348話 勇者始動その6

「───ヒウィラァあっ!」


 地べたを這いずるように彼女に駆け寄る。


 触れた手は中途半端に温かった。亡骸というにはまだ体温が残っているが、生きるには低すぎる。至極当然のことで、俺が彼女を刺してからもう随分と経過している。とっくに死んでいるのが当たり前。


 ───けれど、諦めることはしたくなかった。


 


 もしも、俺が彼女を生き返らせられたら。


 そう願う。生き返らせるのに必要な条件は二つ。肉体の修復と魂の回収。心臓を破壊され徐々に冷えていく《悪精》の身体に魂を突っ込んでも繋ぎとめることは叶わないし、ただ修復するだけでは肉体を動かす意思は喪われたままになる。


 どちらもやらねば、彼女は還ってはこない。


「くそっ、絶対に死なせないからな……! こんなお別れなんて、絶対にゴメンだ……!」


 《顕雷》が迸る。


 どんな《信業》であっても、自分にやるように他者に掛けることはできない。己のあらゆる感覚で観測できている自分自身と違い、他者には他者の世界観がある。考え方の根本からして異なる存在は、それはもう一個の異世界と言ってもいい。己の常識は通用しないのだ。


 慎重かつ大胆にヒウィラの肉体を修復していく。まず胸に開いた大きな刺創を塞ごうとして───その手が止まる。


 


 彼女の胸にぽっかり開いた傷口が、ちろちろと燃え続けている。煙も上げず燃え広がりもしない異常炎は、《暁に吼えるもの》の化身たちの瞳の色と同じ炎色。奴らの仕業なのは間違いなかった。


 これでは治そうにも炎が邪魔で手が出せない。そこまでして彼女を殺しきっておきたかったのか。そんなに彼女が目障りだったのか。俺という代行者、《暁に吼えるもの》の使徒を彼女の存在を、バスティはずっと警戒していた。だからってここまでするか───!


 怒りを《信業》に換える。腹が立っても力任せに突っ走ればヒウィラの肉体を傷つけるだけだ。必要なのは冷静さ───冷たい怒りを研ぎ澄ませ。俺は傷口にそっと手を添える。精密に対象を絞って、長引かせれば抵抗で被害が大きくなるから一瞬に最大出力を凝縮して、爆発の如き《光背》!


 果たして火は吹き払われ、無残な傷口が露わになる。血を巡らせる心臓も止まって久しく、もはや流れ出すこともない。火の妨げがあろうとなかろうと、どのみち死んでいる有機体。


 そんな道理は引っ込んでやがれ、俺は《真なる異端》だぞ!


 流れ出た血液を補い、停止している心臓を再び脈打たせる。死につつある脳を賦活し、肉体的死を否定しながら同時に別の作業にも取り掛かろう。


 魂とは、宿った生命が死んだ程度ではこゆるぎもしない彼岸の概念だ。この世界と魂とを繋ぐ心が損なわれることで彼岸へとゆっくり沈んでいってしまうにしても、今ならまだ間に合う。


 どうすればいいかは誰より分かっている。物質界に存在しない魂に触れるなら同じく魂の手あるのみだ。


 俺は瞑目して精神統一を図る。眼前の惨状から離れて、《九界》からすら離れて、魂があるとされる星幽層へと俺自身を遊離させていく。

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