第11話 「それとも、クビの方がいいのかなァ?」
「いやぁ、エミちゃん! 今日も可愛いねぇ~!」
「い……いえ、そんなことは……」
「メグミちゃん、リップ変えた? 似合ってるよぉ!」
「あ、ありがとうございます」
今回のターゲットである城ヶ崎は、五十代半ばほどの中年男性。見た目は決してよいとは言えず、清潔感はあまりない。
シワになったワイシャツと着古したスーツ、これでもかというほどに主張する突き出た大きな腹。額や顔には汗が滲み、どちらかと言えば見た目的には不潔感さえ漂うだろう。
そんな男は、オフィス内にいる女性社員に次々に声を掛けている。表情には輝くような笑みが浮かんでいて、鼻の下など見事なまでに伸びきっていた。
色欲を孕んだその眼差しと、時折尻を撫でる手に込められる意味に気付かない女性は、そうそういないだろう。左手の薬指に指輪を填めていることからして既婚者なのだろうが。
「典型的な女好きのようですね」
「……女性たちは嫌がっているように見えるが」
「あれでも一応は部長ですから、この中では一番偉いのでしょう。それでみんな邪険にできないんですよ」
「なるほど、立場を活かしてのセクハラ行為か」
「パワハラには疎いのに、なぜセクハラはご存知なんですか」
トイフェルはトートの足元に座り込み呆れたような様子で溜息を洩らしたが、当のトートは城ヶ崎に目を向けたまま黙り込む。
――確かに、セクハラ行為は女性にとって大きな嫌悪感しかないだろう。けれども、これが自殺の要因になるかどうかと言われれば、いまいち決め手に欠ける。死神はあくまでも中立の立場に立ち、判断しなければならないのだ。
「(それに、昨日冥界に行ったとされる魂は肉体的には男性だったはず……)」
この男には他にもまだ何かがあるはずだと、トートは睨んだ。
そして、そう思った矢先のことだった。不意に城ヶ崎が顔を怒りで真っ赤に染め上げて怒声を張り上げたのだ。
「――おい、テメェ! 林、この野郎ッ!!」
「す、すみません……!」
「すみませんじゃねぇだろうがッ! こういう時はなァ、申し訳ございませんでした部長様って床に頭擦りつけて土下座すんだよォ!!」
不慣れな手つきでトレイに湯呑を置いて持ってきた男性社員が、部長のデスクにその湯呑を置いた時だった。何も粗相をした様子はない、現に城ヶ崎もそのお茶を飲もうと湯呑を掴んだはずだ。彼が何に対して激昂したのか、トートにはまるで理解できなかった。
林と呼ばれた見るからに気弱そうな男性社員は、顔面蒼白になりながら背中を丸めて何度も頭を下げるが、城ヶ崎の機嫌が直るような様子は微塵も見受けられない。
「テメェで飲んでみやがれや! こんなクソ熱くてマズいモン飲めるかってんだ!! ほらどうした、さっさと土下座しろよ。それとも、クビの方がいいのかなァ?」
「う……」
「おお? そうなのかい? いやいや、こっちとしてもキミのようなクッソの役にも立たない社員、いなくなってくれた方がいいからねぇ。その方がいいなら私としても助かるよォ、いやぁ~はっはっは!」
城ヶ崎は、林の様子を見て愉快そうに顔を上向かせながら高笑いを上げる。林が自分に逆らうことなどできるはずがないと――それを全て理解しているのだ。
そしてその読み通り、数拍の沈黙こそ挟みはしたものの、やがて林は床に両手両膝をついて頭を下げた。肩が小さく震えているのは怒りか、それとも悲しみか。
城ヶ崎は「ふん」と鼻を鳴らすとデスクの前へと回り、彼の頭に靴裏を押し付けてグリグリと踏みつけ始めた。
「ほらほらァ、頭が高いぞぉ? もっと、も~っと下げて! 頭を床に擦り付けてって言っただろぉ!?」
「も……申し訳ございませんでした、城ヶ崎部長……さま……」
「んん~? なになに、聞こえないなァ? もっとほら、大きな声で言いなさい! ほらァッ!」
その光景を遠巻きに見ていた女性社員たちは、気まずそうな様子で近場の同僚たちと小声で話し始める。既に日常茶飯事となってしまっている光景ではあるが、見ていて決して気持ちのいいものではないのだ。
「林くん、かわいそうよね……」
「そうよねぇ、男の子なのにお茶汲みだの雑用だのってだけでもかわいそうなのに……林くんって入社した時、可愛い感じだったじゃない? なのにイビられるようになってからはすっかり
「そうそう。……きっと林くんが若いから嫉妬してるんでしょ、あのタヌキ親父」
「タヌキがかわいそうじゃない、あんなのクソ親父でいいのよ」
トートは彼女たちの内緒話を聞きながら、複雑そうに眉を寄せる。
オフィス内で行われているこの行為は、確実にパワーハラスメントと言えるだろう。簡単に言うのなら大人のいじめだ。それも、ひどく質の悪い。
決して粗相はしていないのに激しい叱責に加え、他の社員が大勢いる前で土下座の強要。罵詈雑言を浴びせつけ、トドメは土下座をした頭を踏みつける行為。見ているだけで反吐が出そうな光景だ。
「……トート、すぐに始末しますか?」
「……この男のプライベートが知りたい」
「承知しました」
本音を言えば、すぐにでも処理したい。
けれども、トートは死神。手を下せばすぐに城ヶ崎の命は刈り取られてしまう。
命を司る存在であるからこそ慎重にならなければいけない。この時ばかりは、そんな立場がどうにも歯がゆく感じられた。
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