352話 悪獣弑逆その2

 俺は一気に跳び上がる。


 ヒウィラの治療に時間をかけちまったが、やはりケルヌンノスは屋上に留まっていた。待っていたわけではないだろう、目を見れば分かる。


 ケルヌンノス。《角妖》の生き残りにして、俺の人生を裏から操っていた因縁の相手。


 《九界》ならざる外の世界の伝説にある、有角獣神の神名を騙るもの。しかしてその実態は、隔絶の域まで唯一想念を純化することによって顕現せしめた悪性神格。


 《暁に吼えるもの》の化身、異界尖兵ケルヌンノス。それがヤツの真実だ。


 野放しにすれば展開中の大儀式で災いを齎すか、逃げて潜伏して次の期を伺うか。いずれにせよ害悪以外の何者でもない。


 ここで、ケリをつけてやる。


 ケルヌンノスの枝分かれした角がざわざわと伸びる───いいや違う、変質している。物質的な角が置き換わっているのは、


 閃光、


 ───衝撃が俺を走り抜けてから、が雷だったのだと理解した。防げなかったのは速度でも出力でもない、ただただ《光背》をきたのだ。


 俺の知らない概念、俺の想像力の及ばない埒外からの攻撃を、《光背》は防ぎ得ない。人族の鼓膜では聴こえない音を、耳栓をしたとして遮れているかどうか確かめるすべがないように。


 だから裏を返せば、そこを防げばいい。俺の肉体にダメージを及ぼしているものを問答無用で弾くようにして、どうにか二撃目以降は無防備に喰らうことはなくなった。


「ふ……ッざけんなよ、一発喰らえば十分ってか!」


「堪能したよ、だから死ねッ!」


 距離を詰めてアルルイヤを振り下ろす。権杖は宙に浮いたままで、どうやらアレを武器にするつもりはないらしいから次はケルヌンノスが無防備になる番だ。生憎と戦いを楽しむ趣味はないからさっさと決着をつけるつもりの一閃は、しかし目前で何かに阻まれた。


 これは───黒い裂け目、か?


「来たれ、来たれ《無明なるもの》よ! 悪逆の男を喰らい給えッ!」


「悪はテメェだろうがッ!」


 裂け目は世界に広がるもの、その向こう側にはまったく別の世界が繋がっている。そこからケルヌンノス自身とは別の《暁に吼えるもの》の化身を招来せんとしているのを把握して、俺は《光背》を解除する。光に照らされた影すべてを己の身体と成さしめる《無明なるもの》相手に、否応なしに照らし出してしまう《光背》は相性最悪だ。


 裂け目から伸びてきた無数の手のすべてを迎撃するには剣術だけじゃ到底足りない。───仕方ない。俺は腹を括る。


 全身に間断なく加えられた攻撃は俺の肉体をズタボロにする。ディレヒトの総攻撃を浴びたニーオよりも悲惨な有様、《信業》で強化してもとても動ける状態ではない。即死していないのがおかしいくらいだ。


 その状況でも俺の足は止まっていない。俺を貫き留めている腕から脱するために、進むのみ。激痛はくどいくらいで、他のものはないのかという気分になってくる。


「死んでおけよ、何故死なない───ユヴォーシュ!」


「死ぬワケねぇだろが、ケジメつけてないのに!」


 負傷を無視して進むこと十数歩、ついに目前まで辿り着いた俺は魔剣を振り下ろす。鮮血をまき散らしながらケルヌンノスがどう、と膝をついた。


「───俺の勝ちだ、《暁に吼えるもの》!」

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