424話 決戦前夜その4

「おやまあ、随分と……」


「荒っぽいと言いたいのならば、聞きませんよ」


 図星に口を噤むカストラスを横目に、ヒウィラはぐっすりと眠る彼に毛布をかけてやる。《信業》───心象の発露を行使して強制的に眠らせたにしては優しい手つきなのがアンバランスさを醸し出していて、さほど興味もなかったはずなのにカストラスはつい、


「大丈夫かい? これで彼が起きないうちに《大いなる輪》が廻り切ったりしたら───」


「───その時は、彼を連れてどこへなりとも逃げます。《人界》がダメならばどこか他の場所へ」


 その返答はカストラスにとって予想外で、まるきり返す言葉を持たなかった。しかし言われてみれば当然だ、。《人界》で生まれ育ったわけではなく、《人界》に強く入れ込んでいるわけでもない。だけで、彼女からすればどうでもいい───とまではいかないが、決して最優先ではないのだろう。


 ならば一番に優先するのは何か? 決まっている。


 《信業》のもたらす睡眠に陥って、ユヴォーシュはあどけないと言っても差し支えない顔で眠っている。その頬に触れるか触れないかの手つきは、とても優しかった。


「……彼に嫌われてしまうかもしれないよ?」


「それでも構いません。彼が無事なら、それで」


 そうまできっぱり言い切られてしまっては、思いの深さには感服するしかない。魔族が人族にこれほど思い入れた例は未だかつて聞いたことがない───千年生きて、二つの劫を見てきたカストラス。彼が九聖卿だった前の劫の《人界》でも、やはり《魔界》と魔族は相容れない敵以外の何物でもなかった。それがどうだ、こうして彼の知る二つ目の劫の終わりが近づくなか、人族同士でだって稀となるような関係が築かれているのを見て、何も思わないほどにカストラスの心も死んではいなかった。


「……羨ましい男だ。まったく」


 彼ならば───初めて出会った時もそうだった、と思いを馳せる。学術都市レグマで遭ったとき、彼と共に在ったのはバスティの神体だった。信庁に与さぬ《信業遣い》という異常性を一目で見抜いたカストラスは、彼ならば何か、ようなことを成し遂げるのではないかと思って、縁を結ぶべく禁書庫へと差し向けたが───実を言えば、『バズ=ミディクス補記稿』はそれほど必死になって読みたいようなものではなかったのだ。一冊隣の書であろうと構わなかった。


 彼に“カストラス”を覚えてもらえるなら、それこそブックエンドだって良かった。


 けれど禁書庫破りを持ち掛けた時は、まさかこれほどのものをご覧に入れられるとは夢にも思わなかった。《人界》を救わんと立ち上がり、その道中、心を交わし過ぎた魔族によって昏倒させられているこの情景そのものが、まるで夢なのではないかと疑いたくなるような絵空事。


 カストラスは、もう笑うしかなかった。

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