293話 幽林夜会その6

 俺はケルヌンノスのことを全然知らない。容貌と声色、《角妖》であること、妖精王マムンディ・アーティゼンの名代であること、ニーオと手を組んで昼夜をひっくり返す大魔術を行使したこと、それくらいだ。


 彼が何の目的でニーオと協力関係になったのか、そこにどんな利害の一致があったのか、はたまたどちらかがもう一方を脅しつけて無理やりやらせたのか、何も知らない。


 ニーオリジェラと最期に話した感触から、ケルヌンノスが彼女に無理強いした訳ではなさそうだとは思っている。そもそも彼女を脅迫できるはずがないというのが俺の認識で、今はその幼馴染のことは何でも知っているという決めつけは間違っていたと思い知りはしたがそれは置いておいて。


 もしかしたらケルヌンノスはニーオに一方的に言うことを聞かされていたのかもしれないという危惧は常に心の片隅に置いてある。きちんと当人から事情を聴取して、その上で判断すべきだというのが俺の理性的な思考。


 対して、俺の感情は?


 ───ケルヌンノスがいなければ。ニーオはあんなことを仕出かせなかったんじゃないか。


 ───ニーオだって人間だった。脅しには屈しないだろうけど、唆されれば違うかも知れない。


 ───やけに訳知り顔でいたし、ニーオを使って目論んでいることもあるようだった。


 ───きっと奴は悪人だ。


 そんな負の想念が、ないとは言い切れなかった。


 マイゼス相手に殺したくなかったと後悔したはずなのに、こんな身勝手で道理の通らないこともないだろう。相手の自由を尊重できないまま、感情に任せて殺してしまいたいと思っている。


「そう、だったのか」


「余の民にあらざる《角妖》となれば庇い立てする義理もない。その方がどうしようが余の興味の範疇にはない……が」


 ウーリーシェンはそこで言葉を区切り、グラスを傾けて舌を湿らせると、


「己の本心すら理解できていないようなものに手を貸すのも不愉快なのでな。僅かばかり突かせてもらった、許せよ」


「ああ、……まあ、こちらこそだ」


 妖精王、きっと誰よりも他者と接することの多い役職であろう妖属の一人。その鑑定眼で見抜かれてしまえばどう言い繕ってもごまかしは利かない、俺は確かにケルヌンノスを憎んでいる。それを言い訳して覆い隠しても不自然なだけで、不自由でしかない。


 まずは認めるところから始めよう。ケルヌンノスが憎いことを認めて、その上でどうするべきか考える。理性にも感情にも素直にある方がよほど健全な精神ってもんだろう。


「お陰様で胸のつっかえが取れたよ。あとは自分で考えてみることにする」


「そうか。何よりだ」


 ウーリーシェンは一つ頷き、それで話は終わりだと俺は思ったが違った。妖精王からすれば俺の話は前置きに過ぎなかったらしい。

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