278話 妖圏迷走その6

 《樹妖》ならざる俺たちに樹上生活は難しい。俺たちは一旦地上に戻ってそちらを歩くことにした。人の足で三日と村人は言っていた。《樹妖》換算かもしれないが、人口からしてうっかり通り過ぎるということもないだろうと一日を移動に費やして、夜。


 長樹の足下には焚火にちょうどいい枝が山ほどある。拾い集めて熾した火が三人を照らしていた。


 ぱき、ぱき。焔がたてる音だけが俺たちの間にある。


 携行糧食と煮汁で食事を済ませあとは寝るばかり。《妖圏》最初の夜だから見張りだけはするつもりだがおそらく必要はないだろう。この森に肉食獣は出没しないようだ。仮に出たとしても、《信業遣い》二人に義体一人。食いではないだろうさ。


 だからこうして物思いに耽る余裕がある。


 ───揺れる焔を見ている。


 こうしていると、


「彼女を思い出すかい」


 彼女はすべてを燃やし尽くして生きた。他人ひとも世界も、自分自身も。ひとたび放てば外すか殺すか、中途半端を許さない苛烈極まる炎そのもの。それが彼女の《火起葬》だ。


 炎を炎であるがまま止めることはできない。炎には燃やすか消えるかしかないのだから、それ以外を望んでも実現は不可能。それこそ理外の異能であれば叶うかも知れないが、


「俺は、弱い」


「そんなッ───」


 ヒウィラが擁護しようとするのをバスティが手で止める。


 俺の口は勝手に俺の心を吐露する。それは何もかも掻き毟りたくなるような渇望そのもの。


「強けりゃあ殺さずに済んだ。俺が弱いから殺すしかなかったんだ、もっともっと強けりゃあ全部受け止めてそれでも殺さずに済む道が選べたはずだ。もっと強さが欲しい、殺せるだけの力より、もっと自由な───」


「それこそ、神の如き力だよ、それは」


 神、か。


 人が捧げられた小神ではない。魔族が上り詰めた魔王位でもない。彼らでは足りない。


 必要なのはならばその更に上、《九界》を司る大いなる───


「いい加減にして。ユヴォーシュ、貴方が欲するのはそんなものなの!」


 俺の思索を断ち切るようにヒウィラが割り込む。ほとんど悲鳴のような叫び声が長樹の夜にこだました。


 荒い息に上下する肩。潤む瞳からは今にも涙がこぼれそうだ。


 俺たちの他に誰もいないけれど、魔族が《妖圏》をうろついているのが目撃されれば一大事だから人族の偽装をしたままのヒウィラ。だからこれは彼女の素顔ではなく、俺はそれが勿体ないと思う。


 俺はきっと多くのものを見落としているんだろう。《信業遣い》になってあちこち旅をしてきて、今まで知らなかったものに触れすぎての原点がどっかに行ってしまったんだ。


「そうだな。俺は……何が欲しかったんだっけな」


 ゆっくり見つけ直そう。無くしたなら拾い直そう。そういう自由もあっていいはずだ。




「……ふゥん」


 俺はそんな決意を固めていたから、もう一人、素顔を覆い隠す者───バスティが、その下でどんな表情をしているのか気づけなかった。


 細められる眼、ちろり蛇のように舌なめずりするさま。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る