262話 混迷臥処その9
《魔界》が遠ざかりつつあるなかで、何かに使えるのではないかと考えたメール=ブラウは一本だけ鎖を繋いでおいたのだ。
普段ならば不可能でも、観測さえしてしまえば可能となる。そこにあって、ぶつかるものという認知さえ与えられたのだ。ならば余裕───とはいかずとも。
一回限りの切り札としては、十二分に機能する。
「ぐ、───ッ!!」
先の二界接触と比べれば範囲は極小規模。大掛かりな準備をしたであろう一回目と比べれば、個人の《信業》で無理に再現した二回目がこじんまりとするのは当然のことだし、それでよかった。
規模まで再現しては、
《魔界》が衝突してきた衝撃はヴェネロンの肉体ではなく、彼が存在している《人界》空間そのものを襲う。どれほど肉体を強化していても関係ない、もっと上位の概念から崩壊するのだ。空間震によって乱れた姿勢のところに襲い掛かったそれは、彼の肉体の何割かを木端微塵に打ち砕いた。
そこには彼の右腕があったはずだ。
今はもう、ない。
《魔界》と激突した衝撃で腕が存在した空間ごと崩壊してしまったため、再生しようとしてもそもそも無いものを取り戻しようがなくなってしまうのだ。可能なのは無から腕を作り出してツギハギするくらいだが、そんな《信業》を用意していようはずもない。
極小範囲でいいのはこれを予期していたから。《人界》と《魔界》を繋ぐということは、両界の強固な壁が破壊され混じりあうと予想していたからこうして攻撃に転用した。観察と手応えだけの情報から、一発勝負を成し遂げたメール=ブラウの天才性の顕れにヴェネロンは嗤うしかない───これ程とは! 失敗すれば隙を見せるだけか、あるいは自分も巻き添えになって吹き飛ぶだろうに!
叩きつけたメール=ブラウ当人も空間震に襲われてよろめく。彼の手に握られていた特別製の鎖が破断した。予想していたことだが世界そのものを引っ張ってくる負荷に耐えられるのは一回だけらしい。構わない、これでヴェネロンの利き腕は奪った。ロジェスのつけた傷と併せて、後は煮るなり焼くなり俺の自由だ───彼はそう考えて舌なめずりをする。
伸びた鎖がヴェネロンの首に絡みつく。《信業遣い》の中には空中を移動できるものも多く、ヴェネロンともあろう者がそれくらいできないはずがないと考えるメール=ブラウはもう一本を足元から這わせた。首と足から引っ張り合っての窒息狙いだ。
「そうやって吊るすことに固執するのがお前の悪癖だ、メール=ブラウ」
ヴェネロンが溜息でもつきたげに呟くと、腰から予備のロングソードを抜く。左手でも利き手と遜色ない滑らかな動きで振るった先は己の首。
するりと落ちた首に絡まっていた鎖がほどける。そのままあっさりと首を繋げて、先刻と何も変わらず距離を詰める。違うのはヴェネロンが隻腕であることと、メール=ブラウが対応できなかったこと。
「───だがまあ、合格だよ。メール=ブラウ」
その一言と同時に白刃が青年の胴へと突き立つ。鎖帷子も二度目は通じない。───決着の一撃だった。
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