074話 暗貌談話その4

「さて、どうするねディレヒト」


「……何故あなたがここにいる?」


 信庁神聖騎士筆頭ディレヒト・グラフベルの執務室。聖都イムマリヤにそびえる本殿の中でもかなりの高層に存在するそこは、部屋の主が主だけに無断で立ち入る者などいない。


 彼を除いては。


「ケルン殿」


「堅苦しいな。ケルン様って呼べよ」


「…………」


 あまりにもラフな格好をしたケルン。ノースリーブのチュニックに、膝丈のズボンは裾が広がっている。爪の伸びた足指、足裏に汚れはついていない。靴を履いていないだけが理由ではなく、彼が執務机にどっかりと座って足をぶらぶらさせていることも大きい。


 ディレヒトは彼の不作法を咎めることはしない。


 することに意味などないと知っている。


 ケルンは柔らかな巻き毛の髪をぽりぽりとかく。その動きに合わせて、彼の耳の上から伸びる枝角が揺れた。


「貴殿の王は、何と?」


「妖精王からの伝言なしに、俺が会いに来たらマズいか」


「それが貴殿の役目だろう」


 《妖圏》を統べる妖精王たち。《人界》における小神たちと同格の、偉大なる柱。そのうちの一柱から全権を委任されているケルンは、言うなればディレヒトと同格の権限を持っている。本来ならば、二人は会談でも開かなければ話もできないほどの地位にあるのだ。


 しかしそれは、《人界》の作法。


 《妖圏》からの来訪者たる彼を、《人界》の理で縛ろうとすれば反発もある。そう慮って、彼を咎めまいとはすれど、しかし。


「……机からは下りてくれ」


「おう、悪い悪い」


 口でだけ謝罪しつつも動く様子は微塵も見せない。言うだけ無駄だったか、とディレヒトは自省する。


「それで、どうするね? ユヴォーシュ・ウクルメンシルが、ディゴールの《真龍》をころしちまったって、俺の耳にも届いているぞ」


「どうもしない。過ぎてしまったことを取り返そうとして、傷を広げることもないからな」


 ロジェス・ナルミエとは既に連絡を取っている。彼への命令はニーオが予想した通り、『探窟都市ディゴールの勢力を《真龍》に削らせよ』『その後、《真龍》を誅戮せよ』という二条項。彼に事情を聴取したところ、《真龍》がある程度暴れるまで待っていたら二人が迎撃してしまった、という報告を返してきた。


 事前に『邪魔されるようなら排除しろ』とも伝えていたのだから、それで済む話ではない。叱責しても気のない謝罪ばかりで、心ここに非ずなのはとれた。こうなれば言って聞かせるのは難しい───というか、ロジェスについて言えば無理だろう。彼の実力については評価しているからこそ、彼を《冥窟》潰しに送り込んだのだから。


 仕方がないので、『ユヴォーシュが信庁と明確に敵対することがあれば君が斬れ』と伝えて、彼には帰還を命じている。


 だから、今更何かをすることはない。


「───本当に?」


「……何が言いたい、ケルン殿」


 いつの間にか、彼がすぐ傍に立っている。


 恋人のような距離感、一歩踏み込めば触れてしまいそうな近さ。たじろぎそうになったのは近いからではない。目前に爛々と燃える瞳がある。


 嘲り嗤う獣の如き剥き出しの牙。


「全部グチャグチャにしちゃえばいいじゃないか。何を我慢することがある、自由にやったらいい。誰が咎められるワケもないだろう?」


 だが、相対するは神聖騎士筆頭ディレヒト・グラフベルだ。


「偉大なる神が私を見ておられる。だから私は恩寵に報いる。貴殿が何を目論み、何を唆そうと」


「──────」


 ケルンは値踏みするように瞳を細めると、両手をぱっと開いて離れる。その表情は軽薄なそれに戻っていて、先刻の魔族もかくやとばかりの悪貌はなりを潜めていた。


 そのままくるくると回りながら、おどけて、


「おやおや、これは残念。ちょっと時期尚早すぎたかな」


 そう笑いながら執務室を去ろうとするケルンの背中に、ディレヒトが問いを発する。


「貴殿はユヴォーシュの動向が気になるのか?」


「ああ、それはもう。我がことのようにな」

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