423話 決戦前夜その3

「はいはい。いいですから、早く仮眠を───」


「いいや、その必要はない───というか、うん、まあ」


 観測から戻ってきたカストラスが奇妙に口ごもる。様子からしてさほど悪い知らせという印象は受けないが、どうしたのだろう。


「場所分かったのか?」


「それなんだけれどね、ここはもう随分と聖都に近い。今すぐ向かうとおそらく日中ド真ん中に聖都入りすることになりそうだ。聖都に開いている《経》は二カ所だったな?」


「ああ」


 具体的には信庁本殿の一画、忌まわしくも俺が《虚空の孔》刑に処された小部屋が一つ。それとは別に、聖都郊外の丘に開く不安定《経》が存在するのだ。《虚空の孔》刑で《枯界》送りになった俺が這う這うの体で《人界》へ帰還したのも、聖都で大暴れしたニーオを追いかけるために開いたのもその《経》だ。


 郊外そちらは信庁に捕捉されていないんじゃないかと踏んでいるから、今回潜入するのもそちらを使う予定で、しかしそうなると問題は人目の心配だった。


 郊外の《経》は聖都入りするのに門を通る必要がある。流石に俺を通してくれるとは思えず、さらにそこに魔族のヒウィラを連れてでは誤魔化せるものも誤魔化せなくなる。だからといって《光背》で空を飛んでなんて目立つ手段も取れず、結局夜間にひっそりと忍び込む方向で話をまとめていた。


「《枯界》の砂嵐の中でなんてとても休めないですし、休むとすれば聖都に近づいてからか、今ここで。そういう話ですね?」


「その通り。私としては、ここでしっかり休んでおくべきだと思うのだけれどね」


「信庁の様子を外から見てみたかったりもするけど……」


 言いはしたが、そこまで必死になるほどのことでもない。あとの心残りはと言えば……。


「もう一つくらい、別の《経》を探したりしてみたかったんだけどなあ……」


「それで時間を食って、戻ろうとした先の《人界》がなくなっていたら笑い話にもならないぞ。まだ猶予はあるはずとはいえ、不確定要素は潰しておくべきさ」


「それはまあ、その通りだと思う」


 カストラスの指摘に俺は素直に頷く。すでに一つ、とんでもない我儘を聞いてもらっている身なのだ。これ以上はもういけない。《人界》を終わらせないために、やれることは全部やって、不安なことは全部摘み取って。


 今すべきことは休息だ。このあとの《枯界》踏破、そして聖都に潜入する一連の流れ。儀式の流れからしてまだもう一晩くらいはあるはずだが、これが最後の夜かもしれないと思いながら、それでも緊張状態をぶった切る。


 そうしなければならないのに、どうしてだろう、今までこんなことはなかったのに、眠れない。


 寝つきも寝起きも自信があった。征討軍にいたころから、寝ようと思えば、あるいは起きようと思えば思い通りにならなかったことなど皆無だった。その俺が、こんな、


「───私が見ていますから。だからそんなに、怯えなくて大丈夫」


「……え?」


 何を言われたのか、意味が分からなくて俺は目を見開く。ヒウィラの澄んだ美貌には、今まで見たこともない───けれど決して負の感情ではない何かが浮かんでいた。それを見て俺にゆっくりと意味がしみ込んでくる。ああ、俺は恐ろしかったのか、と。


「軽口叩いて、寝付けなくてゴロゴロして、このまま眠ってもきっと悪い夢を見て飛び起きて。そんな必要はないでしょう。。だから、


 額をそっと撫ぜられて、彼女の細い指がするりと俺の前髪を梳く。すると突如として猛烈な眠気に包まれる。さっきまでそんな気配は微塵もなかったのに、緊張が解れて……とかそんな度合いじゃない、明らかに異常だ。さては、ヒウィラ───!


「何……だ、その───《ギフ……」


 言い切ることもできず、俺は眠りの中へと落ちていく。彼女が作り出した眠りの中へ。

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