488話 有頂天動その8

 《大いなる輪》の廻転。


 それに伴い、高まっていた《人界》の人々の想いは《輪》に吸い込まれていった。それに中てられていた彼女は、酔いが醒めるように正気を取り戻している。……ともすれば、術式を施されて以来、初めてのことだ。


 彼女は常に想念を浴びて、感応している。それは人数が多ければそれだけ強い波になって彼女を弄び飲み込む───ニーオの叛乱の際に、彼女が七転八倒していたのはそういうことだ───が、少なければ影響が全くないわけではない。


 想念感応の術式は、どれだけ微弱な想念であっても敏感に感応するように調節されている。そうすることでナヨラの素質が高まるだろうとユークリー家は考えたからだ。彼女が素面に立ち戻るには、本当に誰も踏み込んでこないような山奥に逃げるか、あるいは大海のど真ん中に小舟を浮かべるくらいしかないだろうし、聖究騎士にまで上り詰めてしまった彼女にとってそれは非現実的だ。


 常に酩酊状態そうであるなら。鍛錬も、必然的にそれに合わせたものとなる。


 敵手の《信業》を受け流す手さばきも、突き出す旗頭の狙いの付け方も、想念酔いがあるからこそのがあった。どう動くのか、何を狙っているのか、イルキシャルを握る彼女自身ですらその時まで分からない───そんな曖昧さが、彼女の強みの一端を担っていたのは間違いないのだ。


 それが、今はない。


 悪い意味で素直な狙いは読みやすい。彼女は体質上、戦闘経験もさほど豊富ではないのだ。


 けれど、それらの事情を考慮しても、その一撃は致命的だった。


「グっ、は!」


 棒立ちのヒウィラの反応は間に合わない。旗頭は真っすぐに彼女の心臓へと吸い込まれていき、鮮血を撒き散らしながら背中側から突き抜ける。びくん、と四肢が震える。ここから状況をひっくり返せる者は、《年輪》のヴェネロンのような蘇りを実現する《信業》の持ち主だけだろうし、ヒウィラの《信業》がそうではなさそうなことはここまでの交戦で掴んでいる。


 詰みだ。───そう確信したのは、やはり甘さ。


 彼女は判断してしまったのだ。心臓を潰されて生きていられるはずがない。《信業》的に蘇生も不可能。


 しかもナヨラは、ヒウィラ・ウクルメンシルのことを知らなかった。


 彼女は《真なる異端》、ただの《信業遣い》には計れないような常識外の怪物であると、ついさっき颶風の如くに突っ込んできたときに思い知ったはずなのに。


 それよりも何よりも、彼女はユヴォーシュと共に歩むことを誓い、実際にここまでやってきた筋金入りだ。この世界の誰よりも彼を見ている彼女は信じている、と。


 その隣に在ろうとする私が、じゃあこれっぽっちで止まっている場合じゃないだろう───!


「痛、い、……なあ、もう───!」


 口の端から血を滴らせながら《付和雷同なるイルキシャル》を掴んだヒウィラを見て、ナヨラ・ユークリーは心底から恐怖した。……だから、そういう真っ当なところからして既に、彼女は戦いに向いていない。

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