349話 勇者始動その7

 《暁に吼えるもの》から与えられた知識でも、出来るかどうかは賭けだった。《暁に吼えるもの》の化身のような、半ば以上を魂のみで活動できる存在でもない限り大変危険な行為というのも承知の上だったが、何とかなったようで何よりだ。


 魂とは一個の原石のようなイメージをすると分かりやすい。カットすればしただけ断面が生まれるが、一つとして同じ面は存在しない。この比喩だと、カットする行いそのものが世界へ生まれ落ちることで、面とはつまりその世界における心となる。心を辿って魂に干渉するというのは、魂の圧倒的な存在感に押し潰される危険性が極めて高いのだ。


 それでも俺が挑戦する価値があると思ったのは、もはや俺が通常の在り方から乖離している感覚があったから。《信業》で自分の魂そのものを生み出した俺は、断面こころすら持たない一個の魂の塊としてここに在るのだろう。


 それは酷く恐ろしい感覚。多面性を持たない魂の俺は、今ここに在る俺以外の可能性が存在しない。生まれ変わって魂を使いまわし、ユヴォーシュ・ウクルメンシルではない新しい生を歩むという希望は、俺にだけは与えられないのだ。


 来世を夢見れないだけではなく、俺は今生でも異物感を抱えて生きていくしかない。彼方、魂漂う星幽層アストラルを知ってしまったからには、知る前の俺には戻れない。きっと、俺には生涯を通じて安住の地は得られないだろうという予感がある。どこへ行こうと付きまとう俺の違和感とは、多分そういうものだ。


 俺は誰とも違う。ともすれば一番近いのは、純粋な唯一感情のみで自己を構成する《暁に吼えるもの》というのは、皮肉だろうか。


「───それでも、構うかよ」


 精神を集中しなければならないとなると、必然的に外界からの刺激ではなく自己の内面と向き合う羽目になる。ぐじぐじ考えるのは性に合わない、さっさとヒウィラの魂を探し出すんだ。


 魂だけの現状に視界も何もありはしない。ものとして認識したことがそのまま成されるのだから、メンタルをそういう方向に持っていくだけ。そもそもにあるものじゃない、魂とは常ににあるもの。だから探すのはナンセンスだ。


 ───ほら、そうと分かるなら、そこに。


「───ヒウィラ」


 ヒウィラの魂であり、ヒウィラではない誰かの魂。キラキラと万色に輝いているのは俺の主観だろうか、それとも多面性の概念たる魂だからだろうか? どちらでもいい。結局のところ、ヒウィラの魂さえ回収できればそれで満足なんだ、俺は。


 魂に本来形なんかないが、それは自然に存在する場合に限る。云わば人工的に創られた俺の魂は用途のために繋ぐ手を用意してきた。そっと触れて───


「ぎ───」


 魂に形はない。位置情報だって本来はない。ゆえに、魂と魂が触れ合うと溶け合うような感覚に襲われるのだと、俺はそのとき初めて知った。魂そのもの感じる拒否反応と、己が溶け出してしまいそうな心細さと、それらすべてがフィードバックした生身の肉体の浮遊感。


 誇張ではなく内臓のどこかに不調を来たした感覚がある。それが接触している間じゅう続く。


 抵抗しても流れ込んでくる極彩色の生涯の奔流。この魂から生まれた命はヒウィラだけではない、それが洪水のように過ぎ去っていく。迂闊に気を抜けばユヴォーシュ・ウクルメンシルというラベルなどあっさり剥がされて情報に揉まれ、個我を見失って溶け合ってしまう。


 ……俺は歯を食いしばる。彼女の魂を離してなるものか、と。

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