小さい頃の思い出

 夜は魔物が活動的になる時間帯。だから、多くの旅人は陽が落ちてから林だの森だの山だの、魔物が生息している場所には近寄らないし、夜通し歩いて次の街や村に向かおうなんてこともしない。昼間よりも狂暴になる個体が多いからだ。


 この渓谷は昼間でさえよく魔物が顔を出してきたのに、夜の時間帯に散歩だなんて正気の沙汰じゃない。


 ……はず、なんだけど。



「ギャヒイイィン!」

「ブヒヒイイィン!」



 意気揚々と襲いかかってきた魔物たちは、ヴァージャにひと睨みされるとそんな悲痛な声を上げて脱兎の如く逃げていく。何回かそんなことを繰り返しているうちに、魔物たちは一切姿を見せなくなってしまった。きっと今頃渓谷の魔物たちの間で「ヤバいやつがいる」って噂になってんだろうな。



「あんた、そんなことできるなら昼間からやっときゃいいのに」

「それではフィリアのためにならんだろう。最終的な目標が皇帝を倒すことなら、今のうちに多くの敵を相手に実戦の経験を積んでおいた方がいい」

「ああ、言われてみれば……」



 ヴァージャがいれば皇帝だって危ないような気がするけどなぁ。けど、こいつのいいところは「全部自分がやってやる」ってタイプじゃないところだな。あくまでも本人が自分で目標や課題をクリアできるようにサポートしてやるっていうかさ。今回もそうだし、アンの勉強のことだってそうだ。最強のサポーターじゃん。



 川辺を離れて林の中を少し進んでいくと、小高い丘に差しかかった。遠くの空が夜の闇に覆われていることから、夜明けはまだ遠そうだ。空にはいくつも星が瞬いていて、デカい宝石箱でも覗いているかのようだった。……やっぱり本物の星空の方がいいな、さっきのあれも綺麗だったけどさ。


 丘に登って大体北の方を見てみると、いくつかの明かりが見えた。恐らくあれが目的地のひとつの漁村だろう。この渓谷は出口まで道が結構ぐにゃぐにゃに入り組んでいるらしく、出るにはもうしばらくかかりそうだけど、こうして遠目にでも明かりが見えるとホッとするのは人の持つ性みたいなものなんだろうな。



「明日であそこまで行けるかなぁ……この渓谷の出口まではまだ遠そうだけど……」

「焦らずに行けばいい、夜は今夜のようにゆっくり休める」

「……それもそうか、食料もまだまだ余裕あるしな」



 確かに、野営のことを考えなくていいのはかなり気が楽だな。オレとしてはできるだけ早く海辺からは離れたいんだけど。……まあ、そんな駄々も捏ねていられないし、旅をするのに船旅だけは避けるってのも難しいからな。



「……」

「どうした?」



 ……あれ、いつもの癖であれこれ考えちゃったけど、深く追求してこないな。こいつ人の脳内と会話するようなやつだから、こうやってあーだこーだ考えてるといつも大体聞いてくるのに。ちら、とヴァージャを見てみても、当の本人は怪訝そうな表情をするばかりだ。



「……いや、いつもと違って人の頭の中と会話しないんだなと思ってさ」

「今お前の頭を覗けば、許可もなしにお前の過去にまで踏み入ることになりかねん。私とてそこまで無粋な真似をするつもりはない」



 ……ってことは、ちょっとは見たんじゃねーか。そこまで見たなら気にしないで全部覗けばいいのに、本当に変な気遣いやがってよ。



「私に知られて構わないと思うようなことなら、お前の言葉で吐き出してしまえ。勝手に知られるよりも、その方が精神的に楽になる」



 オレの言葉で、かぁ……そう言われても、どう言えばいいかよくわからないんだよな。別に知られて困るようなことじゃないし、頑なに隠し立てする気もないんだけど。うんと小さい頃のことだから全部ハッキリ覚えてるってわけじゃないしさ。


 なんとなく、漁村のものだろう明かりをぼんやりと眺めながら簡単に頭の中に情報を纏めてみる。その間、ヴァージャは特に余計な言葉をかけてくることはなかった。元々こいつはお喋りなタイプじゃないけど、それがなんだか妙に気持ちを落ち着けてくれて、思いのほかすんなりと言葉が出てきた。



「オレがガキの頃に捨てられたってのは、知ってたっけ?」

「ああ」



 まあ、孤児院で世話になってたわけだしな、力と才能が全てっていうこの世界の仕組みももうとっくに知っただろうし……才能のない子供なんて、大体の親からすりゃ邪魔なだけなんだ。オレもミトラもそんな世界を変えたいわけだけど。



「子供の頃の記憶ってさ、全部綺麗に残ってるわけじゃないんだよ。断片的に残ってるだけで、覚えてないことの方が多いんだ」

「ああ」

「……オレの中にある一番古い記憶がさ、母親っぽい女の泣き顔なんだ」



 今まで誰にも――ミトラにだって詳しく話したことのない昔の記憶。思い返せば思い返すだけ、当時の自分がどれだけ無邪気で考えなしだったのか呆れてしまう。けど、子供ってのはそういうもんだ。



「あの時、オレは初めて母親と船で出掛けるのが嬉しくてさ、はしゃいでたと思うんだよ。……それがまさか、自分を捨てに行く旅だったなんてさ」



 母親らしき女の泣き顔、謝罪、暗い一室、波の音。

 朧気な記憶だけど、あれはあの女がオレを捨てに行く道中だった。二度と戻ってこれないよう、故郷からうんと離れた遠い地に捨てに行くための。


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