第4話 最終手段を使うわ
希望子の自転車は、ママチャリ型だが六段変速つきのスポーティなモデルだ。サドルの高さを絵美の身長に合わせ、走りやすいよう低速のギアに設定して、絵美をまたがらせる。
バランスが取りやすいように、絵美の鞄も希望子が持っている。
「ど、どうすればいいの?」
「どうすればって、ペダルこいだら進むし、ブレーキ踏んだら止まるのよ」
絵美は高校生だから、小学生に教えるよりは簡単だと、希望子は思っていた。
「うちが荷台持ってあげるから、ほら、両足で漕いでみな!」
「ええっ!」
希望子が無理やり後ろからぐい、と押したものの、あわてた絵美は両足をばたつかせるだけだった。どうやら絵美は、運動ができないタイプらしい。
「ああー、これは駄目ね。ちゃんと練習しないと」
「私、バスがあるから別にいいのだけど……」
「バスなんて何時間も待たないと使えないじゃない。自転車に乗れれば、高校から家まで自由に移動できるのよ。ってか、それが普通だから! 田舎に来たら田舎のルールに従え!」
絵美は不服そうだったが、一方でどこか思い当たるところもあるらしく「うーん」と唸っていた。こちらへ引っ越してきてからの不便さに嫌気が刺しているのだろう、と希望子は思う。
「とりあえず、あんたを自転車で走らせるのは危なすぎることがわかった。最終手段を使うわ」
「最終、手段?」
「うちのお母さんに、車で迎えに来てもらう」
「えっ、そんなの迷惑よ」
絵美が止めようとするのを気にせず、希望子は電話をかけた。
「あー、もしもしお母さん? あのね、部活の友達が自転車乗れなくて、鍛冶屋原までバスで帰るんだけど、バスがないから夕方まで帰れないらしいの! 可愛そうだからうちと一緒に送ってあげて!」
一方的に話す希望子を、絵美は呆然と見つめる。
「お母さん来てくれるって!」
「そんな。ガソリン代とか、かかっちゃうでしょ」
「いいのよ別に! 雨降った時とか、いつも迎えに来てもらってるもん」
「自転車はどうするの?」
「ミニバンだから一緒に積めるわよ」
「いいのかしら……」
元都内在住の絵美にとって、車で迎えに来てもらうことはとても贅沢なことのように思えた。それに、同じ部活とはいえ、まだ大して話したことのない希望子と、その母親が自分のためにわざわざ時間を作ってくれる、ということが絵美には信じられなかった。
十分ほど待つと、希望子の母親の車が御所高校に到着した。
希望子は慣れた様子でミニバンのシート配列を変え、自転車を積んだ。希望子が助手席に、絵美は二列目に座った。
「お、お願いします」
「あら、こんにちは」
希望子の母親はとても人がよく、いつもにこにこしていた。それなりに美人でもあった。希望子の電話を受けた後すぐ車を出したので、エプロン姿のままだった。東京では考えられないこの状況に、絵美はおどおどするばかりだった。
「すごく美人なお友達ねー。本当に高校生かしら?」
車を走らせながら、希望子の母親が言う。わざわざ迎えに来るのが面倒だ、という雰囲気は一切感じられない。希望子と同じで、世話好きなのだ。
「東中の子じゃないわね?」
「うん。東京の世田谷から引っ越してきたんだって」
絵美が答えずにいたら、希望子が勝手に言ってしまった。
「ええー、なんでまた東京から?」
「……お母さんの、仕事の都合で」
絵美が少し暗くなった。表向きはそうだが、本当はもっと複雑な事情なのかもしれない。そう思った希望子は、それ以上聞かなかった。
「お名前は?」
「神埼絵美です」
「神埼……あら、もしかして西畑二丁目の神埼さんの家?」
「そう、ですけど……なんでわかったんですか?」
「鍛冶屋原で神埼っていう名前の家、そこしかないもの」
恐るべき田舎のコミュニティの狭さ。名字だけで自宅を特定されるのだ。絵美にとっては衝撃的だった。
「ってか、西畑二丁目ってうちの近くじゃん。うちが四丁目だから」
「希望子ちゃんと一緒の時なら、一緒に送ってあげられて便利ね~」
「いや、そんな、お気になさらず」
「この子、東京に住んでたから、車で家まで送られた事ないんだって」
「えー、すごーい」
雑談をしていたら、すぐ絵美の家についた。
そこはとても大きな家で、母屋のほかに離れや納屋もあった。瓦屋根の伝統的な日本家屋で、少し古いようだが、補修をしてあるらしく見栄えはよかった。
「家でかっ!」
「あ、あの、ありがとうございました」
