2章「『愚か』は魔術師の常套句」

075話 西方進路その1

 ニーディーキラ交易路。大陸の西方へと続く最大最長の道。


 その道中に存在する都市、カリークシラはそれほど大きくはない。都市防壁もないし、大都市には必ず存在している信庁聖堂も見当たらない。都市の中央を通るニーディーキラ交易路の脇に、ずらりと宿屋や旅の道具屋、食料品店などが並んでいる。表通りを一本奥に入れば民家が並んでいて、つまり、この街は宿場町なのだ。


 東西を繋ぐニーディーキラ交易路を行き来する信庁征討軍や商会の人々や、あるいは冒険者をもてなし、その利益で生活している。


 今日も一台の馬車がカリークシラを訪れた。御者台の青年は「旅の冒険者だ」と名乗り、宿と食料の補給を求めた。


 ……どことなく違和感がある。彼の乗る真新しい四頭立て馬車は高級品で、彼のような若い旅人が所有できるようなものではない。それに、交易路を走らせるのは意外と危険なもので、どこから野生動物や魔獣、亡命魔族なんかが襲い掛かってくるか。あるいは盗賊か。商会のキャラバンはそれらから身を守るために護衛の傭兵を雇っているもので、結果としてそれなりの人数になりがちだ。にも関わらず、彼は一台でこのニーディーキラ交易路をここカリークシラまでやってきた。


 ───彼が盗賊なのではないか。


 何かあくどい手段で奪った馬車でここまで逃げてきたというのは、あり得る話だ。


 青年を迎え入れた宿の女将から、噂はカリークシラ中へあっという間に広まった。もともと小さな街だし、旅人が来なければ娯楽も何もない。刺激に飢えているのだ。


 無闇に疑い刺激しなければ、ただの旅人としてここを発ってくれる。それでいい、刺激には餓えているが危険は御免だ。


 もし万一、青年が賊であり、カリークシラもその毒牙にかけようとしているなら。その時は、街の用心棒たちがどうにかする手はずとなる。


 これまでも、金銭のトラブルや亡命魔族の襲撃など、カリークシラを襲った危難は数多くあった。それらを撃退し、この街を守るためには暴力も必要となる。力には力で対抗するほかない時もあるのだから。


 近郊を活動圏としている野盗、ゲーリン兄弟や《逆腕》のコジェネッロでも来てしまえば話は別だが、彼らはカリークシラは襲わない。カリークシラは彼らも利用しないでもないから敵に回すと不便だし、それを押してまで襲う価値はこの街にはないから。


 だからその日の夜中、ゲーリン兄弟の一党がカリークシラにやってきて暴れ始めたとき、住民たちは自らの目と耳を疑ったものだ。


 彼らの要求は金銭や物資ではなかった。


 ただ、「青年を出せ」と、それっきり。


 得体は知れないが泊めた以上はウチの客だ、お客さんを放り出してはいオシマイでは筋が通らない。そう主張する住民たちに、青年は申し訳なさそうに頭をかくと、


「いや、済まん。もとはと言えば道すがら、彼らに絡まれたから一発殴ってきたのは俺なんだ。だからまあ、俺が行ってくるよ」


 あっけらかんとそう言って一同を絶句させ、その隙に野盗の群れのもとへ向かってしまった。


 野党集団の最前、ひょろりと長い男が誰何する。あれがゲーリン兄弟の弟、クレサンス・ゲーリンだ。


「オウオウオウ、オウオウオウオウ。お前かァ、兄ちゃんをブン殴ったってのは!」


 住民は震え上がった。青年が手を出したのはよりにもよってゲーリン兄弟の兄、オルビジョア・ゲーリンその人だというのか。極めて乱暴なことで知られており、殺した旅人や商人の数は両手の指で数えきれないと囁かれている、あの。


「兄ちゃんかどうかは知らんけど、たぶんそうだ」


「舐めた野郎だ、テメェ、気に入った! 名乗りやがれ!」


 ゲーリン兄弟はひどく仲が悪く、しばしば兄弟喧嘩の末に分裂と統合を繰り返している野盗集団だ。彼らが組んでやっているのは、お互いよりも強いやつがいないから仕方なく、という理由だと一帯では囁かれている。


 もちろん、来たばかりの旅の青年がそんなことを知る由もない。至極当然に引き気味で、


「ええ……。いや、俺はユヴォーシュって言うんだけど」

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