無言の愛

 二〇二〇年五月二日土曜日午前八時。康弘が起きたとき、深夜に渚に送ったLINEのメッセージは未読のママだった。

 康弘は夕方まで仕事してから、いつものように飲みに行く予定だった。よくある週末の行動であったが、渚に送ったメッセージの返事が来るか来ないか、またもし来たらどう返すかといったことに気を取られることは間違いなかった。

 康弘は午後五時半頃、クロスバイクで家から約九キロ離れた川崎に飲みに出かけた。鶴見川沿いの道を走った。そよ風が心地よく、サイクリングには絶好の日和だった。河川敷では少年野球の試合が行われていた。

 康弘は京急川崎駅近くの歩道に自転車を停めると、近くにある激安の立ち飲み屋に入った。店はほぼ満席に近かった。もっとも密を避けるために席数を減らしていたが。康弘はテーブル席に着いて、スマホを取り出した。渚から返事は来てなかった。メッセージはまだ未読のママだった。一時間に一度以上の頻度でチェックしていた。ブロックされているかどうかのチェックもすでに何度かしていたが、されてなかった。

 こういうときは酒に限るな、と康弘は注文した白ホッピーセットで喉を潤しながら思った。

(悲しいときは、慰められ、嬉しいときは、いっそう楽しくなるからな。今日は酒がなかったら、はるかに苦痛に満ちた日を送ることになるだろう。それとも余計なことをしなければ良かったのだろうか? しかし、それはどうだろうか?)

 実際のところ、渚への思いが胸にある限り、いずれまた彼女に連絡することを予感していた。渚を忘れることがあるとすれば、他に好きな女性ができることだった。康弘はそのために行動を起こしており、この一年で何人かの女性と出会ったが成果はなかった。

 康弘はあん肝ポン酢を食しながら、ここ一年で出会った数人の女性のことを思い出していた。どの女性も渚とは比べ物にならなかった。そうした女性と二度目のデートにこぎつけたこともなかった。昔からそれが通例だった。結局、渚が例外だったのだろう。彼女は出会い系サイトの沼の中で見つけた宝玉だった。

 アジフライとマカロニサラダも食した。斜めの相席に喫煙者のオヤジが来た。薄くなっている頭髪や眉間のシワから四〇後半に見えた。今どき孤独なオヤジは珍しくない。だが、友達でもないオヤジ同士の交流は稀である。自分の年齢になれば、家庭を持ち、そこがメンタル面での拠り所になっている人も多い。その中で、休日に一人で飲んでいる者同士どう心を温められるのか?

 もっとも結婚して家庭を持つことは珍しいことではないし、それは自慢できることではない。自慢できることは、一握りの人しかできないことだ。渚のような女性と付き合うことも自慢できることに入るだろう。しかし、好きな女から愛されたとしても、自分の確たる能力が認められたわけではないのだ。何か賞を取ったり、出世したりするなどして能力を社会や組織から認められ、なおかつ女の愛を得るならどうだろうか? それでも、女の愛については、安心できないだろう。男の社会的地位は、恋愛で武器になりうるだろうが、女の愛は、そうした社会的属性に付随するものではない。結局のところ、無関係ではないだろうか。関係があることは、やはり愛だろう。つまり、女の愛とは自分の愛の反映というのが実情に近いのではないだろうか。

 そう考えたとき、自分は渚を愛していたと言えるだろうか? 残念ながら、否である。彼女のことを四六時中考えていたが、それでも愛していたとまでは言えない。しかし、それは当然のことかもしれない。出会ってから一か月かそこらはそういう時期であり、たとえば彼女と同居などという選択を検討するには、あと数か月はかかるのではないだろうか? その間ずっと楽しいことしかないというのはありえない。その間に喧嘩であったり、あるいはもっと微妙なことであれ、潜在的に破局の要因になるイベントや想念を経由してなお、相手が必要であり、相手と付き合いたいと思えるかどうか。お互いにそう思えたとき、次のステージに進めるだろう。

 とはいえ、おそらく彼女にはそうしたステージは見えてなかっただろう。まず、同居とは生活の共有であり、それは自分には経済的な面で無理だからだ。自分が彼女のマンションに引っ越したとき、ローンの半額を支払うことはできない。つまりはほとんどヒモということになるだろう。

