それは過去の傷のひとつ


 オレはどうやら、あの領地戦争の直後に貧血でぶっ倒れたらしい。

 病院で診てもらったところ、命に別状はないとのことで孤児院に運ばれたようだ。家で寝てても同居人が家事できないし、ミトラがいてくれた方が有り難いのはある。また面倒かけたなとか、心配かけたなっていうのはあるけど。


 ウロボロスに奪われかけた統治権はヴァージャ自らウラノスに戻し、このスターブルの街周辺は、これまでと変わらず彼らが統治することになった。つまり、今までと何も変わらない。もうじきサンセール団長も戻ってくるだろうし、また似たようなことがあったとしても、二度とあんなことにはならないはずだ。今回のことでエレナさんたちも対策を立てると思うし。


 オレはあれから丸一日眠っていたそうだ。今もまだ血が足りてないのか頭が結構ふらふらするけど、命があるだけで充分すぎる。一日しか経ってないのに痛みはもうないし、傷は完全に治っているようだった。



 取り敢えず状況を把握してから、さっき見た夢のことを話してみた。すると、ヴァージャは珍しく驚いたような顔をして数度ゆったりと瞬きを打つ。こいつでもこんな顔することあるんだなぁ。



「……そうか。とにかく傷を治さなければと慌てたせいで、余計な力まで流れ込んだのかもしれないな」

「つまり、その余計な力とやらが昔の記憶を見せた、と」

「うむ」



 ってことは、やっぱりさっき見たあの夢は実際にあったことで、ヴァージャの昔の記憶ってわけか。そう考えると、かなり気が重いな。



「お前がそうまで気にすることはない、遥か昔の出来事だ」

「そうは言うけどさぁ……どこであんなふうにおかしくなっちまったんだろうな。ヴァージャに名前をつけた人たちは全然そんなことなかったのに」

「大昔の人間たちは、生きるということにいつも全てを注いでいた。極端に言えば、その日を生きることが生きる目標であり、目的だったのだ。生きるために誰もが平等で、協力して生活することが当たり前だった」



 今からはまったく考えられない世界だったんだな。けど、確かに雨の中を嬉しそうに踊る人たちの姿を思えば、何となくヴァージャの言うことがわかる気がする。当時の人たちは、その日その時をいつだって全力で生きてたんだ。



「しかし、文明が進み生活が便利になっていくにつれてヒトの中には余裕が生まれ、自我が強く芽生え始めた。団体ではなく個人の意識が強くなり、それらは“自分たちが他者より特別で在りたい”という選民意識や思想を持つキッカケとなった。彼らは永久とこしえの神子を神に嫁がせることで、自分たちこそがより特別なのだと周囲に知らしめたかったんだ」



 ……自分の娘が神さまと結婚したら、自分たちも神さまの家族になるもんな。馬鹿だな、なんでそんなに特別でありたいんだろう。娘の心からの幸せよりも、自分たちの欲求を満たす方が重要だったのか。あの娘さんも一種の被害者なんだな。



「……あんたは、あれがキッカケでずるずると力を失うことになったのか?」

「それもひとつの理由ではあるのだろうが……色々だ、全て話すにはどれだけかかるかわからない。私はお前が思っているよりもずっと永い歴史を見てきた、いつか気が向いた時に話せたら話そう」

「色々って、まさかあんな出来事が他にも腐るほどあったんじゃ……」

「さてな」



 嘘だろ、否定しないってことは絶対そうじゃん。あの一連の出来事だけでもかなりの精神的ダメージを負うレベルなのに、ああいう経験が他にもあるってこいつどれだけひどい人生――いや、神生を送ってきたんだよ。



「今はとにかく、もう少し休め。体調が落ち着いたら旅に出るんだろう?」

「うん、まあ……元気になったらミトラにちゃんと話さないとな……メチャクチャ反対されそうだけど……」

「彼女にはもう伝えてある」



 あのにこにこ笑顔で矢継ぎ早に畳みかけられるお説教は、オレが最も苦手とするものだ。ただでさえ説教なんて嫌いなのに、ミトラのあの笑顔は夢に出てきそうなくらい恐ろしい。なんて思ってたら、まったく予想外の返答が返った。


 ――え、伝えてある? ミトラに?

 あの怒るとメチャクチャ怖いミトラに? いくらヴァージャでもしこたま怒られたんじゃないの?



「……別にそんなことはなかったが」

「ほんとかなぁ……取り敢えず、まだ夜だし、お言葉に甘えるけどさ」

「ああ、ゆっくり休め。あとで水でも持ってこよう、途中で目が覚めたら飲むといい」

「ああ、ありがと。あんたもちゃんと休めよ」



 窓から見た外の様子は、真っ暗でほとんど窺えない。夜明けはまだ遠そうだ。

 起こしていた上体を再びベッドの上に横たえると、身体はまだまだ疲れているらしく、すぐに眠気がやってきた。


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