364話 九界奪還その6

 ───時を遡って、二日前。


 《人界》、西方は交易都市カリークシラ。


 禁書たるバズ=ミディクス補記稿を回収せんと西方へ赴いたユヴォーシュが足跡を刻んだこの地にも、異変は現れていた。


「───どうしたの、お母さんッ、お父さんッ!」


 悲鳴を上げながら少女が縋りつくのは、その言葉からして両親なのだろう。瞳を硫黄色に燃やすのは二人だけではなく、このさほど大きくない街の住人のおよそ四分の一。それが合図もないのに表通りに集まって、一様に突っ立っているのは不気味でしかない。少女も怯えながらどうにか自分の方を向かせようと必死になっている。


 少女は非力だが、それでも全力で引っ張れば大人の一人くらいは体勢を崩すものだろうと思っていた。それがびくともしない。人と同じ大きさの鉄の像のようではないか。


 彼らはのだ。全世界で同時に起動したためあちこちに散らばっている彼らは、個々では。新たに補充がきかない眷属たちを各個撃破されれば、何もできないまま終わってしまう。


 だから数に頼る。一対一で勝ち目がなくとも、多対一で囲めれば神聖騎士すら倒せるのは既に証明済みだ。ここにいる彼らではないが、同じ眷属が神聖騎士を討ったのだ───《暁に吼えるもの》という大きな意識の網ネットワークに繋がっている彼らは、ここに居ながら同胞の知った情報の全てを共有できる。彼らはいま、群にして個なのだ。


 西方の各地で萌芽した眷属たちが、おのおの集まってきている。カリークシラにいる眷属たちだと神聖騎士と遭遇したとき心もとないので、同じようなグループと合流させようという目論見。


 縋りついて泣き喚く自分たちの娘など一顧だにせず、眷属と化した住民たちは同胞の到着を待つ。そろそろだ。一団が到着したらそのまま住民たちもこの街を後にして目的地へと向かう。


 より多くの眷属が集まれば信庁と神聖騎士たちと全面戦争になったとしても勝機は十分にある。そのためには西方にまばらにしか存在しない眷属たちを、最も眷属の多い地へ───約束の地へと集結することは必須だ。


 西から東へ、日の出でる方へ、


 ───かつて探窟都市と、そして今は前線都市と呼び習わされる、ディゴールへと。


 全てを捨てて、己の自由も日々の暮らしも子供だって───人間性すら捨てて、焼き付いたような渇愛に教え導かれるままに。


 いつかユヴォーシュが旅をして、少しでも彼を見たり、関わったり、覚えたりしていれば、それを契機として───僅かな縁すら手繰って感染する。増悪する。語り継がれていくさまは、あたかも悪性の神話であるかのようだった。

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