第2話 オール・グリーン

2-1. 不吉な予感

「ご新規さん、御一同様到着しまーす!」

「循環炉の出力を上げろー!」

「はい! 循環炉、出力を上げます!」

 移住してくる人々を迎え入れるため、イライザたち管制チームは一足先に科学都市入りしていた。現在は入ってくる人数に合わせて循環炉の出力調整をしている。

 ここ、科学都市では、都市内のありとあらゆる全ての物質を循環させている。たとえば、ヒトが吐き出した二酸化炭素は炭素と酸素に分離される。酸素は室内の空気に混ぜ、炭素は化学反応の連鎖を経て食料となる。物質の循環が崩れる時、この都市は死を迎える。都市の死とは、都市に移住したイライザを含む全員の死だ。そんな最悪な結末を避けるために物質の循環を監視しているのが管制チームであり、あまたもの化学反応をその中で起こしているのが循環炉だ。

 基本的に炉の出力は都市内に存在する人口に比例する。個々人で代謝量が違うので、そこは全員が都市入りしてから調整する予定だ。よって現在進行形で移住が進められている現在、管制チーム二十名全員が揃っている必要はない。が、そこはそれ。やはり初日なのでお祭りのごとき盛り上がりを見せている。

 否。全員というには、一人足りないのだった。

「よ。モリマサ・リーダーは猫ちゃんのために欠席だって?」

「酷いと思わない? よほど神経質な子なのかしら。撫でさせてもくれなかったわ」

「俺からも熱いハグをプレゼントしたかったぜ……」

「猫ちゃんから爪を返礼されないように気をつけてね」

 ピョートル・ヴォルコフ。ヒョーガ・モリマサが管制室の化学チームを率いる一方で、ピョートルは物理チームを率いている。人にも動物にも暑苦しい男で、まだ地上にいた頃、熱い抱擁と頬ずりを贈られた飼い猫がものすごく迷惑そうな顔をしたのをイライザは実際に目撃してしまった。彼はそんなことでめげる柔な精神をしていないので、野良と見れば拾ってきては職場に連れ込んでいた。

「しっかし、そんな神経質な猫ちゃんだったら、モリマサ・リーダーは今頃引っかき傷だらけだな」

「猫ちゃんを独り占めするからよ」

「おーおー、触らせてもらえなかった猫ちゃんの恨みは怖いな!」

 がははと豪快に笑いながらピョートルは備え付けられた冷蔵庫に手を伸ばす。まだ空だろうと思っていたが、数本のビールが棚に転がされて冷やされているのが見えた。こういうことばかりは呆れるくらいに用意周到だ。

 ともあれ、ヒョーガが迎えに行ったのは本当に子猫なのか、イライザはいまだに悩んでいた。猫を見れば抱きあげずにはいられないピョートルではあるまいし、都市移住の直前に職務を放り投げて猫を拾いに行くだろうか。ヒョーガが移住にそこまで乗り気でなかったことは知っていても、だ。

「ん? もしかしてあんた、ヒョーガから聞いてないのか?」

「何を? 私が聞いたのは、『子猫ちゃんを拾いに行く』。その一言だけだわ」

「まじか」

 机の端で器用にビール瓶を開けたピョートルが、呆れたような視線をイライザに向ける。イライザが目眩を起こした後、ヒョーガとは一度も会っていないどころか見かけてすらいない。科学都市でどうせ顔を合わせるだろうからと、わざわざ探してまで会いに行かなかったのはどうやら悪手だったらしい。

「おいお前ら、あとは任せていいか? 俺はイライザとちょっとミーティングしてくる」

「はーい! まっかされましたー!」

「逆に心配になる返事はやめろ」

「えー、大丈夫ですよぉ。管理システム信じてますんで!」

「分かった、すぐ戻る。というかなんかあったら叫べ。インカムが拾うから」

 彼らのやりとりを微笑ましく見守っていれば、ピョートルがイライザを管制室の外へと誘った。どうやら他メンバーがいる場では話しにくいことらしい。どこに腰を落ち着けるか迷った挙句、彼は東エリアにあるカフェテリアに足を向ける。西エリアのカフェテリアではハイビスカスが咲き乱れパイナップルが実るトロピカルな雰囲気を味わえるが、東エリアは極東で親しまれている草木が持ち込まれたと聞く。それぞれの木が順番に花をつけるように調整されているらしく、今は低木の細くしなやかな枝を白く小さな花が覆っていた。カフェテリアの中央には池が作られており、円い葉が数枚浮かんでいる。

 カフェテリア全体を見渡せる角のテーブルにつき、二人とも壁を背にして座る。声を潜めてイライザは口を開いた。

「ヒョーガになにかあったの?」

「んにゃ、あったのは猫ちゃんのほうだな。どうも、移住組の誰かの子供らしい」

 答えるピョートルの口は重い。どうやらあまり良い話ではないらしい。

「移住組の誰かが地上に置き去りにしようとした、なんて話はあまり聞きたくないから遠慮してほしいのだけれど」

「ならばっちり当ててくんなよな……」

 ビールをラッパ飲みするピョートルは苦く笑う。イライザにだって当てる気はなかった。しかしそう考えるとヒョーガが保護しに行ったことも、そしてそのまま戻ってこなかったことも、腑に落ちるのだ。

「連れてきたら都市の定員オーバーになるから地上に残ったのね」

「子供一人くらいって思ったけど、やっぱ駄目か」

「駄目よ。例外を作ってしまえば、全てのルールが理由もなく破られる口実を与えることになる」

 片眉を上げ、まじまじとイライザの顔を眺めたピョートルは、がつんと音を立てて手に持った瓶をテーブルに置いた。どことなく哀れむような彼の表情に、彼女は閉口した。

「んにゃ……ストイックな生き方してんなって。生き辛いだろ、あんた」

「そうかしら?」

「ともあれ、モリマサの御仁が来なかったんだ。化学チームはあんたが率いるってことでいいのか?」

「そうね。私が総括するのが妥当でしょう」

「あんたさぁ……」

 ためらいもなく即答した彼女を前に、ビール瓶を手中で弄ぶピョートルの目に浮かぶのは憐憫か。やるせなさと共に吐き出されたため息には、普段彼が見せることのない苦悩が詰まっていた。彼はイライザよりも長い人生を送ってきたのだ。こんなしていても色々とあったのだろう。

「イライザ。あんたはだな、職務放棄した奴の尻拭いする必要も、無駄な責務を背負い込む必要もないんだぞ? ってか、そういうのは積極的に捨てていけ。じゃないとあんた、どっかで潰れるぞ。多分だが……いや、口にしたら事実になるな。無駄にフラグを立てるのはやめよう」

「不吉そうね、その予言」

「狭いところに大勢が押し込められたら、ロクなことが起こらないって相場が決まってんだよ」

 なにやらピョートルの言には実感が篭っているが、とりあえず気づかなかったことにした。

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