355話 悪獣弑逆その5

 距離をとって立て直す。すぐに追撃が来る、それまでに傷だらけの肉体を修復しないと───そう思って急いだのに、どういうワケかヤツは吹き飛ばされっぱなしだ。またぞろあの変形移動をしてくるかと身構えていたのをされる。


 何を企んでいるのかは知らないが、本能的に俺に襲い掛かってきたヤツが逃げることは考慮に入れる必要はない。何が来ても迎え撃って───


 そこまで考えていた俺は、ふと状況が変化しているのに気づく。


 吹き飛ばされたアイツの方に、風が───


 吹き込み続けて、天すら荒れ狂う。重苦しい雲が次々と湧いてきて、空が見る間に黒く濁ってしまった。風は収まるどころかその勢いを増し続ける。


 誰しも疑問に思うことだろう。いったい、この一点に集中している空気はに消えたのだろう、と。


 答えはヤツの、


 看過できず駆け寄って初めて分かった。悪獣はただだけなのだ。


 口もない異形のどこから取り入れているのかと思えば、ヤツの口は顔面にはなく。ヒトなら背骨があるあたりに牙がズラリと生え揃っているのはともすればたてがみのように見えないこともないが、正中線が裂けるように開いているのは見るからに異常で、おぞましい。


 前かがみになって大きく深呼吸している怪物は最早小さな嵐と化していた。渦巻く大気の中心、は際限なく息を吸うことで強制的に低気圧状態を発生させている。どこまでやる気かは知らないが、どのみち放置するつもりはない。


 俺は覚悟を決めると、ゴオオオと風の音がするただ中へと突っ込、


「──────ッ、バ゛ァ゛ッ゛」


 ───


 天候すら変動させるほど一極集中した空気は、もはや空気とは呼べない。それは純粋なであり、破壊そのものだ。


 汚らしい咆声と共に解放された空気が押し寄せる。避ければそこをあの変形移動で襲われる。全方位に対応できる《光背》で受けるしかない。だが───耐えきれるだろうか?


 ……耐えるさ。それしかないとか以前に、俺が何としてもこいつに勝ちたいから。全力振り絞ってぶつかり合ってやる。


「来やがれッ───!」


 衝撃は骨を伝わって脳まで揺らした。


 思考を魂に任せて肉体は諦める。最終的に立ってりゃそれでいい!


 膨大な空気を吐き出し続ける獣と、それを《光背》で押し返す俺の均衡は、永遠のように見えて一瞬で終わった。風の奔流が唐突に途切れる───発生源がいなくなったんだ。《光背》を反転させて己ごと黒に呑みこむと、すぐ傍らで絶叫が響いた。


 《光背》を止めて斬りかかると、今度こそ確かな手応え。何かぶよぶよとしたものを斬った感覚だが、傷つけられて悲鳴まで上げるなら、どうあれ殺す算段は立てられる。自傷の激痛の中でも太々しく、俺は歯を剥き出しに嗤ってやる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る