341話 悪性神話その7

「その悔しさも紛い物だよ」


「どういう……意味だ」


「魂の宿らない命、放っておいて勝手に心が出来ることなんてない。でもそれだと困るから、キミの出生にかけられた魔術は二つあるんだ」


 一つは先述していた魂が宿るのを妨げる術式。これで新生児の器を空っぽに仕立て上げ、


「もう一つの術式で疑似的な心を構築させる。ある程度は善寄りの性格で、事象に積極的な干渉を行い、それでいて物事の裏側について深く考えない───そんな性格になるように組んだんだけど、思っていたより上手くいって驚いたよ。いまやあ、その驚いたのは今の感情なんだけれどね」


「この形式の利点は実はもう一コある。魂が宿っていないから、勝手に《信業遣い》に目覚める心配をしなくて済む、ってことだ」


「……どこまでも、お前らの掌の上、ってことかよ……」


 抗おうとする意思すら手製と言われてしまうと、結局どう足掻いても無意味なんじゃないかと疑心暗鬼に囚われてしまう。俺が生まれる遥か以前から企て事をしていたような奴らに、今の今まで勘付きもできなかった俺がその場の感情だけで抵抗したところで無駄なんじゃないかと、思ってしまう。


 するり、と。


 俺の首に細い腕が回される。いつの間に俺は跪いていたのだろう、バスティが俺の頭を抱きかかえていた。……いや、そんな風に考えるだけ馬鹿を見るのかもしれない。彼女は《信業遣い》で俺は只人ただびとなんだから、意識させずに体勢を変えさせるくらい造作もないのだ。


 柔らかな指が触れて、俺の両の瞼が閉じられる。


「おやすみ、ユーヴィー。次に開くときはボクらと同じだ───」


 言葉と同時に、俺の存在なかに光の奔流が流れ込んできて。


 俺は微動だにできないまま絶叫する。




◇◇◇




「さて、じゃあそっちは任せるわ」


「はいはい。キミもサボっちゃダメだからね、ケルヌンノス」


「俺は働き者だぜ」


 他愛のない会話の最中も間断なく、ユヴォーシュは苦悶し喉を破らんばかりに叫び続けている。それも当然だ、とケルヌンノスは思う。今のユヴォーシュの疑似心理が完全に死んでいない状態で、強引に太源の熱量を注がれているのだから拒絶反応が出ない方がおかしい。


 濾過に濾過を重ねてやっと無色純粋なそれとして抽出されたバスティの力に、先の邂逅でケルヌンノスが意思いろを一滴垂らして台無しに元に戻した。今バスティが注ぎ込んでいるのはそれで、つまり器に力と意思を宿すこれが完成形。


 無限の意志力とそれに伴う改変能力、そして《九界》に跨り紡いだ縁の結実者。先代の化身スプリール・テメリアンスクにはなし得なかった《九界》の総取り、ユヴォーシュならば叶うと確信できる。だが、万一に備えることも肝要だ。


 バスティとユヴォーシュをその場に残し、血だまりを作るヒウィラを横目に見ることもせず、ケルヌンノスは階段を昇っていく。屋上に到着したところで、実にタイミングよく東の地平線から光が差し込んでくる。それを直視して目を細めることすらせず、ケルヌンノスは朗々と大魔術の詠唱を開始する。


 これまでユヴォーシュが各界を巡って結んだ縁を辿って、《九界》にを撒く。ここでいう毒は生物学的なそれではなく、悪意による魔術的干渉を指す。ユヴォーシュと関わった記憶を抱き、ユヴォーシュに感化されている人々の心を、ユヴォーシュから溢れ出たで汚染しようではないか。


 それもこれも、ユヴォーシュが神話の英雄の如くに戦ってきて、顔と名を売ったお陰だ。彼が動いて起こした熱は伝染し、拡散してきた。彼の準備をしている間に、彼の率いる軍勢の準備も整えてしまおうという算段。


 そして、遂に詠唱は終わりを迎え、


 ケルヌンノスが権杖を床に打ち付ける音が、《九界》すべてを揺るがした。

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