「いいのよー。こんど希望子に勉強教えてあげてね。この子アホだから」
「お母さん!」
まるで漫才のような親子の会話。車で送ってもらえたことも驚きだったが、母親と娘がこんなに親しく話していることの方が、絵美の印象に残った。
* * *
翌日の朝。
絵美は徳島に引っ越してきてからの日課で、スズメの鳴き声と共に目が覚める。
世田谷区と違い、徳島はやたらと野鳥が多かった。スズメがあちこちにいて、たまに家の屋根の下にも巣を作る、と母から聞いた。他にもメジロがたまに飛んできたり、どこかからウグイスの声が聞こえたり。田んぼを堂々と歩くシラサギを見た時は、あんなに大きい野鳥がいるものかとびっくりした。
東京に住んでいた頃は、野鳥の存在など考えたことがなかった。カラスがゴミ捨て場を荒らしているのを見て、いやな気分になっただけだ。こちらにもカラスはいるが、小さいし、不思議と悪さはしない。食べ物がいくらでもあるからだろうか。
この日、母は泊りがけの勤務で、家にいなかった。絵美は食パンをトースターで一枚だけ焼き、チョコペーストをつけて食べた。絵美は昔から食が細く、一枚全部だと多く感じるくらいだった。
今日は何をしようかな、と考えていたら、携帯が鳴った。
知らない番号だった。電話をかけてくるのは母しかいないので、絵美は取るかどうか迷った。もしかしたら母が携帯を家に忘れ、別の人の携帯でかけているのかもしれない。そう考えて、絵美は電話に出ることにした。
『もしもし。合唱部の小川希望子だけど』
「……えっ、なんで番号知ってるの?」
『部で連絡網作ったでしょ。今日はヒマ?』
「特に予定はないけれど」
『ふうん。じゃ、自転車の練習するわよ。あれだけ大きな家なんだから、自転車くらいあるでしょ?』
そういえば、倉庫の中に自転車が何台かあったと、絵美は思い出した。元々母の祖父母が住んでいた家で、両方とも亡くなってからは空き家となっていた。荷物はそのままだ。
「あると思うけど……」
『九時にあんたの家行くのでいい? あっ、もしかして絵美のお母さん厳しくて、家に友達入れてくれないタイプだったりする?』
「仕事でいないから、別にいいわ」
『そう。じゃ、九時に行くわ!』
絵美は慌てた。
女友達が家に来るなんて、絵美にとっては初めてだったからだ。
もともと大人しい絵美は、友達の家に行ったり、友達を呼んだりするほど他の子と親密にならなかった。中学生の頃も友達はいたが、せいぜい帰りに本屋へ寄る程度だった。
休日は、勉強するか、家族とどこかへ出かけるか、趣味に没頭するかの三択で、友達が遊びに来るという選択肢はなかった。
お茶を出さないと駄目かしら? お菓子はあったかしら?
どんな服を着ていればいいのかしら?
なんて迷っていたら、あっというまに時間が過ぎた。とりあえずシャワーを浴び、服を外出時に着るワンピースにして、身なりを整えた。
元農家の絵美の家は大きく、どこから入ればいいか、希望子はわからないだろうと思った絵美は門の外に出て、待つことにした。
「えっ、そんなとこで待ってなくていいのに!」
希望子は約束の十分前くらいに、自転車で颯爽と現れた。
ジャージ姿で、靴はサンダル。どう見てもすっぴん。色気のかけらもない。絵美からすれば、東京では最近めったに見かけない『ヤンキー』みたいに見えた。
「どこから入るかわからないと思って」
「わかるわよ!」
希望子はさっさと庭に入り、物置の脇に自転車を止めた。以前はマンションに住んでいた絵美は、こちらに引っ越してから郵便や銀行の営業が普通に敷地内へ入ってくるので、恐怖感を覚えていた。「希望子、あなたもそうなのね」と思わずにはいられなかった。田舎では当たり前のことなのだが。
「ってか、そんな綺麗な格好してたら、こけた時に服汚れるよ。ジャージ持ってない?」
「体操服なら……」
「それでいいわ。自転車、どこ?」
「こっちよ」
自転車は、一階がガレージ、二階が物置という豪華な納屋の奥でほこりをかぶっていた。
「あー。おばあちゃん仕様のやつね。でも車輪小さいから乗りやすいかな。あ、空気抜けてる。うちが準備するから、その間に着替えてきな!」
他人の家でも自分の家のようにずけずけと入ってくる希望子に恐怖を覚えながら、絵美は着替えのため、一度母屋に戻った。
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