245話 神意神殺その9

 神血、という言葉がある。


 神聖騎士が聖究騎士になるにあたって、欠かすことのできない要素である。聖究騎士という座そのものが、あまり《人界》に広く知られた言葉ではない。そのため、聖究騎士に関連する一用語の神血を知っている者は極めて稀である。


 神の血を取り込み、その加護を宿す───というのが、聖究騎士以外でその言葉を知る者に教えられる説明である。それこそ、聖究騎士に任ぜられた神聖騎士であるとかには、そう伝えるのみなのだ。


 後は身を以て知るしかない。


 叙任の儀で神血を注がれた神聖騎士は、契約する小神の持つ知識を精神に直接流し込まれる。それは心を呑み込む濁流であり、それこそ大衆感情に酔うナヨラと酷似した狂瀾に陥るのは必定。現在任ぜられている聖究騎士八人と、以前任ぜられていたヴェネロンも全員、最低三日は昼夜を問わず苦悶にのたうち回っている。


 そして、それに耐えて清明な意識を取り戻した者のみが、晴れて聖究騎士と認められるのだ。


 聖究騎士になる前に直接シナンシスから全てを聞いていたニーオを除けば、そこで初めて《人界》のすべてを知ることとなる。


 ……時折いるのだ。耐え切れず狂奔の嵐に呑まれ神聖騎士が。そういったものは何日経っても苦悶が収まらず、ある朝穏やかになったと思ったら脳が潰れて死んでいる。だから次代を任ずるのには細心の注意が払われる。甘い目算で選出し、神血に耐えられなければ神聖騎士を一人失うことになるともなれば慎重になるというものだ。


 彼らが死ぬ原因は定かではない。神血を注がれる一連の儀式はとても研究などできない神聖不可侵な儀式であり、帰ってこれなかった者たちがその理由を語ることは不可能なのだから当然ではある。あくまで推測だが、原因は知ったことに耐えられなかったのだろう、ということで(帰ってこれた)聖究騎士たちの意見は共通している。


 小神を崇め、大神を信じて日々を生きてきた純な神聖騎士の魂では、知るべきでなかった真実を知って砕けてしまうのだと。


 ではなぜ、それほどの危険性がありながら神血を注ぎ聖究騎士を立てるのか。


 その最大の理由を聖究騎士たちは黙して語らない。だが恩恵がないわけではなく、聖究騎士たちは明確に神聖騎士を越える存在となる。


 ───《神血励起》。


 心身に取り込んだ神血を活性化させることで、彼ら聖究騎士の《信業》は一段階上となる。ニーオリジェラの《火起葬》ならば、一定以上の精度の《信業》による攻撃は、当たれば必殺となるのがそれだ。


 《冥窟》の維持と外界への干渉を実現しているルーウィーシャニトなどは分かりやすい例となる。それ以外の聖究騎士は《神血励起》の効果をあまり知られていない。ロジェスなど、その最たる例だ。


 ともあれ聖究騎士魔王相当者の実力は別格であってヒウィラの敵う相手ではない。撃ち合いになれば絶対に負けるのだ、勝負という土俵に立ってすらいないと言えよう。あとは何発目で当たるか、そういう狩りでしかなくなる、その寸前。


 彼方から光の波濤が押し寄せる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る