お節介な神さま

 できる限り直視しないようにしてきた古い記憶に目を向けてみると、胸の奥深くが抉られているような錯覚に陥った。だから嫌なんだよ、こういうことを思い出すのは。


 うんと小さい頃、どこに住んでいたのかは覚えてない。

 ただあの日、たぶん初めて母親と船で出掛けるのが嬉しくて大はしゃぎだったことだけは覚えてる。子供の目には船はメチャクチャ大きくて、カッコよくて、母親と一緒にそんなすごいものに乗って出掛けられるんだって、嬉しかったんだ。


 甲板に出ることはできなかったけど、薄暗い船室に母と二人でいられるだけでもよかったんだ。その間、朧気な記憶に残ってる通り、あの人はずっとオレに謝ってたけど。



「……オレ、ほとんど覚えてないけど、たぶんどこかの街の結構デカい家の出だと思うんだ。そんな家に無能が生まれちまったわけだから、世間体を気にして捨てられたんだよ。次の機会に恵まれたら、その時はきっとうまくいくって、あの人はずっとうわ言のように繰り返してた」



 船を降りてからはずっと馬車での移動で、それまで生まれ故郷を離れたことがなかっただろうオレにとって、見るもの全てが新鮮だった。まるで世界中が輝いてるように見えて、ずっとこのまま母親と二人で色々なところを見て回りたいって思ったもんだ。


 あちこちの街や村に寝泊まりして、最終的に行き着いたのが――あのスターブルの街だった。あの頃はあそこはまだ孤児院じゃなくて、突風でも吹けば崩れてしまいそうなくらいオンボロの教会で。母はオレの手を引いて、その教会の塀の傍に立たせるとにっこり笑ったんだ。



『リーヴェ、いい子だからここで待っててね。母さんが来るまで動いちゃ駄目よ』



 なんて、そんなこと言ってさ。

 馬車に乗り込む直前にこっちを振り返ったあの人の顔は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。迎えに来る気なんかないくせに、最初から捨てていく気だったくせに、待っててねとか言いやがってさ。それで自分で自分のことまで傷つけてんだ。馬鹿らしい。



「……そこで、どのくらいかなぁ……何日か待ったんだよ。けど、ずっとそこに立ったまま動かないオレを不審に思ったミトラが声かけてきてくれてさ、それで教会で――今の孤児院で世話になり始めたんだ」

「……そうか」

「ちなみに、オレの姓の“ゼーゲン”ってのは、もう死んじまったけど教会のばあちゃんがつけてくれたんだよ。綴りは少し違うけど、リーヴェは愛、ゼーゲンは恵み。たくさんの人に惜しみなく愛を与えられるような人になりなさいって、願いを込めてさ」



 あれは何歳くらいの頃だったかな、確か六歳頃だったような気がする。右も左もわからない環境で最初は不安しかなくて泣いてばかりだったけど、それもすぐに慣れた。あのばあちゃんとミトラがいつだって傍にいてくれたから、親がいない寂しさも薄れていったなぁ。……懐かしいや、ミトラもアンたちも元気にしてるかな。



「……お前は、捨てられたことに傷を抱えているわけではないのだな」

「捨てられたってのは少しはショックだけどさ、オレは環境がよかったんだよ。そのばあちゃんにもミトラにも会えたし、こうやってあんたにも、フィリアやエフォールにだって会えた。この二十一年ちょっとの人生で色々あったけど、オレは今が幸せなんだ。だから恨んだりする気はないんだけどさ、ただ……」

「ただ?」



 上手く言葉にできないんだけど、嫌なんだよな。波の音を聞くたびに、あの人の泣き顔が頭に浮かんできやがる。オレは幸せなんだからそんな顔する必要ないんだよって、思えば思うだけ腹立ってくるんだ。


 なんて思いながら腹の底でイライラしていると、隣に座るヴァージャがふと薄く笑った。あ、こいつ、もうちゃっかり人の頭の中覗いてるじゃねーか。



「それなら、この旅の中でお前の親も探そう」

「い、いや、いいよ、探したいとか会いたいとかは思ってないし……」

「お前のためにだ。親を見つけてそう言ってやれ、今の自分は大いに幸せだ、と。お前を手放したことを後悔させてやるくらいの勢いでな」

「あんたってたまにムチャクチャなこと言うよな……」



 涼しい顔して、随分と無茶なことを言ってくれるもんだ。……けど、さっきヴァージャが言ってたように、自分の言葉で吐き出したら随分と楽になった気がするな。まだ繰り返し思い出しちまうんだろうけど、腹の奥底に溜まってたものがほとんど抜け出たような感覚だ。



「では、そろそろ戻るか。これで寝坊でもしようものならリーダーに怒られる」

「ははっ、うちのリーダーは怖いからな」



 フィリアに聞こえたらそれこそ怒られそうな軽口を叩いて、座っていた地面から立ち上がると軽く衣服を払うことで土埃を落としていく。話したところでどうせ何も変わらないだろうと思ってたけど、全然そんなことなかった。憑き物が落ちたように身体が軽い。



「……なあ、ヴァージャ」



 さっさと先に戻り始めるヴァージャを見遣ると、その背中に一声かけた。すると、いつもと変わらない涼しい顔でこちらを振り返る。寝起きからそれなりに経ってるとはいえ、寝起きでもイケメンってほんと腹も立たないな。こいつのこの整い過ぎた顔が崩れる時ってあるんだろうか。



「その、……わざわざありがとな」

「気にしなくていい、眠れないついでだ」

「へえへえ、眠れないついで、ね」



 さっきはあんなに気持ちよさそうに寝てたくせに、どの口が眠れないなんて言ってんだか。お節介な神さまだよなぁ。……そういうとこが変に人間くさくて嫌いじゃないんだけどさ。


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