345話 信心問答その6
『それを、あなたは信じるの?』
──────ッ。
俺は震えた。
ニーオでもマイゼスでもないもう一人。舌ったらずなその声を聞いたのはもう随分と前のことだが、それでも絶対に忘れられないくらいにこびりついている。あたかも血の染みが落ちないように、
決して雪がれることのない、俺の
振り返らなくても分かる。
けれど名前は分からない。
知る間もなく殺したからだ。俺が、あの日、この手で。
向き合うのが恐ろしくて、それでも向き合わない不誠実なカスにはなりたくなくて、俺は錆びついた関節を酷使してどうにか振り返る。俺よりずっと背たけの低い、斬り殺したロングソードの方が長いんじゃないかってくらいの身長の、彼女と。
《悪精》の少女が、あの時の姿のままそこにいた。
『あなたは、かみさまの言葉を信じるの?』
「おれ、はッ……」
彼女の瞳は俺を見透かす。あの日、一言で俺を縛り抑えていた自制を断ち切ったみたいに、その問いは光となって俺の心の底の底まで照らしてしまう。知りたくなかった本心を、浮かび上がらせてしまう。
想ってしまう。
『信じたい、の?』
「信じ、」
───押し殺していたものが、息を吹き返してしまう。
「───信じたくなんかないッ、死にたくない、消えたくない! ここで終わるなんて嫌だ、神サマきどりのクソ野郎に全部操られるなんてお断りだ! そんな結末到底受け入れられないし、受け入れたくない! 知る訳ないだろうけど《暁に吼えるもの》の目的なんざ酷いもんだぜ、惚れた女に全部くれてやりたいってそれだけで何をしでかしてるんだ、そんな下らない話に俺と《九界》を巻き込むなよ! どっか他所でやってろ、知っちゃこっちゃねえんだよ!」
呼吸なんか必要ないはずなのに苦しくなる。違う、ずっと苦しかったんだ。それに目を瞑っていただけ。
俺の先天的異端の原因がそんな下らない理由だったのも。
俺が好き勝手に生きてきて、旅をしてきたのが《暁に吼えるもの》の利になっていたのも。
そのせいで俺の生まれ育った《九界》が、崩壊の瀬戸際に追いやられていることも。
一心同体くらいに思っていたバスティは俺をあっさりと切り捨てたことも。
───ヒウィラを、今度こそ守りたいと思ったのに、俺はこの手で……。
「ふざけんなよ、信じてたまるか! 絶対にッ!」
『なら、もしもって思える?』
はっとする。
《悪精》の少女が何を言いたいのか分かる。これが最後の質問で、答えたらこの夢は終わるのだと。過ぎ去っていってしまった人たちに会える嬉しくて寂しい時間はここまでで、また───いいや、今までの比ではない戦いに戻らねばならないのだと。
それでも答えを引き延ばすことはできない。どれだけ寂しくても、いくら話したいことが残っていても、俺は。
俺は俺を生きると決めたのだから。
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