実直と卑劣

 翌日、ヴァージャが用心棒にとび出した愛くるしい子猫と共に孤児院に足を運ぶと、案の定ミトラや子供たちにもみくちゃにされた。オレがじゃなくて子猫が。えっと……ブリュンヒルデだっけ? 呼びにくいな、ギャップありすぎだろこの名前。


 まあ、今まで孤児院で動物を迎えるってことがなかったからな。それに可愛いし、みんながはしゃぐ気持ちはよくわかる。でも、ミトラに真面目な話をしたかったんだけど、この調子だと難しそうだ。オマケに――



「リーヴェ、子猫用のミルク買ってきてくれない?」



 なんて、おつかいまで頼まれたから尚更。

 そんなこんなで、商店街まで猫用のミルクを買いに行く羽目になった。……まあ、いいんだけどさ。どうせすぐ戻るし、商店街はこの孤児院から目と鼻の先だから少しくらいならヴァージャの傍を離れても大丈夫だろう。



「待ってリーヴェ! あたしも行く!」

「あれ、今日は勉強はいいのか?」



 孤児院の門を潜ろうとしたところで追いかけてきたのは、アンだった。勉強漬けの彼女も思わぬ子猫の登場に興奮しているらしく、その顔にはほんのりと赤みが乗っていた。



「今日は気分転換の日ってヴァージャに言われちゃった、根を詰めすぎるのもよくないんだって」

「はは、そうか。じゃあ今日は一日猫と遊ぶか」

「うん! ミルクの他にごはんとおやつと、あとオモチャもほしい!」



 そう言って笑うアンは、すっかりいつも通りだ。この前の暗く落ち込んだような様子はまったく見受けられない。アンの勉強熱心で努力家なところはヴァージャもいたく気に入っていた。そのヴァージャに毎日勉強を見てもらって、アンも随分と自分に自信がついたみたいだ。


 隣を並んで歩くアンをちらと見てみると、その顔には絶えず楽しそうな笑みが浮かんでいた。



「アン、ヴァージャは優しいか?」

「うん、ヴァージャって色々なこと知ってるんだよ。リーヴェにあんな頭のいい友達がいるなんてびっくりしちゃった、カッコイイしね」



 本当にアンはおませさんだなぁ。まあ、同性から見てもあの神さまはイケメンだと思うよ、対抗意識なんて湧いてもこないくらい。最初はどうなることかと思ったけど、神さまに労働を頼んでよかったんだろうな。


 孤児院に来てた賊はすっかり姿を見せなくなったし、アンをはじめ子供たちはみんな喜んでるし、それにヴァージャ自身も子供たちと接してる時は嬉しそうに見える。慈しんでるっていうか、優しい目で見てるんだ。


 なんて考えながらアンと共に商店街の方に足を向けると、喧騒とは違う騒がしさが耳についた。いつも商店街は大体賑わっているが、今日は少し賑やかさが違うようだった。騒ぐような声に混ざって刃物と刃物がぶつかり合うような音が聞こえてくる。これは……もしかして。



「……領地戦争?」

「……多分な。どっかのクランがウラノスに挑んでるんだろうさ」



 隣で不安そうな表情を浮かべていたアンも、考えることは同じだったらしい。どこかのクランが、この辺りの統治権を巡ってウラノスに領地戦争を吹っかけたんだ。人だかりができている方に近づいてみると、輪の中心では戦闘が繰り広げられていた。


 けど、もう大勢は決まったらしい。挑戦者らしきクランのメンバーは一人を除いて全員が地面に座り込んでいたり、倒れていた。残りの一人もウラノスの副リーダーを務める金髪の女性――エレナさんを前に防戦一方といったところ。実力の違いは一目見ただけでわかる。エレナさんはサンセール団長に次ぐ実力者で、細身の剣から繰り出される剣撃はまさに美しいの一言に限る。彼女の剣さばきは思わず惚れ惚れしてしまうような見事なものだった。


 ……気になるのは、場に倒れている連中の数があまりにも多いことと、ウラノスの面々が疲れているように見えること、それに見物人という名の野次馬たちの顔に明確な焦りが滲んでいることだ。



「マズいよ、大丈夫かな……今はサンセール団長がいないのに」

「サンセール団長がいない?」

「えっ、ああ……団長は今はあちこちの村の視察に行ってるんだ。戻るには三日くらいかかるんだよ」

「それに、今やってるあのクランでもう五つ目くらいなんだぜ。あいつら、単独では勝てないからって数で押してきやがったんだ!」



 近くから聞こえてきた声に反応して聞いてみると、更に近場からはそんな声が次々に返ってくる。どうやら、状況は思っていたよりもずっと悪かったらしい。


 ウラノスの強さは、この辺りに住んでいる者なら誰でも知ってることだ。恐らく、ひとつのクランで挑んでも勝てないと踏んで、小さなクラン同士で結託して畳みかけてきたんだろう。どうなのかとは思うけど、それも決して反則じゃない。……とにかく強いやつが偉いんだ、どんな手を使っても勝ちさえすればいい。



「リーヴェ……ウラノスの人たち、大丈夫かな……?」

「……大丈夫さ、エレナさんたちがそんな連中に負けるもんか」



 当然傍にいたアンにその話が聞こえないはずもなく、不安そうに表情を曇らせて身を寄せてきた。そんな彼女の頭を撫でながら、改めて輪の中心へと目を向ける。


 形勢はウラノスの方が有利だ。確かにエレナさんをはじめとするメンバーには疲労の色が見て取れるけど、残っている一人は――たった今、エレナさんの薙ぎ払いによる攻撃で倒れた。これで戦えそうなのは一人も残ってない、もう終わりのはず……周りの野次馬たちにも安堵が広がっていく。



「――いやぁ、さっすがエレナさんだ。お見事お見事。どれどれ、それじゃあ次は俺たちの相手をしてもらいましょうかねぇ」



 そんな安堵をぶち壊したのは、聞き覚えのある――けどあまり聞きたくはない声。

 人だかりをかき分けてやってきたのは、マック率いるウロボロスのメンバーだった。

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