325話 血晶女王その6

 縦穴に突っ込まれた腕一本を相手にしていてもキリがない。こういうのは大元を叩くに限る───というのは常道だろうが、まさかそのが胴体部を指すなんて想像できるか?


 腕が大穴から引き抜かれるよりも先に飛翔して山嶺都市を脱する。イルズォンド山脈に広がるのは笑い話のような光景だ。


「あんなの来た時ゃいなかったろうがよ……!」


「見落としていたか、見落とさせられていたか。もしかして、山のフリでもしていたのかもね」


 バスティがそう言って呆れ笑うくらいには巨大───いいや膨大だ。


 腕だか脚だか判然としない駆動肢が幾本も伸びるさまは蜘蛛を連想する。一本でグワイクラシェンの中心孔を満たしかねないような駆動肢だ。全体像は戯画的なまでに巨大だから、遠近感も狂ってくる。


「……ヒウィラ、あれ、壊せヤレるか?」


「現実を直視させないでください、私自身シラけてしまいそうなんですから!」


 あれだけの巨体を剣一本で解体していくのは途方もない時間がかかるから、頼りの綱はヒウィラの心象発露の《信業》だ。今の彼女は激昂、怒りではなく高揚を爆発に変換して出力しているそうだから、その気持ちを萎えさせるのは悪手に過ぎる。


「そうだな、そうだった。悪かったよ、聞かねえから行くぞ───!」


 身を起こした超々々巨大《石従》へと突っ込んでいく。あの巨体相手に間合いを取って戦うなんてのは無茶だろうから懐に飛び込む。《真龍》の突進にも匹敵する拳を紙一重で躱して、胴体に取りついた、と思った瞬間に弾かれる。


 爆破のために感情の制御に勤めていたヒウィラと、移動と回避に専念していた俺には何が起こったのか分からない。けれどもう一人、《信業》を使えないがゆえに周囲の状況分析を分担していたバスティが、


「不可視の壁だ、ユーヴィー!」


「そうかよ、クソッ……! ヒウィラぁ!」


 あらかじめ『名前を叫んだら進行方向に爆撃一発』と打ち合わせていたのを、彼女は忘れていなかった。俺が激突した透明な壁が爆破されて粉々に降り注ぐのと、《光背》に《石従》の拳がブチ当たるのとは全くの同時。


 俺たちは《光背》ごと吹き飛んだ。


 過ぎ行く視界にはもう、何も映りはしない速度。






◇◇◇






 ───つくづく、甘やかされてしまう。


 ユヴォーシュの《光背》とは、実に恐るべき《信業》である。


 並みの《信業遣い》であれば、いいや魔王や聖究騎士であったとしても、今の一撃を耐えるだけの防御は難しい。それほどまでに、あの《石従》の拳は大質量なのだ。神に近しい存在ですら危ぶませるくろがねの巨人。


 それをユヴォーシュは《光背》だけであっさりと凌いだ。衝撃を殺しきれずに山肌に突っ込みはしたが、では《光背》が破られたか、中の三人はぐちゃぐちゃの肉塊になったかと問われれば答えは否だ。目を回しただけで、傷一つついてはいない。


 万象に対する圧倒的な防御性能。


 拒絶するものと守りたいものを識別したうえで、妖精王の渾身の一撃であろう拳撃を防いでみせる。敵対者からすれば悪夢もいいところだろう───強制的に光の殻を破れるかどうかの根競べに引き込まれるのだから。一瞬でも気を緩めれば黒刃の魔剣が襲い掛かってくる。


 今はその刃が届く相手ではないし、関係性から抜刀自体を封じている。だからそこだけは私の仕事───ヒウィラは決意新たに、己の心を奮い立てていく。


 巨躯に似合わぬ超高速で押し寄せる───まだ距離があるはずなのに視界一面に広がるものは、『押し寄せる』以外に形容するすべを持たない───拳めがけて、炸裂する感情。

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