351話 悪獣弑逆その1

「おいおいおい、マジかよバスティ……!」


 一心同体、同じ《暁に吼えるもの》の化身として、バスティがどうなったのかをケルヌンノスはその場にいなくとも把握していた。だが降りてこなかったのは、彼もまた手を離せない状態だったから。


 ウディスタス奏星幹を駆使して《魁の塔》の最上階で儀式を執り行っている真っ最中の彼は、その場を離れてはいけない。すべてを投げ捨てて下階に駆け出せば、ただでさえガタガタになりつつある計画がオジャンになってしまう。


 それこそ冗談ではない。彼とて生涯を捧げてここまで来たのだ。


 それはバスティも同じで、彼女が自ら死を選ぶことはありえない。無色の力を運ぶ役目が終わったとしても予備バックアップとして働き続けるのを想定していたのだ、彼女バスティも、ケルヌンノスも。


 故に解は一つ。バスティは殺された。他ならぬユヴォーシュの手によって。


 ヒウィラ・ガラ―ディオが絶命しているのは確認済みで、仮に生存していたとしてもユヴォーシュを引き連れたバスティに勝ち目があるとは考えられない。彼女は言ってしまえば所詮はただの《顕業者》、神体に傷をつけることもできないだろう。


 それくらい《真なる異端》と刻まれた者には隔絶した力量差がある。出力やそういったものではなく、思考の階梯が一段上なのだ。始めに神を中心に置いてしまう《信業遣い》たちと異なり、《真なる異端》の思考にはそういった制約がない。良くも悪くも自由であり、《信業》の遣い方にもその自由が反映されがちとなる。


 ───とはいえ、いくら何でも、ユヴォーシュが再起するのは想定外すぎる!


 全く状況が掴めない。なぜかユヴォーシュは展望階から動いていないらしい。ケルヌンノスが彼にやってきたこと、告げたことを鑑みれば、到底放置するとは思えないのだが───


「……いや、そうか」


 バスティがユヴォーシュに注ぎ込んだのは力だけではない。ケルヌンノスが保持していた《暁に吼えるもの》の意思も彼女を経由して送り込まれている。意思とは目的であるが、実行するための知識もまた必須となるもの。彼がどうやって再起したのかは分からないが、今までので何も知らないユヴォーシュではない。《九界》の外や《暁に吼えるもの》の化身についてもかなり把握できていると見るべきだ。


 彼が手を離せない作業にかかりきりになっているのも悟られているとすれば、何か別のことをしていても不思議はなかろう。


「とはいえ、猶予は───」


 ない。だからここで、彼も選ばなければならなかった。


 純粋な魔術のみの作業から、《顕雷》溢るる超常の活動へ。


 ケルヌンノスの生涯で初めての《奇術》行使───彼は外界より来たりし神の遣い、現実を改変する異能も当然の如く備えている。だがこれまで使ってこなかった。神のは行使に対しての監視装置、温存していればことはない。これまでその札を切らずにとっておいたのは、単に使う必要がなかったのと、それ以上に温存しすぎて忘れていたという二点の理由。


 執り行っている真っ最中のこの儀式は、《九界》の大神光臨を阻害する機能もある。もう我慢する必要はない。


 時間の流れを操り本来ならば半日を要する詠唱を瞬間的に完了させる。ユヴォーシュの結んだ、あるいは刻み込んできた縁に向けて悪神のを流し込む。讃頌式《奇蹟》とこの《九界》では呼び習わされているもの、それを遥か高次に洗練したことでもはや別物と化した魔術式。この世界のおよそ誰も知らない経路を通じているから《信業》ですら断ち切れない最悪の線も結線完了。


 これで最低限、何が何でも済ませておくべき事項が完了できた。


「───ケルヌンノスぅぅぅううああああああッッ!!!!」


 だから迎え撃てる。階段ではなく壁を駆け登ってきた、肩を並べて戦うハズだった青年を、俺たちのユヴォーシュ・ウクルメンシルを。


 悲しそうに切なそうに細められた《發陽眼》と、藍に冴えた瞳が交錯する。

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