第3話 科学都市と環境保護

3-1. 意見の不一致

 管制室の当直シフト前に、イライザは東エリアのカフェテリアと足を運んだ。

 初めて訪れた日に咲いていた白い花は散ってしまったが、中央の池に生える水生植物が大きな蕾をつけているのを見たその日から、咲くのを楽しみに当直シフト後の憩いを求めて足繁く通っていた。しかし、咲いた花を見る前にいくつか既に枯れているのを発見してしまい、意気消沈したのだ。すると、コーヒーの上にたっぷりのホイップクリームを浮かべた女性が教えてくれたのだ。「時刻が違う」と。

 科学都市は眠らない街だ。朝や夜などの概念はない。地上からの習慣で二十四時間周期で生活している人が多いが、一日の始まりはまちまちだ。西エリアは時刻どころか季節の概念もないものだから、東エリアで地上の自然環境が細やかに再現されているのは、イライザにとって驚きだった。

 半信半疑ながら、はやる心を抑えてカフェテリアに入る。池に浮かんだ円い葉の上、ピンク色の花が大きく開いている。

「あ……咲いてる」

 水生植物の花だなんて初めて見るように思っていたが、実際に咲いて見ると既視感を覚えた。見た場所は覚えていないが、ヒョーガが「地下茎を掘り起こしたい」などと突拍子もないことを呟いてイライザは驚愕したものだ。落ち着いてから改めて、極東では地下茎が野菜として食べられるのだと彼に教えてもらった。西洋ではベジタリアン・レストランでたまに見かける食材ではあるが一般的ではないので、遭遇率は低く、値も張るのだ。あの、故郷について語らないヒョーガがそこまでいうのだ。きっと恋しくなる味なのだろうとイライザは思う。だが同時に、池の底から掘り返すのは手間に見合うのだろうかと密かに悩んだ。

「お、熱心だねぇ。ハスの花は見られたかい?」

「えぇ、お陰様で。時刻が関係しているとはまさか思わなかったわ。ありがとう」

「いいってことよ。美しい花は皆で愛でてこそってね」

 ぱちんとウィンクを一つ。

 エリカ・デル・ドルチェ。本名かどうか疑問の余地はあるが、東西の血が混ざった顔立ちをしている彼女はその名を名乗っている。その名の通り相当な甘党で、今日のお供はどうやら口にくわえた棒状の砂糖菓子らしい。そんな彼女はハスの実がなるのを待っているそうで、収穫して砂糖漬けにするのだと言う。

 医務室を担当するエリカは「生きていればいいだろう」をモットーに、なにやら後ろ暗い噂が後を絶たない。とはいえ今回の依頼主に当たる移住者たちは「生きてさえすればいい」とのことで、彼女で構わないらしい。イライザ自身は彼女の世話になるつもりはない。

「じゃあ、私はそろそろ行くわ。シフト交代の時刻なの」

「管制室は大変だねぇ。頑張りなよ」

「ありがとう。医務室には是非、閑散としていてほしいわ」

「それが一番だね。まぁ、面白いことが起こってくれると、あたしは楽しいんだけれども」

 にやりと笑うエリカの表情に悪意を感じ、イライザはぞわりと鳥肌が立つのを感じた。



「環境に配慮した素材を使うことに、なんの問題があるというんですか」

「ここにきてまで環境に配慮ときたか。見上げた根性だな」

「そんな自己中心的な方がいらっしゃるから、人類はこんなせせこましい場所に住むしかなくなったんでしょう?」

 イライザを迎え入れるために開いたスライドドアの向こう、これだから、と蔑むため息が聞こえて彼女は足を止めた。乱入者をすぐにでも追い返そうとしたのか、管制室の奥まで入れないよう立ちふさがるピョートルが、憎まれ口を叩く。

「そりゃどーも。毎日焼きたてパンしか食わんお前さんには劣るね」

「焼き上がりから一晩も経過したパンを食べろというの……⁉ なんて気持ちの悪い……けれど、それは関係ないでしょう?」

「あ? 環境の話を持ち出したのはそっちだろ。だったら環境のために殉教しろ」

「なぜそんな話になるの? 人類が生き延びるために環境を守るのでしょう? これだから野蛮な方は嫌い。そもそも環境保護というものは科学主導で行われるべきだというのに、その科学のトップがこれじゃあ、ね。先が思いやられるわ」

 彼らの横を抜けて管制室に入るかどうかをイライザは逡巡する。大げさに首を振ったその乱入者は、ばっちりお化粧をしスーツをびしっと着こなした女性だった。彼女はTシャツにジーンズ姿のイライザに軽蔑の視線をちらりと送り、憎々しげにピョートルを睨むと、かつかつと足音を立てて管制室から出て行く。

