139話 信心問答その3

 鼓動が跳ねた。


「いまさら……何を」


 口が渇くのは、《魔界》の気候のせいではないだろう。


「それを───裁いたのは、あんたらじゃ、ないか……」


「そうだ。信庁はお前を異端と認定し、そして《虚空の孔》刑に処した。それが事実」


 それを蒸し返してどうする。今更俺が異端かどうか審議して、その結果が覆ったとしてどうにかなるわけもないのに、俺はあのとき死んだと思ったんだぞ。


 ロジェスは冷えた鋼のような気配を崩さない。崩さないまま、


「お前は異端についてどこまで知っている?」


「───神を信じられない者が、そうだろう」


 ロジェスは首を横に振る。火の粉が舞う。


「それは正確な表現ではない。神を信じ者が異端そうであって、神を信じ者はその一部に過ぎない。それは、信庁が異端認定した人間の実数も同様だ」


 つまり、神を信じない者の方が多い。でもこの《人界》……おっとここは《魔界》か、なら俺たちの《人界》で、あえて神を信じないなんてことがあり得るのか?


「魔術師には神を信じない者が一定数存在する。後天的に自らに刻まれたを外すんだ、魔術的処置でな」


「そんなことを───」


「する。魔術師やつらは魔術のためならば何だってする、そういう生き物だ。お前は知らないかもしれないがな」


 知らないものか、西方で散々味わわされた。俺には魔術師かれらの心の内など読めないと体感しているからこそ、ロジェスが語った言葉に真を感じる。


 俺が納得している間にも、ロジェスの紡ぐ言葉は続く。


「征討軍時代のお前を調査して、魔術師とのつながりは見つからなかった。つまり後天的に魔術でセンは薄く、先天性の異常だと判断された。そこまではいい」


 いいもんか。他人ひとの人生を何だと思ってやがる。


「先天的異端は例が少ないこともあり迅速な処置を求められた。そのための《虚空の孔》刑だったが───お前は帰ってきてしまった。《信業遣い》となって」


 彼が俺を呼びつけてから今までで、初めてその視線が俺に注がれた。


「《信業遣い》の異端者。───《》。そうであるとするなら、お前がここにいるはずは、ないんだ」


「どういう意味だ」


「言葉通り、裏も何もない。信庁の記録上に、《真なる異端》は存在しない。神歴886年の記録において、皆無だ」


「だったら───」


「だからそれが、彼には恐ろしかった。あり得べからざるもの。手を出さなかったのは、そういう理由だ」


 が誰なのか、俺とロジェスの間では明言せずとも通じた───ディレヒト・グラフベル。神聖騎士筆頭。俺を裁き、俺を追放し、そして俺の脅迫に屈した……ように見えた男。異端が俺の思っていたよりも多そうだと分かった今、確かに落ち着いて考えてみれば俺が異端なだけで彼が俺を見逃すのは奇妙だった。そんな裏側があったのか───しかし。


「何故それを、今の俺に話すんだ。あえて今、ここで」


 俺の問いに、ロジェスはいけしゃあしゃあと答える。


「もしかすると、心境の変化があったかもしれないからな。《魔界》に来てどうだ。実はお前の信じる神は《魔界こっち》のだったりしないのか」


「さあな、今んとこ特に変わりはないよ」


 結局話したかったのはそれだけらしく、ロジェスはそれ以上言葉を紡ぐことはしなかった。俺も彼と話し込んでいると、いつまた“斬りたい”というスイッチが入るか分からないので、早々に退散して今度こそ寝ることにする。


 自分の寝床に戻って、草地に寝っ転がる。見上げた空、《魔界》の星空も《人界》のそれと大差なかった。




◇◇◇




「おかしいとは思わないのか、なあ」


 そう呟くのは、有角の青年。


 《人界》の星空の下、ここにはいないはずのへと向けて発される言葉はしかし、明確にの会話と繋がっている。言い逃れようもなく。


「神を信じること。神のがあること。どうしてその二つが等式で結ばれる。お前らはそこから勘違いしてるんだ」


 神を信じるとは心の発露であり、自然な感情であるはずだという認識がユヴォーシュとロジェスかれらにはない。どころか、あまねくこの世界の誰も、そんな考えは持ち合わせてはいないのだ。


 神を信じることとはつまり、神のを刻むこと。


 ならば一体、神をとは何を意味するのか。ただ純粋に信じ祈るだけでは、どうしていけないのか。


「全く臆病で厄介な■■■■■■■■■だ。おかげで随分と面倒な回り道」


 嘯く妖属の男の、呼ばわるその名は誰も発音できぬ音節だった。

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