用心棒ブリュンヒル……え?

「ミトラが荒れていたのはそのせいか」



 一日の仕事を終えて家に着くと、夕飯の支度をしながら早速昼間にあったことをヴァージャに話してみた。普段ならこの時間は「一番下の子が文字を覚えた」とか「アンがまた新しい難問を解いた」とか、ヴァージャがどんなふうに子供たちと過ごしたかを聞く微笑ましい時間なんだけど、今日はそうもいかない。


 あの後、ミトラは別に普通に見えたが、心の中はそうではなかったのだろう。ヴァージャが「荒れていた」ということは、内心ではティラに対して憤っていたに違いない。



「うん、だからさ、ヴァージャの力が完全に戻ったらこの世界のそういう仕組みも変えれたりするのかなって」

「……不可能ではないが、どのような世界に変えるかにもよる。今の世で上に立っている者たちを全て排除したところで、それは支配者が変わるだけのこと。根本的な解決にはならない」

「例えが極端すぎるんだよあんたの場合」



 その例えはわからないでもないけど、あまりにも極端すぎる。けど、まあ……そうだよなぁ、天才ゲニーたちをどうにかしたって次は秀才グロスたちがそれに代わるだけだ。それに、天才たちが全員マックみたいな嫌なやつとは限らないし、中には周りのためにその力と才能を使ってる人もいるかもしれない。問題は彼らのような優れた人間たちがいることじゃなくて、そこに優劣だとか差別意識があることなわけだ。


 そういうのをなくすためには……うーん、どうすればいいんだろうな。あ、鍋が焦げそう。



「……そういえばさ、“神さまを信仰する”ってのは具体的にどうすればいいんだ? 元はと言えば、人が信仰心を失ったからあんたは弱っちまったんだろ? 祭壇とか作ったり、お供え物したり……とか?」

「そういったものは必要ない、信仰とはその存在を信じることだ。心から固く信用し崇めろということではなく、神という存在がどこかにいると思ってくれるだけでいい」

「そ、それだけ?」



 鍋を引っ掻き回しながらヴァージャの話に耳を傾けてみると、拍子抜けするような返答が返った。

 なんか思ってたより簡単そうだけど、……逆に考えると、神さまがどこかにいるって思ってる人が今の世界にはほとんどいないってことなんだよな。オレだって最初は絶対嘘だとか新手の詐欺だと思ったし、神はいないって思うことが今の世では普通なんだ。


 ……神はいない、か。ヴァージャは世界中から存在を全否定されてるわけだ。

 ここにいるのにいないものとして扱われるのはどんな想いなんだろう。オレだったらやる気も元気も何もかも失くしちまう、そりゃ力を失って弱るさ、当然だよ。



「それならさ、世界中の人に神さまがいるって信じさせれば、今よりもずっと早く力が戻るんじゃないか?」

「……方法は? 人々の前に姿を現すのは簡単だが、その大多数が最初の頃のお前のような反応で終わるだろう」

「うん、まあ……方法っていうか一応考えはあるんだけど……」



 よくよく考えてみれば、オレはこのスターブルの街を離れることがなかったから、世界って言っても他の地域のことはほとんど何も知らないんだよな。つまりただの田舎者なんだよ。だからまあ、この街を出て色々なところに足を運んで各地を旅しながら人の役に立つことをしてみるのはどうかな、ってさ。その“役に立つこと”が具体的にどういうものかまではわからないし、考えてないけど。



「ふむ……私も今の世の各地を把握しているわけではない、世の中を知るには良い案だとは思うが……孤児院の方はいいのか?」

「それなんだよなぁ、ヴァージャがいなくなったらまたいつ賊が来るかわからないし……」

「それについては用心棒を置ける、問題はない。ただ、お前はミトラたちと離れてもいいのか?」



 ……ああ、そっちか。そりゃ離れるのは寂しいしミトラのことだからなかなか旅立ち許可をくれないかもしれないけど、少しでもこの世界の在り方が変わる可能性があるなら、これまで通りの生活を続けるよりずっといいと思うんだ。他の地域がどういう状態なのかは行ってみないことにはわからないけどさ。



「……そうか、お前がそう考えるなら私もその方向で考えておこう」

「それで、用心棒って? 孤児院に置いていけるの?」



 鍋の火を止めてそちらを振り返ると、ヴァージャはソファに腰掛けたまま片手を目の前のテーブルに翳していた。鍋を運びながらその様子を窺っていたが、やがてポンという妙に可愛らしい音と共にテーブルの上に――



「……子猫……?」



 ――どこからどう見てもただの可愛い子猫が現れた。

 疑問形で声をかけると、当のヴァージャは「うむ」なんて返事を呑気に返してきやがる。


 待て待て待て、まさかこの目に入れても痛くなさそうな可愛いしかない子猫が用心棒だって言うんじゃないだろうな。そりゃ可愛いけど、攻撃なんてできないくらい可愛いけど、可愛さが武器とか言うなよ、賊が子猫の愛らしさに萌えて戦意喪失なんてしないだろ、オレはするけど。



「ブリュンヒルデ」

「んみゃッ!」

「なにその見た目にそぐわないカッコイイ名前、それってこの子猫のこと?」

「今は私の力が弱まっているからこの姿でしかいられないのだ、これでも元は雄々しい獅子なんだぞ。今の姿でも山ひとつ消し飛ばすくらいはできる」

「やだそんな猫」



 こうしてる今もテーブルの上で生まれたての小鹿みたいにぷるぷるしてるのに、そんなか弱そうな子猫が山を消し飛ばす光景なんて想像したくない。後ろ姿なんてただの白と薄茶の毛玉だよ、毛玉。まあ……この見た目ならミトラたちは大歓迎だろうけどさ、用心棒だぞ。こんな可愛い子猫にそんなことさせて本当にいいの?


 ……明日、連れて行ってみるか。旅に出るならミトラにもちゃんと話さないといけないしな。


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