第6話 レイ

 「あんまり月葉のこと虐めないであげて。」


 そう言うと青年は月葉の側に寄り、その白く綺麗な形をした手で月葉の首あたりを撫でた。月葉も心なしかほっとしたような顔でその手に擦り寄る。


 青年は服も真っ白だった。一瞬ワンピースかとも思ったが、裾の長いコートのような上着を着ているようだ。下は緩いズボンで、トップスの上から腰のあたりに金色とも言える濃い黄色のベルトをしている。何というか、古風な服装である。


 「貴方は…?」


 私がそう聞くと、青年はまた微笑んでこちらを向く。その目は月葉と同じような黄金色をしていた。


 「僕はレイ。此処に少し早く来た、君たちと同じ人間だよ。」


 少し高い声にはあどけなさが残っている。アキや私よりも若いような気がした。彼は月葉の隣、空いている座布団の上にあぐらをかいた。


 「俺はアキだ。いつから此処に?」


 「一ヶ月前くらいかな?月葉、後は僕が説明するよ。」


 アキの質問に答えると、レイはそう言って月葉を見た。お願いします、とうなずく月葉を見て、彼は長い指を遊ばせながら話し始める。


 「僕が此処に来た時のことは、多分だけど君たちと同じ。気がつくと森の中にいたんだ。名前以外の記憶を失くして。二人とも、そうじゃない?」


 私とアキは首を縦に振る。


 「それで、僕がどうしようかと思ってると月葉が森から出てきた。」


 「レイが此処にきた時、オレンジ色の光が、まるで柱のように一直線に、空から降りてきているのが見えたんです。驚いてその光の下に行ってみると、そこにいたのがレイでした。」


 月葉の言葉に、レイはうなずく。


 「それから月葉は此処を案内してくれて、後はちょっと外で聞いてたんだけど、さっき説明したようなことを僕に教えてくれた。それから元の世界に帰る手段を探しながら、ここで一緒に過ごしてるんだ。」


 「ここで一ヶ月も…。よく、耐えたのね。」


 思わずそう呟く。知らない世界で一人、この不安に耐え続ける苦しさを考えた。また同時に元の世界戻ることが容易いことではないと悟り、少し気が遠くなる。

 そんな私にきょとんとした顔を向けた後、レイは笑った。


 「そう悪い暮らしじゃなかったよ。記憶がない分、恋しさもないからね。それに、色々分かったこともある。」


 レイは月葉の喉を撫でながら、月葉が人間に拒否反応を起こさない体質ってのは聞いた?と、こちらに投げかける。


 「それとは逆に、どうやら僕は動物たちにその体質を持つみたいなんだ。つまり他の人間とは違って、僕だけは動物たちと普通に話ができる。さっきの鳥も、普通にしてるといい人だったよ。」


 あ、人じゃないか、とレイは小さく口角を上げて笑った。余計な筋肉を動かさず、ある意味脱力したような笑顔は、青年によく似合っていた。

 そしてその話を聞いて、鳥から逃げる時に聞いた声の主がレイであったことに気が付く。


 「…今回も、この社から、オレンジ色の光が空から降りてくるのが見えました。それも二つ一遍に。だからまた、人が降りてきたのだろうと思いました。」


 月葉が口を開いた。


 「きっと放っておけば、なす術もなく動物たちに襲われてしまうでしょう。それで迎えに行ったのです。」


 「僕はその時散歩してて気付かなかったんだ。後から月葉が慌てて僕を呼びにきたから、鳥のところへ行ってみたら、二人ともうまく逃げてるんだもの。やるなーって思って、とりあえず月葉にこの場所を案内させて、僕は鳥を宥めてたってわけ。」


 一通りの説明が終わり、レイはふーっと息をつき足を伸ばした。それに対して月葉は初めからほとんど姿勢を崩さないでいる。

 暫く隣で考え込み、アキが口を開いた。


 「……俺の解釈違いだったら申し訳ないんだが、とりあえずこの世界では想像が具現化できて、殺されない限り傷はすぐに癒える。そして動物たちは人間には攻撃的になって、なぜか月葉は攻撃的にならず、レイは攻撃されない。元の世界への帰り方はまだ分からないが、レイと月葉は俺たちを助けようとしてくれてるってことで合ってるか?」


