383話 都市壊乱その6

 ドン、と壮絶な音が続く。それが合図と分かって、彼女は扉を開いて眼下を見下ろす。


「やっていますね。大胆なこと……」


 ヒウィラが出た先は都市政庁、ディゴールで最も高い建物の上層階の一室だ。ムールギャゼットの表の顔はここに勤める職員であり、秘密裏にこうした抜け穴を構築するのは容易いことだったのだ。


 彼女の役割分担上、誤差だとしても上空に接近しておくに越したことはない。既に認識遮蔽ステルスの《信業》を施しているが《發陽眼》の眷属たちがそれを見抜けないと過信するのは危険だ。


「では、今のうちに」


 足音は消音され、姿すら捉えられない。いつぞやニーオリジェラから逃れるためにも使った《信業》───不安感から逃げるために自らを隠すそれは、幸いと言うべきか今は実質的に使い放題だ。これほどの混乱の渦中にあって不安の種は尽きない。目的地にたどり着くまで全く誰の目にも留まることなく、彼女は行きおおせた。


 彼女が出たのは都市政庁の最上階。出入口の扉を開いた瞬間に猛烈な風が吹き込んできて顔をしかめる。《信業》や非論理式奇蹟で風防をしておけば目を閉じずに済んだが、そのちょっとした労力を厭って横着をしたのだ。


 それが仇となった。


 彼女自身が身を隠していても扉が開くことまでは隠せていなかった。待ち構えていた者はそこを狙い、鋭い光が閃いたかと思うとヒウィラの喉笛から鮮血が迸るが、それを視認できるのは彼女自身だけだ。


「──────ッ」


 ただ致命傷を与えるだけならここまで深々と斬り裂く必要はない。声が出せないよう声帯を破壊したのは、魔術師を警戒してのことだろう。生憎とヒウィラには心得はなく、ユヴォーシュにもない。だから敵は誰か分からないうちはとりあえずまじゅつを奪うことを選択したのだ。


 つまりまだ彼女は正体が露見していない。


 喉を押さえながら下手人を睨む。先ほども遭遇したあの女、白皙の妖属がそこにいる。燃える瞳は元の色ではないだろうが、涼やかな雰囲気、ぴんと尖った耳、そして際立って整った容姿。頭のてっぺんからざっと観察して、うん、と一つ彼女は納得する。


 ───私と似ている。


 もちろん、ぱっと見の印象の話であって落ち着いてよく見てみればそんなことはない。それに似ていると言ってもヒウィラが人族に擬態しているときのみで、耳飾りを外せば魔族たる《悪精》と妖属たる《幻妖》は肌と白目で明白に区別できる。だが彼女にそんな冷静な思考はなく───印象が被っているなら、負けるわけにはいかないという意地だった。


 この女には負けられない。こんな傷を負わされて、それで倒れているんじゃ我慢がならない。だから認められない、受け入れられない、こんな傷は───治って然るべきだ。


 血液が沸騰するようなむず痒さと共に、喉の割創がつけられたのと逆回しに塞がっていく。気管と食道とに流れ込んだ血液を咳一発で排出する───これまで散々この身で体感してきた《光背》、あの感覚を再現したのだ。これで全部元通り、だから手を前に突き出して、


 敵意を杭の形で放出する。


 白皙の妖属クァリミンはあっさりと縫い留められる。ぐったりとしているが重要器官は避けたはずだし、最悪の場合死んでいてもそれで構わない。その時はその時で蘇生すれば同じことだろうと考える彼女は、より《信業遣い》らしくなったと言えるだろう。


「───貴方が悪いんですよ。抵抗してくるから、手加減できなかった」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る