 渚は二〇〇〇年代前半のITバブルの頃にビジネス面に限界があるという理由で雑誌出版社からIT会社に転職した、と言っていた。ビジネス面の限界。それは自分にはない視点だった。彼女が人生で物質的な面を重視していたというのは間違いないだろう。やはり彼女の相手としてもっとカネがある男が相応しいはずだ。

 カネ持ちになることは、確かに所得獲得能力の証であり、自慢の種にもなり得るが、それが目的になると楽しいとは思えない。だが現実にはカネがなければ女と付き合うためのスタート地点にも立てない。もちろん奇跡を夢見ることはできるが。しかし、女の愛という聖杯を求めてあがくことから下りても、充実感を持って生きる道はあり得るのではないだろうか?

 康弘にとって、それがあり得るとすればそれは小説執筆であった。他の活動に比べれば充実感を得られる可能性はある。なぜなら、それは積極的なことだから。さらに自らの人間性を発揮する場でもある。もちろん、人との会話でもその二つを満たせる。しかしながら、そこには限界があるだろう。通常は、何らかの問題について、深く掘り下げたりすることはできない。小説執筆では違う。そこではあらゆることが可能である。

 康弘は立ち飲み屋を出ると、スタバに入り、カフェミストを注文して、テーブル席に着くと、小説のネタ帳を開いた。それは白紙のノートだった。今の康弘にネタと言えば、渚のことしなかった。結局、康弘はパーソナルな話しか書けなかった。現実での痛みこそが小説執筆の動機だった。だからこそ、小説執筆は切実なものだった。しかし、安易な道に流れること、ある種の自己憐憫の場になることはあり得た。康弘はそれを超えたかった。書くことで失恋の傷が癒やされることはあるだろう。しかし、それが目標であってはならない。小説は芸術であるからだ。芸術である以上は、そこには、読者に何か衝撃を与えなくてはならない、と彼は考えていた。

 スタバを出た後は、HUBでジャンボジントニックを一杯飲んだ。HUBでは、コロナの影響でナンパは無理そうだった。LINEのメッセージには変わりなかった。時間は二二時を過ぎていた。諦めムードが支配的になった。もう見ないことにしよう、と心に決めた。そう決めたからには――。

 康弘はHUBからほど近い時代屋というバーに入った。長いバーカウンターに客はまばらだった。制服の若い男性のバーテンダーにマティーニを頼んだ。

 康弘は一杯飲むと、かなり酔が回り、渚への執着が消えた気がした。次の一杯は、マルガリータにした。それは、辛口で強いカクテルという康弘の要望に対するバーテンのおすすめだったからだ。

「このマルガリータというカクテルの背景には悲話があるんですよ」バーテンダーは、シェイクの後、カクテルグラスに白いカクテルを注ぐと言った。「『マルガリータ』というのは女性の名前なんですけど、事故で亡くなってしまって、彼女の恋人がマルガリータを偲んで作ったそうです。カクテル言葉は『無言の愛』です」

「えっ、『無言の愛』ですか……」

 康弘はその文言にハッとさせれらた。渚との交際に関連付ければ、無言の愛、つまりは連絡しないことこそが自分の貫くべき道だったのではないだろうか、と思えたのだった。それが男の美学ではないか、と。

 康弘はバーで二杯ほど飲んで、自転車で帰路に着いた。メッセージはまだ未読のママだった。康弘はサドルに跨ると何かから逃れるようにペダルを漕ぐ脚に力を入れた。

 やがて天気は小雨模様となった。クロスバイクは陸橋の歩道を走っていた。そのとき、LINEの通知音が聞こえた。康弘は思わず急ブレーキを掛けた。Vブレーキ特有の効きすぎる性質のため、車体はジャックナイフの形になり、次に車体ごと左に倒れた。次の瞬間、漕いでいる人の体は錆びた陸橋の低い欄干を超えた。

「うわっ、落ちるっ!!!」

 不意に死の冷たい息吹を感じたが、康弘は両手で欄干を掴み、落下を免れた。それは完全に反射的な動作だった。

(くそ! スタントマンかよ)

 彼はあらん限りの力を振り絞り、重力に打ち勝ち、歩道に体を入れた。

(ここで死んだら、せっかくのチャンスがふいになるからな)

 康弘がやっとの思いでLINEを開くと、メッセージは年に一度くらいしか連絡してこない、地元の友人からだった。

「コロナはどう?」

 康弘は思わず笑った。

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