283話 幽林訪客その4

「ヒウィラ、そろそろ起きろ」


「ん、ぅ……。何かあったのですか」


 もごもごと口の中で返事をするヒウィラに、バスティが念話を繋ぐのを待って、


『牢番が戻ってくる。動きがあると見て間違いない』


 その一言だけで脳が動き出したのが見てとれた。彼女も本業は影武者、暗殺や誘拐のターゲットとなったこともあるだろう(俺も一回したことあるし)。いざというときに寝ぼけて対応できないことのないよう、意識を一瞬で覚醒させるトレーニングを積んでいるとみた。


 牢番の男は足音を立てずに近づいてくるが、《光背》で感知している俺には関係のない話だ。ただしこちらが気づいていると気づかれると面倒なので、あくまで自然体で待つ。入ってきたらリップサービスで驚いたフリでもした方がいいかな。


 男が俺たちの部屋の前で立ち止まり、錠代わりに結わえられた縄を解く。扉が音もなく開いて、牢番を伴って入ってきた男が、


「───出ろ。王がお会いになる」


「へえ?」


 驚いたのはフリではなく本心だった。


 話せる相手なら誰でもいいと思っていたが、まさかいきなり一足飛びに妖精王との謁見が叶うとは思わなかった。まあいい、この里で一番偉い存在なら一番詳しいだろうよ。


 俺は意気揚々と立ち上がる。つむじのてっぺんが天井にぶつかりそうになって慌てて身をかがめたところに、《樹妖》がぴしゃりと言い放った。


「部屋から出る前に、また拘束させてもらう」


 おいおい、またかよ。


 こんな縄くらい力を入れればぶっちぎれるし、目隠し口枷だって《光背》と念話があれば無意味、余計な手間でしかない。いっそそう言ってやろうかと思ったが、縄を携えている牢番の若い《樹妖》の手が薄く震えているのを見てぐっと耐える。


 ───そうだ、彼らは俺たちが怖いんだ。せめて拘束することでどうにか御せると信じたいから、震えるくらい怖いのを押し殺し威厳を取り繕って弱みをみせまいと居丈高に告げている。


 いいさ、いいよ、怖がらせるのは本意じゃないんだ。それで満足できるってんなら拘束くらい甘んじて受ける。仮に拒否して暴れ振り払ってもどうせ妖精王の居場所は分からないんだ。大人しく縛につけば連れて行ってくれるというなら案内代としては安いくらいさ。


 俺は肩をすくめて両手を後ろに回す。牢番の手つきは怪しいもので、時折変に力がこもってちょっと痛かったがなるべく反応はしないでやった。


 こんなもの、《虚空の孔》刑に処される直前を思えばでもないさ。






 《樹妖》の文化は樹の上の文化。彼らの里たる《幽林》のコルドーは複数の樹に跨った建造物からなる都市であり、必然的に人族の地上文化とは毛色を異にする。


 顕著なのは縄に対する印象だろう。人族が捉えるよりもそれは大きな意味を持たされているらしいと、この短時間でも窺えた。


 俺たちが閉じ込められた牢屋も、金属の錠ではなく縄で閉ざされていた。のみならず建物全体が木製で、その建物を支えるのは縒り上げられた太い綱。いわば巨大なハンモックであり、成長し続ける長樹を傷つけることのない、彼らの歴史に基いた建築法なのだろう。人族俺たちからすれば不安定極まりないが、彼らにとってはそれが当たり前。


 建築物と建築物の間を繋ぐのも縄、もっといえば吊橋だ。下から支える陸橋の高さでは到底間に合わないし、樹々の成長がどうなるか次第でまるきり役に立たなくなってしまう。吊橋ならばそこの融通が利かせられるということか。


 そんな風に縄が生活に密着しているから、彼らのファッションにもそれが取り入れられている。《樹妖》の人々は誰も彼も例外なく髪を編み上げている。編み方一つをとっても千差万別、おそらくより複雑な編み方ほど評価されるんだろう。さっきから俺の頭に向けられている視線はそういうことで、『こいつはどうして一房たりとも結わえていないのか』と疑問、軽蔑、あるいは心配されているらしい。放っとけ。


 そんなわけで、《樹妖》文化を考察していた俺は、引っ立てられた先で妖精王を目の当たりにして納得が先んじた。


「その方が、《人界》より訪れたという者たちか」


 見てきた《樹妖》の中で誰よりも濃い緑の髪は隙間なく結わえられている。あれだけ編むのに一体どれだけの時間がかかるのか、想像するだけで眩暈がしそうだ。


 俺は細かな手作業が苦手だから。

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