270話 火焔葬送その7

 ざくざく、と砂を掻きわけてニーオは歩く。


 一通りの止血と内臓変調、足の骨折の処置は済ませている。それでもふとした拍子にバランスが崩れて倒れ込むのは、右腕を半ば以上失ったのと、左目もやはり破壊されていたことの影響が大きいのだ。


 この二つは戻らないだろう。ニーオ自身の《信業》は応急処置程度が関の山で、失った部位を再生するまでには至らない。むしろよく内臓に波及していたダメージをどうにか出来たくらいだ。


 まだ天運はあるのかもな、と彼女は笑う。


 あの時、ヴェネロンがディレヒトの攻撃から庇ってくれている間に《人柱臥処》を脱出した彼女は、ずたぼろの身体でどうにか信庁本殿に向かった。目指すはある一室───そこには床に小さな円陣が描かれているのだ。


 《虚空の孔》刑に処すための小部屋である。


 《枯界》への不安定《経》。それが彼女が最後に残しておいた、いざというときのための脱出手段である。


 《信業遣い》であっても開くのが精一杯、安定化させることは叶わない廃棄孔。そういう固定観念があるからこそ、まさかそこから《人界》を脱出などしないだろうという予想の裏をかけると判断した。もちろん失敗すればどことも知れぬ狭間に放り出されて永劫にそのままだが、成功すればめっけものと飛び込んで、今、彼女は《枯界》にいる。


 別の《経》を開ける場所を探して砂だけの世界を放浪しながら、彼女は既に次の計画を練っていた。


 協力者ヴェネロンを死なせ、自分自身もほとんど死にかけ、取り戻せない大怪我をしておきながらこれっぽっちも懲りていない。彼女にあるのはどうすれば出来るかの試行だけで、その過程で巻き添えを食う連中については顧みることはないのだ。


 ───彼には、それがどうにも許せなかった。


「酷いカッコしてんな、ニーオ」


「───ユヴォーシュ。お前、こんなとこまで追ってきたのか」


 彼方に人影を認めたとき、彼だろうなと予感はしていた。自分で自分のそんな感情に驚きながら、今更ユヴォーシュから逃げ出すのも違うだろうと歩み寄って交わされた第一声は、互いにもっと言いたいことがあるのにそんなだった。


 ユヴォーシュは荒っぽく髪を掻き毟る。砂が零れる。ぱらぱらと落ちる音は、動きが何もない《枯界》ではやけに鮮明に聞こえた。


「こんなとこまで来て何がしたいんだよ、お前。シナンシスを殺したいって、本気なのか?」


「本気だよ。出会って話を聞いてからずっと、アタシはそのことばかり考えてたんだ」


「何でだよ。シナンシスが憎いわけじゃないんだろ?」


「それも知らないでここまで追ってきたのか。……そうだよな、考えてみりゃお前が《魔界》行く直前に顔合わせたのが最後か、アタシたち? そりゃあ問い質しにも来るか」


「笑いごとじゃねえだろ」


 言われて初めて、自分が笑っているのを思い知る。止めようとしてもどうすれば止まるかなんて分からなかった。なんて無責任なんだろうと更に笑いがこみ上げてきて、とうとう耐え切れなくなって吹き出してしまう。


「……っぷ、あははは、そうだな、そうなんだよな! っはははははは、ああダメだ、どうしてもっくくく、ふふはははは───」


「笑うなよ! お前はいつもそうだ、どうしてそんなことするのかワケ分かんねえことばっかりして。でもこれは、今回のは度が過ぎてる。そこまでして何がしたいんだよ、答えろ!」


 《枯界》中を震わせるような絶叫に、ニーオは笑いを引っ込める。自嘲に肩をすくめるニーオが、ユヴォーシュは寂しそうに見えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る