439話 悪嫁攫取その10
「───ヒウィラ・ウクルメンシルだ。彼女は。そうだろ?」
俺の言葉だけで、時は止まったようだった。
《妖圏》の夜、狂せし《地妖》の妖精王ゼオラド・メーコピィのところに突っ込む前夜、ヒウィラと大揉めして最終的に吐き出してしまった告白の、これは続きみたいなものだろう。
だから同じ気分になる。同じように、答えが欲しくて欲しくなくなる。
《人界》に於いて姓を等しくするということは即ち籍を入れる、ということ。彼女の育った《魔界》アディケードでも同じかは知らないが、聡い彼女のことだ、何を言いたいかはきっと察している。だからああして口元を押さえているんだろう。そうだろ。そうだよな?
返事をしてくれ。
頼むから。
俺の祈りが通じたのか、彼女は硬直からゆっくりと動き出す。口元を覆っていた手から力が抜けて、頬をなぞり下へ落ちて首に縋りつくみたいになる。目尻からぽろぽろと涙が零れる。嗚咽が漏れて、ついに涙腺が決壊した彼女は今度は顔全部を覆って泣き始めた。
「ユヴォーシュっ……、貴方は、っ、どうしてこんなタイミング、で……!」
「悪かったよ、土壇場で覚悟が決まっちまったんだよ。泣かないでくれ、頼むから……」
下手に格好をつけようとしたせいで、逆にこれっぽっちも格好がつかなくなってしまった俺は実に滑稽に見えることだろう。敵の目前、睨むディレヒトとナヨラを差し置いてヒウィラを慰めるのに精いっぱいなのだから。今斬りかかられたらどうにもできないぞ、正直。
「ふ、ううっ、くふ……」
「なあ、許してくれ。ああもうどうすれば泣き止んでくれるんだ……!」
「───いいえ、許しません。涙も出ようというものです。……だって、こんなにも嬉しいのだから」
───彼女は確かにそう言って、ぽかんとした俺を置き去りに神聖騎士たちに向き直る。手で隠していた下から出てきたのは、今まで見たこともないような晴れやかな泣き笑い。
「聞きましたか、聞きましたね、貴方たちが証人です! ええ、私はヒウィラ、ヒウィラ・ウクルメンシルです! 他の名で呼ぶようなことは断じて許しません。そう心得るように!」
未だかつてなく姫みたいな口調になっているのは、よほど気分が高揚したからだろうか。あのまま泣き暮れて戦えず、作戦は失敗、《人界》は新しい劫へなんてことにはなりそうもなくてひと安心ではあるが、これはこれでなかなかに恥ずかしい。あの調子だと《大いなる輪》までの道中でも大声で喧伝しそうだ。……まさかだよな?
まあ、それでも構わないくらいには、俺も受け入れてもらえて浮かれてるんだけどな。
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