363話 九界奪還その5

「私に何の用だ」


「よう、悪いな───呼びつけちまって。遠回りしている暇がないもんでな」


「ならば簡潔に話せ。《角妖》ケルヌンノスを殺したから戻ってきたのか?」


「ああ、そう言えばそんな話だったよな。それに関しちゃ間違いない、キッチリ命で贖わせたが───聞くだけ野暮だと思うが、《人界》、非道いことになってないか?」


「やはりお前の仕業か」


「……ケルヌンノスの置き土産だよ。アイツに謀られて、まんまとしてやられた。俺のことを利用してやがったんだ。だから……」


 隙の無い表情を崩さなかったユヴォーシュが、そこで見せた感情が何だか、一瞬であったから読み取るのは難しかった。近いものでいうなら───痛み、だろうか?


「落とし前は俺がつけたい。全部ひっくるめて俺の仕事だろう。───ディゴールは俺に任せてくれ」


「…………」


 それは《人界》最悪の地と化した都市の名だ。どのような状況になっているかの把握すらままならない、禍の極点。


 信庁の手による確実な解決を考えるなら、聖究騎士複数名の投入が望ましいだろう。それを彼は一人でやってみせると言っている。そもそも彼が元凶であり、前線都市ディゴールに集結した同胞と合流を目論んでいるのだとすればここでみすみす行かせるのは最悪の選択肢だが、それならば《転移紋》の行先をディゴールに設定すればいいだけの話。敢えて聖都に出向いて危険に身を晒す必要はないのだから、つまり───


 そのとき、ディレヒト・グラフベルは極度の疲労で朦朧としていたに違いない。


 少なくともユヴォーシュ・ウクルメンシルの瞳を見て、彼を信じてみようと考えたよりは、寝不足の余り思考を放棄したと考える方が自然だ。


「……いいだろう。前線都市ディゴールはお前に預ける」


「恩に着る」


「二日だ。二日以内に都市総督から連絡を入れさせろ。さもなくばお前が失敗したと看做す。その時は───」


「俺とディゴールの命はないものと思え、か? 覚悟してるさ」


 ならばこれ以上の言は不要だろう。後はユヴォーシュがどうにかする話で、ディレヒトがすべきはユヴォーシュが失敗した場合、またはユヴォーシュが裏切った場合に備えること。


 ……ここで彼が現れたのは僥倖だった、と言っていい。ディレヒトは内心密かにそう考える。彼が《人界》へ戻ってきて、事態を更に引っ掻き回すと分かったから、これで心置きなく、と。


「ならばいい。行け、ディゴールがどうなるかはお前次第だ」


 話は済んだ、もはやどうなろうと関係はない。ユヴォーシュが立ち去るのを見届けようと突っ立つディレヒトに、ユヴォーシュは頬を掻いて、けれどこれっぽっちも臆することなくぬけぬけと、


「……悪いんだけどさ、《転移紋》、も一回借りていいか?」


 ───この男は、どこまで。


 どこまで自由気ままなのだろうか。


 その瞬間、ディレヒトの無表情という仮面の裏で猛烈に湧きおこったのは、ほとんどが怒りだったが。


 ……ほんの僅か、憧れがあったのを、決して否定することはできなかった。

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