2-2. 地上からの独立

 ピョートルとの会話が今後の打ち合わせから他愛もない方向へと発展していくと、地面がかすかに振動した。二人は口を閉ざし、揺れが収まるまでのひとときを無言で過ごす。

 移住は、ヨコハマ港から伸ばされた海底トンネルを通じて行われた。移住完了と共にそのトンネルは爆破され、この科学都市は完全に地上から切り離される。今の揺れは、科学都市が地上から独立した記念花火のようなものだ。

「逃げ道は残しといたほうが良かったんじゃないのか」

「安住の地に押し入られたら困るでしょう?」

「おいおい、まさかとは思うが、こんな海底が安寧の地だって信じてるんじゃないだろうな」

「まさか。私は脱出までの秒読み中よ。まぁ脱出艇が準備できなかったから、数のお勉強止まりだけれど」

 地上に残された人々がこの海底科学都市の存在に気づき、なだれ込んでくるのを防ぐための処置だと聞いている。爆破するトンネルに近い西エリアはおそらくお祭り騒ぎの真っ最中であろう。そして管制室は、最終的な移住人数を確認して循環炉の出力調整をしている頃合いだ。移住前の準備中に何度も行った作業ではある。管制室を率いる二人がいなくても問題はないはずだった。

 だが、ピョートルとイライザの二人が首に引っ掛けたU字のインカムは、不穏なざわめきを伝えてくる。移住当日から想定通りにいかないとは、幸先が悪い。

「ほらな、言わんことじゃない」

 椅子を蹴る勢いで彼は立ち上がると、テーブルに置いたビール瓶をがしりと掴んだ。イライザはそんな彼からワンテンポ遅れて席を立つ。インカムが運ぶざわめきは、不吉な色を増していた。


 二人が管制室に戻れば、誰もが端末を抱えて何かを必死に確認している。部屋に入ってきた二人に言葉をかける余裕すらないらしい。循環炉のエラーかとイライザは管理パネルを覗き込むが、特におかしな動作はしていない。出力が予定よりも高いくらいで。

 イライザの横に並んだピョートルは誰かから説明を受けたらしく、端末を一台手にしていた。そこに表示されているのは、移住してきた人のリストと人数だ。イライザが記憶している予定人数よりも一割ほど多い。

「仕方ないわね、一号炉も二号炉も予定より五パーセント出力を上げて間に合わせるしかないわ」

「人口が減るまで子作り禁止だな」

 さすがというべきか、おどけたピョートルの冗句を素直に笑う者はいない。

 一号炉と二号炉の最大出力は同じだ。当初の予定では、普段の稼働率はそれぞれ四割半。メンテナンスなどで炉の一つを止めても、もう一基を九割稼働させれば間に合う計算だった。それが、現時点での稼働率が両循環炉ともに五割ずつ。メンテナンスで片方を止めるとなれば、もう片方は最大出力にせざるを得ない。なんらかの理由で最大出力が出なければ。なんらかの理由で循環出力を上げる必要に迫られれば。そんな不穏な可能性を考え始めればきりがない。

「とりあえず今日は解散。今から俺とイライザでシフトに入る。最初のシフト交代は四時間後だ。誰が来るんだ?」

 ピョートルの呼びかけに、黒縁丸眼鏡の青年が元気良く手を挙げる。リコ・ベルグラーノ・アルフォンソ。青白い不健康そうな顔が頼りなさげではあるが、優秀な物理チームのメンバーだ。イライザも彼に仕事を依頼したことがある。

 初日の浮ついた空気は既になりをひそめ、誰もが戸惑いを見せていた。不安げなざわめきを伴って彼らが退室すると、ピョートルは空いた椅子にどかりと座る。循環炉の管理パネルは爽やかなオール・グリーン。科学都市内の酸素濃度や湿度も一定で、指示された通りの働きをしていればいい機械は機嫌も良く好調だ。気楽なものね、などと呟きながらイライザはコーヒーを淹れる。こぽこぽと呑気な音が響いた。

「管制チームでムービーナイトでもする? ホラー映画でお決まりの展開を皆で履修するの。今後の参考になるかもしれないわ」

「やめとけ。チーム・モリマサと違って、こっちの人材はハートが繊細なんだ。次々と心臓発作でも起こされて倒れられたらシャレにならん」

 彼の隣に座ったイライザがコーヒーに口をつけながら軽口を叩けば、ピョートルはため息交じりに吐き捨てる。机に肘をついて髪をぐしゃぐしゃとかき乱すのは、事が思い通りに進まずいらいらした時の彼の癖だ。

 深くため息をついてピョートルが顔を上げた時、イライザは手に持ったマグカップとにらめっこをしていた。熱が加わると柄が変わるタイプのカップだったらしい。枠線しかなかったところにカラフルなブロックが表れ、どうはめ込むべきかをつい考え込んでしまったのだ。

「それリコのカップだろ」

「所有者が決まっていたって知っていたら取らなかったわ。大丈夫、彼が来るまでには証拠隠滅しておくから」

「割らなきゃ怒らないだろ、あいつは。……そういうゲーム、あんたは苦手そうだな」

「時間制限がなければ私にだってできるわ。落ちるのが速すぎるのよ」

「なるほど。持久走は得意でも瞬発力はないタイプ」

 勝手な評価を下してピョートルはふふっと笑い、大きく後ろに伸びる。

「あんた、意外と泰然と構えてるんだな。もっと焦るクチかと思った」

「人口を減らすのか、循環炉を増やすのか。後者が現実的でない以上、選択肢は実質前者一択。自然に減るのを待てれば良いんだけれども」

「いっそロシアンルーレットでもやるか? 退屈なほど安全な都市にようこそ、スリルを求めるのならばカジノまでってな」

「一年もすれば皆、科学都市での生活に飽きるのかしら。でもそれ、巻き添え食らって死にそうね」

「あんたは悪運強そうだから大丈夫だろ」

 どういう意味、とイライザが胡乱げな視線を投げかければ、ピョートルはヒュウと口笛を吹いて視線を逃す。ようやく飲み物を準備する気になったのか、彼女と顔を合わせないまま彼は立ち上がった。

「さぁて、ここからが始まりだぜ、お嬢様。頭痛薬の装備は十分か?」

「あなたのビールが減っていたら察してちょうだい」

 管理パネルはただひたすらに、問題がないことを主張し続けていた。

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