葉を聞くと、人の形をした靄は暫しその場に留まっていたが――程なくして小さく頷き、空気に溶けるように消えていく。

 完全に消えてしまう前に、その顔が安心したように微笑んだような―—そんな気がした。

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