216話 年次信会その3

『聞けばそ奴、《信業遣い》だとか。信庁に属しない《信業遣い》、野放しにして良いものか?』


「へえ~、そんなのアリなんだ? ディレヒトくん」


 一瞬、議場に囁きの波が走った。畏れ多くも神聖騎士筆頭を君付けとは、と。それを鉄面皮で完全に無視して、ディレヒトは口を開く。


「ユヴォーシュ・ウクルメンシルについては、現在対応を留保している。信庁への明確な敵対が見られない限り、手出しは避けるように」


「随分と腑抜けた発言だ。これは由々しき事態ではないのか?」


 低く渋い声を発したのは、高座にある者───聖究騎士ではなかった。


 他の有象無象の神聖騎士たちと同じ席に着きながら、彼はそのよく通る声で異議を唱えてみせた。聖究騎士たちの会話に臆することなく堂々と、朗々と。


 むしろ彼の発言に聖究騎士たちが怯むほどで、それはディレヒト・グラフベルですら例外ではなかった。


「───ヴェネロン殿」


 呼ばれた老人はくすぐったそうに苦笑する。


「止せよせ、私は既に退いた身。筆頭がそのように呼ぶものではない」


 口ではそう嘯きながらも、まだまだ若いモンには譲らんと言外に滲ませている。


 彼はヒラの神聖騎士である。だがは違った。


 およそ神聖騎士でその名を知らぬ者はいない。いるとすればそれは神聖騎士ではない。あらゆる神聖騎士は彼にノウハウを叩き込まれたと言っても過言ではない。齢六十も近いというのは神聖騎士としては他に例を見ない異常である。───多くは、魔族との戦いなどでもっと早くに亡くなるものだから。それほどまでに永く務められるのはひとえに実力あってこそ。


 《年輪》のヴェネロン。ヴェネロン・バルデラックス。


 楽を司る小神グランゴランツの、かつての契約者。


 数年前に聖究騎士を辞してからも、先任の神聖騎士として多くの若人を導いてきた老練の達人。彼を抜きにして今の信庁は語れない。


「それで、件の男。対応が決定されるのは何時になるのだ? 我々に敵対したのが確定してからでは遅いのではないか、ん?」


「あ、やれと言われれば僕が行きますけど」


 ヴェネロンの睥睨に、事もなげにそう返す青年。彼もまた聖究騎士でありながら、その立ち居振る舞いに圧がない。自然体、市井に紛れ込んでいればそうと気づかないような凡庸な彼が高座に着いていること自体に、例えようもない違和感を覚えてしまう。あの座にあって、どうしてこれほどまでに何の印象も受けないということがあろうか?


 《契約》のンバスク。あるいは《無私》のンバスク。


 文字を司る小神メルトールの契約者。


 彼は頼まれればと神聖騎士の間で噂されている。無論そんなことはなく、噂は所詮どこまで行っても噂であり、彼が請け負うのはだ。そんなンバスクは、だからユヴォーシュの話題が出ても平然と沈黙を続けている。


 彼のことは黙っているようにと、厳命されているから。

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