 スーツの彼女は、イライザも知っている。西エリアの担当建築士で、オープニングセレモニーでヒョーガが談笑していた相手だ。イライザは話したことがない。否、彼女とは話せた試しがない。

「邪魔したかしら?」

「いや……むしろ助かった」

 ピョートルははぁーっと大きく息をつくと、一つ伸びをして立ち上がった。流れる動作で彼が手に取るのは、机に置かれた空のマグカップだ。周期表が描かれたピョートル愛用のマグカップがイライザには羨ましくてたまらない。しかし、もはや家宝のごとく代々受け継がれてきたマグカップだと聞かされては、事あるごとに愛でる程度で我慢するしかなかった。

「コーヒー、いるか?」

「貰うわ。チョコレートも出していい?」

「チョコがなかったら、俺は仕方なく角砂糖を丸呑みするぞ。てか、ウォッカ一気飲みしちゃダメか?」

「お疲れね。せめて噛み砕いて甘さを味わった方がいいんじゃないかしら」

「やっぱダメか……」

 イライザのすげない返答に肩を落とすピョートルの姿が、棚の向こうに透けて見えるようだった。とはいえ、イライザはピョートルとシフト交代の時間だから管制室に来たのだ。勤務時間がもう終わる彼がアルコールを摂取したとして、なんら問題とは思わない。

 こぽこぽとコーヒーが入る音を聞きながら、イライザは戸棚に収められた缶を取り出す。缶に描かれているのは、子供達が防寒具を着込んでもこもこになりながら、スノーマンとやらを作っている様子らしい。伝統的なイラストだとイライザは教えられたが、雪といえば寒さに震えた記憶しかない。

 ぱかりと缶を開いて丸テーブルの中心に置くと、ピョートルがカップ二つを手に戻ってきた。

「ほら」

「ありがとう。あら、あなたのはミルク入りなの? 珍しいわね」

「と、砂糖。イライザはストレートだったろ?」

「えぇ、私はそこまで疲れていないもの。……何が問題だったの?」

 ピョートルはぐびぐびとコーヒーを呷ると、がたんと大きな音を立ててマグカップをテーブルに置く。先ほどの彼女も真っ青に震えて怒りそうなほど面倒臭そうなため息をつくと、頭を抱え、髪をがしがしとかき乱した。

「あいつら、西エリアの外壁を勝手に変えていたんだ」

「どんな風に?」

「環境に配慮した素材にしました、だと。他にも加工の手間を減らしてる。全部環境を守るためにやったんだとよ」

 マグカップから立ち上るコーヒーの香りを楽しみながら、イライザは黙考する。

 移住直前にヒョーガと窓の間隔と大きさについて眉をひそめたのをイライザは覚えている。あの時違和感を覚えたのは正しかったのだ。とはいえ、その正しさを無邪気に喜んでもいられない。今はまだ問題がないように見えたとしても、つけはやがて払わなければならない。移住してまだ数ヶ月の今から延々と外壁の耐久性に胃を痛めるよりも、崩れた時に初めて気づく方がイライザの精神衛生には良かったのではないのか。

「それは困ったわ。一部分の建物を切り離すことは可能だけれど、そしたらここにいる全員が生き残ることは不可能になる」

「そん時は西エリアの居住区画を切り離すしかないだろ」

 缶の中から摘み上げたチョコレートを次々口の中に放り込みながら、ピョートルがあっさりと告げる。

「そのためにあいつらが浮かせた予算使って隔壁増やしたんだ。あ、安心しろよ。管制室からこっちは守りきってみせるからさ」

 彼はぱちりとウィンクを一つ。

 ピョートルの仕事は評価しているが、こういう軟派なところはイライザの好みではない。よって減点一。

 ピョートルがなんだか傷ついたような表情を見せるが、心のケアは彼女の仕事ではない。

「あんたは環境のために死ねる人?」

「それなら科学都市にはいないわね」

「そりゃごもっとも」

 そもそもヒトが環境汚染の原因であるのだから、環境汚染をなくしたいと心の底から思うのならば、ヒトを絶滅させるのが一番手っ取り早いのだ。そんな簡単な事実に目を瞑るどころか経済成長のためといって人口を増やせば、将来の破綻は自明の理である。だからヒトのやるべきことは、もてる科学技術を総動員してでも生き延びることだ。海底科学都市の建造はその最たるものだ。

「科学都市の危機だってのに驚かないんだな。もしかしてチーム・モリマサはこーいうのも織り込み済みかぁ?」

「驚きはしないけれど、がっかりだわ。科学都市に移住したからには、ここにいる全員はいまや運命共同体。一人の勝手な行動が全員を殺すものよ。でも、まぁ、そうね。それは科学都市に限った話じゃないけれど」

 科学に支えられた人口的な環境とはいえ、科学都市はいわば、小さな地球にすぎないのだから。

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