 大体はね。とレイは肯いて言う。


 「帰り方が全く分からないわけじゃないんだ。憶測だけど。」


 「…それは?」


 私が促すと、レイは左手の人差し指を立てた。


 「ひとつは、何と言っても僕たちが記憶を取り戻すことだ。記憶を取り戻した瞬間帰れるって訳じゃないだろうけど、なぜここに居るのかがわかるかもしれないし、きっと重要な手掛かりにはなると思う。」


 もうひとつは、と言いかけてレイは少し口をつぐんだ。


 「…もうひとつは、危険があるんだけど」


 そう前置きをしてゆっくりと右手の人差し指を立てる。


 「僕ら以外にこの世界にいる、もう一人の人間に会うことだ。この世界にいる人間は、僕が知る中で僕と、君ら二人と、その子だけだから。」


 「…それが、どう危険なの?」


 私は尋ねた。


 「その子は僕が来る前からこの世界に居たんだ。月葉もいつから居たか知らないみたい。ただ、その子はどうやらある一部の動物を味方につけているらしい。」


 「レイみたいな体質ってことか?」


 「違う。拒否反応を起こしたままの動物が懐いているんだよ。」


 そう聞いたアキに、レイは静かに首を振って答えた。月葉が続ける。


 「私もレイも、手の付けられない、話が通じない動物がいるのです。そしてその動物たちはどういうわけかある区画に密集していて、そこに立ち入ろうとすると攻撃を仕掛けてきます。…まるで何かを守っているかのように。」


 「僕らは、そこにそのもう一人の人間がいると考えてるんだ。拒否反応を引き起こすことができるのは、人間だけだもの。…いずれにしろ、僕たちが知らないことがそこにあるんじゃないかな。」


 レイは自信なさげに最後、そう付け加え、申し訳なさそうに少し視線を下にやった。その視線の先では、また手を組んで指を遊ばせている。


 正直危険はもううんざりだった。治るとはいえ痛いものは痛いし、あの大きな動物たちに今日明日でまともに太刀打ちできるようになるとは思えない。

 

 しかし。

 今私は、自身にどんな歴史があるのか覚えていない。自分がどんな人間なのか、どんなことが嫌いで、どんなことが好きなのか。この世界のことと同じくらい、私は自分のことを知らない。それはまるで地面が崩れていくような恐怖だった。


 私にとって何よりも不安で恐ろしいことは、元の世界に帰れないことでも、動物に襲われることでもない。自分が誰だか分からないことだ。

 そしてそれを突き止めるためには、情報が必要なのだ。


 「…私は分からないことを知りたい。」


 私の言葉で、三人がパッと顔を上げた。


 「だから、出会ったばかりでお願いするのもおこがましいって思うけど、私をそのもう一人のとこに連れてってほしい。」


 「…俺も」


 アキが口を開いた。


 「俺も同意見だ。色々と思い出して、元の世界に戻りたい。協力してくれないか?」


 レイは真剣な眼差しで私たちを見つめた。

 その目は鋭く、心臓を射抜かれてしまいそうな力強さがあった。

 そしてその目を細め、彼はふっと笑った。


 「…勿論だよ。僕も同じ状況だしね。月葉は?」 


 「どこまでもお供します。…危険を承知の上であれば。」


 狼の表情が分かりにくいのはやはり人間と造りが違うからなのだろうか。月葉は笑っているような、それでいて悲しげにも見える顔をしていた。


 それから私とアキは二人にお礼を言って、四人で軽い自己紹介をした。気がつくと外に満ちていた光は消え、代わりに淡い暗闇が森を塗り替えている。

 入り口からそれを見ながら、私はこれからの日々に少し想いを馳せ、息を吐いた。


 

 

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