第3話 具現化 

 一歩踏み出した途端、風に背中を押される。

 ぐん、と進む身体を何とか着地させ、適当な方向へ走る。凶暴な風も、上手くバランスを保てば追い風になる。


 「帰れ!帰れ!」


 鳥がそう叫んでいるのが聞こえる。同時に風が止み、どしどしという地鳴りが聞こえた。走りながらどうにか後ろを振り返ると、巨体を揺らしながらこちらに向かって二本足で突進してくる鳥が見えた。どうやらこの木々が邪魔で上手く飛ぶことが出来ないらしい。しかも足はそれほど速くない。ラッキーだ!


 再び前を向いて走ることに集中する。

 少し冷静さが戻ってきたのか、この状況への怒りが沸々と湧いてくる。そもそも帰れたらとっくにそうしているのだ。わざわざ視界から消えてやろうとしているのに、あの鳥は。何で追ってくるんだ畜生。


 何となくだが、このまま逃げ切るのは厳しいように感じる。ただ、攻撃するにしろ防戦にしろ、考える時間を稼がねば。手にしていた靴と鞄を投げ捨てる。持っていてもたいした武器にはならない。逃げるのに邪魔だ。

 

 「想像すれば…物が、出てくる…?」


 さっきの狼が言っていた事を考える。頭に描いた物が手元に現れると言う事だろうか。にわかに信じがたいが、それも今に始まったことではない。

 

 「何か……」


 武器になりそうな物。肝心な具体例が思いつかない。

 それに狼は『上手く』想像すれば、と言っていた気がする。おそらく中途半端なイメージでは駄目なのだろう。いつの間にか、鳥の足音も聞こえなくなっていた。

 

 一か八か立ち止まる。

 呼吸を整え、目を瞑った。

 とりあえず武器じゃなくて良い。

 何か私がイメージしやすい物……花?


 ここで花を思い浮かべた自分に疑問が湧く。しかし今はそんな事を考えている暇はない。


 花…花束…黄色…ひまわりの……


 ふっと掌にひんやりとした感覚が現れる。

 目を開け左手を確認する。綺麗な花々が見えた。

 私はいつの間にか、ラッピングまで丁寧に施された、立派な花束を持っていたのだ。


 「本当に」


 これだけ不可解なことが続いても、やはり驚いてしまう。

 しかしどうやらイメージしたことが現れるのは本当らしい。

 花束をそっと地面に置き、再び目を閉じる。次は武器だ。

 

 刃物は役に立たないだろう。持ったとしても、あの風では鳥に近づくことが出来ない。弓矢やボーガンも風に煽られてしまうし、第一使い方がわからない。銃…ピストルはどうだろう。


 少し集中してみる。右手に冷たい感触。


 目を開けると、確かにピストルらしき物を手にしていた。…が、しかし。


 「これ使えるの?」


 材質は確かに金属で引き金や銃口こそあったが、表面の凹凸は少なく、まるでトイレットペーパーの芯を組み合わせて作ったような銃だった。おもちゃの銃の方がまだそれっぽさがあるように思える。

 思わず舌打ちが出る。当然だ。銃なんかテレビか漫画の中でしか見た事ない。細部まで想像出来るはずもない。

 他に何かないのか。もっと想像しやすい、何でも倒せるような。

 

 「…あの」


 はっとして右を向く。狼の声ではない。


 「すいません、ここってどこか…知ってたりしますか?」


 木の間から現れたのは、何と一人の男性ではないか。


 「あ、危ないです!ここ!」


 思わず声を荒げる。その男性は驚いて足を止めた。

 グレーのロングTシャツに紺色のズボン。ごく一般的なラフな格好とさっきのセリフからすると、どうやら私と同じ状況の者のように思える。

 ぐるぐると世界が回るような感覚に陥る。頭のキャパがそろそろ限界だ。というか私以外にも人間が居たのか。


 その時、上の方でバキバキと木が折れる音がした。


 「いた!いた!」


 二、三度強い風が吹き、あの鳥が地面に着地してくる。どうやら障害のない上空を飛びながら私を探していたらしい。

 反射的に両手で銃を向ける。が、あの巨体にこの銃で本当に太刀打ちできるのかは益々疑問に思えてくる。


 「鳥…!?喋った…」


 男性の方は呆気にとられているようだ。無理もない。無理もないが、今は説明している場合でもない。

 

 「逃げてください!」


 男性にそう叫んで、鳥と対峙する。


 「私は別に戦いたくないし、傷付けたくない。けど、あなたが攻撃してくるんなら、撃ちますよ。」


 私がそう言うと、鳥は赤い鶏冠を揺らし、せせら笑うように叫んだ。


 「出ていけ!出ていけ!」


 会話が噛み合わない。先ほどの狼とは違い、私の言葉が理解できていないのだろうか。

 鳥はまた二、三度羽ばたいて、体を浮かせた。そしてそのままその鋭利な嘴を構え、ものすごいスピードでこちらに突撃してくる。

 私は慌てて右側に身を投げた。が、左腕に嘴がかすってししまう。


 「いっ……」


 思わず呻き声をあげる。

 そのまま近くの木の裏に転がり込んだ。

 芝の緑に鮮血が滴る。おそらく大した傷ではないが、その痛みに目が冴えるような感覚を覚える。呼吸が荒い。あの鳥は本気で私を殺しにきてる。


 「大丈夫ですか?」


 見上げると、隣の木に先ほどの男性がいた。


 「色々とよく分かってないんですけど、その銃って最初から持ってたんですか?」


 「いや、何かこう、想像すると、それが出てくるらしいんで、それで」

 

 気が動転して上手く説明できていないのが分かる。そもそも説明したところで受け入れてもらえるかは甚だ疑問なのだが。案の定男性は怪訝そうな顔をしている。


 「とにかく、逃げて下さい。」


 私はもう一度彼にそう言って、木から鳥の様子を伺う。

 

 「帰れ。帰れ。」


 確かに鳥はこちらを見つめている。

 そしてまた突進してくるつもりだろう。翼を広げた。

 手元の銃を見つめる。もう今はこれだけが頼りなのだ。

 私は意を決して木から飛び出した。

 鳥の翼の付け根を狙って引き金を引く。


 どうか、撃って!


 次の瞬間、発砲音と鳥の叫び声が轟いた。

 はっとして前を見ると、鳥の左の翼から血が滴っている。どうやらちゃんと威力はあるようだった。


 「もう諦めて。」


 なおも苦しむ鳥に向かって、懇願も込めそう投げかける。

 今の一撃でどれほどのダメージを与えたかは判らないが、翼の損傷は相当の痛手だろう。

 正直二発目も当てる自信はないし、ここまでして何だが、事は穏便に済ませたい。

 ところが、鳥はわなわなと身体を震わせはじめた。


 「出ていけ…!帰れ…!」


 少し離れたここからでも、鳥の全身の羽が逆立っているのが分かった。どうやら逆鱗に触れたらしい。

 

 「出ていけ!!」


 大きな足でどすどすと音を立て、荒れ狂ったように頭を振り回しながら鳥が近づいてくる。

 あまりの剣幕に逃げ腰になるが、もうやるしかない。

 再度銃を持つ右手を構えようとしたその時。

 

 背後から現れた手に右の手首を掴まれ、強い力で私は後ろに引っ張られた。


 

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