第13話 「間がよいと仰ってくださいな」
マンションの部屋に戻ったトートは、零時に差し掛かった頃に書斎のパソコンに電源を入れた。モニターの前に片手を翳すと、程なくしてひとつの映像が映し出されていく。
それは、残業を終えて自宅に帰り着いた林の姿だった。一日の疲れが顔にありありと滲み出ている様子は、傍から見ていて非常に哀れだ。
明かりの落ちた暗い部屋でカップ麺をすすり、覇気のない顔で虚空を見つめる。その部屋にある唯一の明かりと言えば、小さなテレビから洩れる光だけ。
男の一人暮らしらしく、部屋の造りはワンルーム。フローリングの床にはマットレスと布団、こたつテーブルには箱入りティッシュやテレビのリモコンなど日用品が置かれている。寝に帰るだけ、というような印象を与えてくる室内だ。
そして、トートの目が捉えたのは――テーブルに置かれた平べったい白の紙袋。
表面に病院名が記載されたそれは、病院から処方された薬だ。中身は見ずともトートには理解できた。
「(睡眠薬か、もしくは精神安定剤だな)」
これまでにも精神的な病を患って自殺をした者の魂を冥界へ案内したことはある、むしろ数え切れないほどだ。それゆえに、トートは心を病んでしまった者の危険性をよく理解していた。
一見大丈夫なように見えて、何かの拍子で衝動的に命を絶ってしまうことが少なくないのだ。
林の目の下にはくっきりとクマが刻まれており、見るからに睡眠不足だと分かる。満足に眠れていないのだろう。下手をすれば睡眠薬を使っても深い眠りに就けていないのかもしれない。
「(やはり、あまり時間をかけるのは得策ではないな……)」
改めてモニターに手を翳すと、次に映し出されたのは――なんとも可愛らしい内装の室内。それを見て、トートの表情は自然と歪んだ。
城ヶ崎がどうしているかを見ようとしたのだが、即座に後悔した。
淡いピンク色のライトに照らされた室内は、深く考えるまでもない。ラブホテルの一室だ。部屋の中央に位置された白一色のベッドの中には城ヶ崎と、居酒屋で口説き落としたと思われる女性の姿。何をしているかなど考えたくもなかった。
「おやおや、トートもスキモノですね」
「お前が書斎に入ってくるタイミングが非常に憎らしい」
「間がよいと仰ってくださいな」
そこへ、最悪なことに相棒猫のトイフェルが顔を出した。常の如く軽口を叩きながら椅子に座るトートの足元までやって来ると、ピョンとその膝の上に飛び乗る。小憎らしい減らず口も、膝に乗る後ろ姿を見れば許せてしまうのは問題だとトートは思った。
猫の後ろ姿というのは、どうしてこうも撫で回したい衝動を駆り立ててくるのか。
もふ、と片手を後ろから背中に触れさせると、トイフェルは薄暗い中でぎょろりと光る双眸を以てトートを振り返った。
「それで、どうなさるのです?」
「今回はあまり悠長なことを言っていられる案件ではないが……処理は明後日に行う。方法は……そうだな……」
「……トートがそういうお顔をされている時って、大抵ドSなこと考えてる時ですよね……」
依頼の話を聞いて日本にやってきたばかりの時――
今回の城ヶ崎はどのようにして処理するのか。トイフェルは改めてトートを見上げたが、その顔は感情など全く感じさせない無。完全なる無表情だ。
彼がこのように無表情で黙り込む時は、何かしらターゲットを追い詰める手を考えている時だとトイフェルは痛いほどに理解していた。
「……うむ、決めたぞ。城ヶ崎にも、林のような想いを味わってもらおうか」
「と、言いますと?」
具体的にどうするのか、トイフェルはそれを聞いたつもりだったのだが、トートはそれ以上口を開くことはせずに再度モニターに片手を翳す。するとモニターの電源が落とされ、書斎の中は暗闇に支配された。
代わりに腰掛ける椅子の背もたれに寄り掛かることで深く座り直し、両手は肘置きにゆったりと添える。そうして静かに目を伏せれば、その刹那――彼の身からは淡い紅の光が放出され始めた。
それは、トートが何らかの力を使っている証拠だ。
どのような力かはトイフェルには分からないが、その時になれば分かるだろうと――そう考えて深く問うことはしなかった。
トートが目を付けたのであれば、確実にその命は刈られる。
彼は数多く存在する死神の中でも、特に優秀な存在なのだから。
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