第5話 社

 柔らかな芝を踏み、歩いていく。

 あれから、月葉もアキも無言だった。全員、それぞれの一種の緊張感のようなものが漂っているのが分かる。周りの風景とは裏腹に、あまりいい空気ではない。私も私で既に酷く疲れていた。

 自然と月葉、私、アキの順に一列になっている。もう10分は歩いているが、風景は変わらず、幹の堂々とした茶色と芝の緑の、涼やかなコントラストが延々と続いている。つくづくここには植物しかないのかと思わせられる。

 自分の黒いスーツを見やる。きっとむしろここの異物は私たちなのだろう。考えることに疲れて、上着の上から、右腰にある銃に触れた。


 どれくらい歩いただろうか。不意に視界から木が消えた。


 「着きました。」


 月葉の声に前を向くと、突如鮮やかな赤に目を奪われる。


 そこには此処で初めて見る建造物があった。

 二段に分かれた短い階段の先に、こじんまりとした神社のようなものが建っていたのだ。


 薄く深い灰色をした屋根は大きく、それを支えるようにして、正面に大きな二本の柱が立っている。その柱の間には中へと続く階段が見え、部屋を一周囲むように手すりと足場が設置されている。そして屋根から下の柱や外壁は、目の冴えるような独特な朱色で彩られていた。


 建物だけを見ると正しく神社そのものだ。ただ、他の神社とは異なり、祀るために最も重要ともいえる賽銭箱やしめ縄がここにはなかった。それどころか、鳥居や灯篭もない。

 特に凝った装飾や彫刻も見られず、造りは簡素で小さな建物だったが、なぜか私は、神の社と呼ぶにこれ以上ふさわしいものを見たことがないように感じた。


 「どうぞ、中へお入り下さい。」


 私が呆気にとられている間に、月葉はいつの間にか神社の入り口に立ち、私とアキを見下ろしていた。


 「何でこんなところに…」


 そう呟きながらもアキは階段を登っていく。私も慌ててその跡を追った。


 普段神社には初詣くらいでしか訪れないため、何となく恐れ多い。ましてや中に入ったことなど一度もない。部屋へ続く階段を前にして、ふと芝の上を直で歩いてきたことを思い出し、せめてもと足の裏をはたいた。

 

 「土足でも構いませんよ。」

 

 それを見て月葉は言った。しかしながらアキも律儀に靴を脱ぎ、揃えて中に入っていく。やはりどんな状況でも、こういった建物は畏怖の念を抱かせるようだ。

 そろそろと中に入る。

 仏像や祭壇があるのかと勝手に思っていた、いや多分実際にはそうなのだろうが、そこにはそんなものは一切なかった。明るめの色をした木の床に、紫色の座布団が四つ、輪になるように並べられている。壁はクリーム色に近い白だ。外装さえ見なければ、何もない、八畳ほどの正方形の部屋である。

 

 アキが座布団に腰を下ろすのを見て、私も隣に座る。そしてようやく予てからの疑問を口にする。


 「此処はどこ、と言うか何なんですか。」


 私たちが座ったのを見て、月葉も座布団の上に腰を下ろした。狼がきちんと座布団の上に座っている様子は少々滑稽でもあったが、月葉の佇まいからか、妙にしっくりときていた。


 「…実を言うと私にもまだ分からないことが多い、特に原理については全く知らないのですが、出来る限りお答えしましょう。まず、此処は貴方がた二人がいた世界とは違う、また別の世界です。そうですね、では元の世界と此処の違いについて、最初にお話しましょう。」


 月葉は最初に会った時と同じように、前足を尻尾で覆った。


 「一つは、想像の具現化です。お二人ともこれは先程経験されたのではないでしょうか?ここでは頭の中に描いたイメージを、実際の現物として反映することが出来るのです。私たちはこれをと呼んでいます。ただこれにもいくつかルールがあります。」


月葉は私の腰の膨らみと、アキの手にしている布を見た。


 「まず、イメージした物を欲すること。ただ頭の中に浮かんだだけでは、それは物体化しません。そして、イメージした物の核となる要素を正しく把握していること。例えば、見た目だけ知っていて食べたことのない料理をリフレクトしようとしても、料理の核とも言える味という機能を知らないため、それは不可能です。しかし逆を言えば、どれだけ見た目の記憶が曖昧であっても味さえ知っていれば形はどうであれ、リフレクトは可能です。すなわち、見たことも触れたこともない、架空の道具でもリフレクトは可能なのです。」


 説明を聞きながら、銃をリフレクトした時のことを思い出す。確かに見た目は粗末な物だったが、銃としての機能は果たしていた。これは私が『銃は鉛玉を発射させ、攻撃する道具である』という機能を理解していたからだろう。

 不意に月葉が私の方を見る。


 「それとここでは心臓を停止させられる、つまり心臓に何か直接ダメージを与えられる以外は、どうやら無傷で済むようです。一瞬で治るといったほうが正しいでしょうか。」


 そう言われ、スーツの裂け目を広げてどうにか傷口を確認してみる。


 「…本当だ。」


 確かにそこには乾いた血以外に何の跡も残っていなかった。痛みを感じなかったのは、もう傷が治っていたからのようだ。

 

 「…さっきの鳥の反応は?何で攻撃してきたんだ?」


 アキがの問いに、月葉はうなずく。


 「そこが厄介な所です。此処には様々な動物がいます。どうやらここの動物は、人間を見ると拒否反応のようなものを起こすようなのです。しかも当の動物たちは、その時の自身の状態を覚えていない。」


 しゃがれ声の鳥を思い出す。確かに酷く攻撃的ではあった。さらに使っている言語は同じだったが、こちらの言葉は届いていない様子だった。

 ただ、と伏せ目がちに月葉は続ける。

 

 「何故か私には、その拒否反応が出ないのです。おかげで貴方たちとこうして会話が成り立ちます。最も、なぜか私はリフレクトも出来ないのですが。」


 最後の一言に、私は戦えない言った月葉を思い出す。あれはそういう意味だったのだろうか。


 「ということはここの動物は、えーと、貴方以外危険ということか?」


 名前が分からず、言葉に詰まるアキに対し、一度うなずき、月葉はその澄んだ黄金色の目で私たちを見据えた。


 「改めて、私は月葉つきはと申します。私自身、まだここで生まれ日が浅いのですが、お二人の味方です。」


 「…私はルカ。月葉、確認なんだけど、貴方はさっき助けを呼ぶと言ったのに、今、何で一人でいるの?」


 自身の名を告げ、私は尋ねた。

 月葉を信頼していいものか、正直まだ考えあぐねていたのだ。


 「それは僕が鳥を宥めてたからだよ。」


 突然発せられた声に驚き、私たちは入り口を見上げた。

 そこでは銀髪の青年が、微笑みをたたえて私たちをみつめていた。

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