350話 勇者始動その8

 肉体に現世に帰還する。ヒウィラの魂を引っ張ったままだから今も天地がぐるぐるしているのだが、ここで困ったことが起きた。


 俺の魂は当然俺の肉体に戻ってくるとして。


 ───ヒウィラの魂も、俺の肉体に取り込んでしまっている。


 幸いまだ定着はしていないから俺の口からヒウィラが喋り出す心配は要らないが、かといって定着させずにいつまでも掴んでおける自信はない。こうして考えている今もずっと魂が触れ合ったことによる反動は来ているのだ。


「ああ、ったくもう……!」


 長考していられないから仕方ないものとする。こんなもの緊急避難だ、人命救助だと自分に言い訳をしながら、俺はヒウィラの生きているだけの肉体に覆いかぶさる。


 俺の中に含んでいるヒウィラの魂を、ヒウィラの肉体に吹き込む。行為のイメージのしやすさは成功率に如実に繋がるから、俺はマウストゥマウスを敢行した。


 おとがいを支え、息を吹き込むように魂を送り込む。同時に《信業》を発動し、肉体に戻った魂を再定着させる───


 ───ずっと息を止めていたことに、顔を上げてから思い至った。


 呼吸の仕方を忘れてしまったみたいにぎこちなく荒い息を吸って、吸って、吐いて、吐く。やっと平静を取り戻してきた───ずっと俺のことなんか二の次で、ヒウィラの状態ばかり観察していたから落ち着くのに時間がかかった。


 生命は取り戻したが、魂は俺にとっても未知数だ。どこかで失敗していれば彼女は目を覚ますこともなく、の肉の器と成り果てる。そんなのは嫌だから、俺は祈る───俺自信に祈る。どうか上手くいっていてくれ、と。


 瞼の下、眼球がわずかながら動いたのが見えた。


「ヒウィラっ!」


 眉間に皺が寄ったのを見て、これほど嬉しいと思うことは、これまでもこれからも決してないだろう。


 小さく呻いて意識を取り戻したヒウィラはまだ夢見心地。俺の治療にどこか不手際があったのか、即座に激しく咳き込んだ。目には涙が滲んでいるし、魂を取り戻したばかりのブランクでまだ身体を意のままに動かすことすらままならないらしい。


 回らないらしい舌で賢明に、しかし明確な意思をもって言葉が紡がれる。


「ゆ、……ヴ……」


「ごめんな。意味分かんなかったろうし、苦しかったろ」


 彼女の手を握りしめる。動かすのは難しくても感覚はあろうと、痛くならない程度にぎゅっと握りながら、俺は安心できるように落ち着いて説明する。


「もう大丈夫だ。ヒウィラにはもう痛いことも、苦しいこともない。ただちょっとやり残したことがあるから、ここで休んでいてくれ」


「……ど、こ……へ……?」


 途切れ途切れ、合間に咳が混じる彼女の言葉に、俺は上を指し示す。


「ケルヌンノス。あいつは野放しにしてはおけない」


 ヒウィラの無事が確認できた以上、ぼやぼやしているわけにはいかない。逃げ足の早さは聖都の一件で嫌と言うほど知っている。


 ───ヤツに好き放題された借りは一つや二つじゃない。きっちりまとめて、ここで支払わせてやる!

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