432話 末世未明その4

 一人だけ困惑していないのは放り出された当のメール=ブラウ。彼はもみ合いのドサクサに紛れて両手から鎖を広げると、ンバスクを絡めとろうと手繰り───あと一歩のところでそれを躱され、「チッ」と舌打ちをする。


 一瞬前まで俺の命を獲りにきていた男が、あれはどう見てもンバスク狙いだった。


 本気でぶつかってきたから、てっきり誘いは断られたものと思っていたのに。というか俺が二人をぶつけようとしなかったらどうするつもりだったのか、もしも最初の肘鉄で俺がやられてたらどうするつもりだったんだ。あれやこれや思考が渦を巻くが、メール=ブラウが味方につくのならこの機を逃す話はない。俺は追撃すべく走り出し───


 ───俺の目線の高さに振るわれる鎖の鞭が、ヒウィラの棘と弾きあうのを間一髪で回避した。


「なんッ───危ないだろが!」


「危ない? 寝ぼけたことを言うな。俺はお前たちの味方をするつもりはない」


「は───」


 一歩でも踏み込めば鞭打ってくれるとばかりに鎖が振り回される。風を切る音すら澄んだ楽器のようで身が竦むとかそんな次元じゃない。仮にあれに生身で突っ込めば、肉が削げるよりも先に命中部がなくなるだろう。


 呆けた俺を制すように、厳しい顔のメール=ブラウは続ける。


「俺は言ったぞ。お前に興味はないってな。前と同じさ、お前の起こす混乱に乗じて自由にやらせてもらう。こんなところで死んじまうくらい鈍ってるならそこまでの話だったが、良かったな、合格だよ」


「そりゃどうも、お眼鏡にかなったようで何よりだよ」


「それがどうして未だここに居やがる。さっさと奥行け、《大いなる輪》をかっぱらって来い。《人界》の一番大事なところを土足で踏みにじって、頭の固い連中をブチ切れさせるのがお前の役割だろうが。行け。走れ。突っ込んで掻きまわして、何もかもグチャグチャにして来いッ」


「……彼もそう言っているのですし、行きましょう、ユヴォーシュ。私たちの目的を思い出してください」


「…………ああ、分かってるよ」


 そのとき、奴が動いた。


「行かせると───」


 ンバスクの鎖を警戒しながらも俺から目を離さなかったンバスクが踏み込む。踏み込んだはずの一歩は地面を踏みしめず、そのまま地中にめり込む───落下するように沈み消えた。彼の《神血励起》はあらゆるものを透過しながら、彼の剣だけは例外的にこちらを害してくるという無体な代物。かつて俺もそれに敗れたはずだが、それを。


「決めんのはテメェじゃねえよ!」


 怒号と共に鎖が地に叩きつけられる。石をスプーンですくうみたいに深く抉れる。というか、抉れるという域ではなく深い溝が刻まれたに等しい。そんな一撃でも、聖究騎士たるンバスクの肉体は耐えた。


 耐えたということは破壊されずともことを意味していて、鎖に当たったならあとはメール=ブラウの独壇場。


 地中を進んでいたンバスクは釣り上げられ、ダイナミックなスウィングと共に空の彼方まで放り投げた!

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