第11話

 エダスから距離を離して小川の近くまで走り切ると、ミレアは急停止をかけて立ち止まる。数秒もたたず、遅れてヒルーダが現れた。

 息の荒さがなく、発汗も感じさせない。服も乱れていないとなれば、どうやってここまで追いついてきたのかと疑問さえ感じてしまう。

「まあ凄いですね。私の足に追いつける上に、息も上がらないなんて」

「野山を駆けるのは、子供の時より得意ですので。ここで振り返るということは、もう始めても良いということですね」

 始終笑うミレアに、ヒルーダは一片の迷いなく長柄の巻かれた布へと手を駆けていく。簡素な作りを剥ぎ取り、中身が全貌を露わにした。

 反射した光を放つ金属質の塊は、とても巡礼者が持ち歩くようなものではない。特色があるとすれば、赤い宝石が一つだけあしらわれたもの。顔の辺りまで掲げると、切っ先を前方に向けて構えていく。

 足場が不慣れな山中でも、堂に入った立ち振る舞い。異様な状況に場慣れている。ミレアが皮肉の籠った笑みを浮かべ、全く油断しない相手に演技を放棄した。

「旗ではないし、あの男のものでもない。まんまと一杯くわされたわ」

「いえいえ、貴方ほどではありませんよ。さて、可愛らしい演技は終わりですか?」

「ええ。案外と肩が凝るのよ、これ」

 ミレアが礼装美麗れいそうびきの削ぎ落とされた、無骨な槍を品定めしきる。侮ってもお釣りがきそうだと、余裕を持って笑う。

「ハン、改まってなにを出すかと思えば。なまくらそうな槍の一本如きで私に立ち向かうつもりかしら?」

「ええ、そうですね――

 白く小さい物体が宙を舞う。

 ――では、こちらから先手を取らせていただきます」

 よくみれば人の指、ミレアの避け損ねた右手の小指がちぎれ血飛沫が溢れていく。

 ヒルードの一足飛びから放たれた攻撃に肉薄してしまう。負傷を伴いながら、再び縮められた距離を引き離す。油断もあったが、明らかに速すぎる一撃だった。槍使いの女性が両手で風車のように得物を回転させる。ヒュンヒュンと、風圧の鋭く唸る音が森の静寂を断ち切っていく。

 能ある鷹の爪を隠していた敵が眉間の皺を微かに寄せ、感心したような口調で喋りだす。

「不意打ちで肩まで刎ね飛ばしたつもりでした。随分と勘が宜しいですね?」

 ミレアが右腕を庇うようにして、左肩を突き出しながら腰を低くしていく。睨みつけ、歯を剥き出しにしながら懐かしい匂いを嗅ぎ取った。似ている、昔に戦って消えていった化物のことを思い出す。

端女はしための皮を被った同類だとは、思わなかったわ」

「いいえ。私は正真正銘、ただの人間ですよ。しかし貴方が仰られたことに対しては、当たらずとも遠からずと言ったところでしょうか」

 しれっと答え、構えながら今まで閉じていた両の目を見開いていく。青く光るもやが出だし、ヒルーダから放たれるミレアに対しての圧が増す。

「私には少々、天眼と呼ばれている不思議な力があります。一つは制御不能で夜が昼間のように見える、梟の目」

 いつの間にか一歩を踏み出している、出方のタイミングが全く読めない。読ませてくれない。

「もう一つは、相手の心を見透かすように読み取れるということです」

「く!?」

 一部では両天眼ダブルヘブンズアイというそうですと、ヒルーダが澄まし顔で説明する。

 強い。ミレアが胸中で焦りだす、決して手を抜いていい相手ではないと。下手をすれば、自身を追い詰めたユーグよりも格上の可能性さえある。

「一時間もたたないうちに誓いを破る気なんて、さらさらなかったけれど。容赦できる余裕がない、貴方だけは今ここで潰させてもらうわ」

「では、此方は貴方の鼓動を摘ませて頂きます」

 ヒルーダが髪を掻き揚げ、両の眼が完全に見開かれだす。思い出したかのように付け足される一言。

「そうでした、一つだけ教えて差し上げます。私の従者であるクローグ、彼が貴方の指摘した同類にあてはまりますね」

「 っ!? 」

 はたと気づく。

 今まで退けてきた討伐隊は、倒せば倒すほど人数と練度が増してきていた。それがここに来て、今はたったの二人しかいない。次は五〇人で攻めて来ても、おかしくはない筈なのにだ。

 完全に読み間違えたことへ後悔する。目の前に対峙する敵は、二人のうち一人だけが強かったわけではない。二人揃って、互いが一騎当千の猛者だ。ミレアが肩を震わせ、恐怖から戦慄しだす。

 エダスが殺されてしまう。

 エダスが奪われてしまう。

 エダスがいなくなってしまう。

 エダスを失う。

 ――――初めて人生を一緒に歩んでくれると言った人が、私の目の前から消えてしまう。光を失う。

 決して許されない、許してはならない。まだ始まったばかりなのだ。七〇年以上も苦しみ続けて、心の底から初めて幸福感に満たされた。守らなければ、戦わなければ、やっと掴んだ幸せを維持させたいのであれば。

「構ってあげられる時間がなくなったわ。今すぐにでも、終わりにさせてもらうわよっ!!』

 急激に体を膨らませ、一気に化物サカの姿へと変貌しきる。ヒルーダは特に感情が振れるでもなく、淡々と告げてきた。

「いいえ、最後まで付き合っていただきます。このいくさは、首を揚げた者だけに真の安らぎと静寂を与えるのですから」


 ◇


「がっ!」

 エダスの体が木の幹へと激突する。背中と打たれた腹部に激痛が走り、思わず体を抱え込むようにして呻く。少し離れた場所では、クローグが楽しそうに手の開いて閉じてを繰り返していた。

 戦闘が始まって、クローグから視認しきれない速度での殴打が繰りだされていく。一発の威力が桁違いに重く、人体へと響いた。ある程度の予想はしていた。だが身体能力が違うとはいえ、もはや大人と子供ほどの差が生じている。

 障害物の多い森だから、鎧は着ていない。身軽さを選択していて、服を着こんでいるだけだ。これだけの一撃を受けてわかったこと。目の前の敵は鎧の壁ごと損傷を与えてくる。

「五発耐えたら我慢賞、七発耐えたら名誉賞、二〇発で俺と同等だって認めてやるよ。んで、次で耐えたら我慢賞だ」

 クローグが手放されて落ちていた剣を掴み上げると、倒れ伏す者の方へと投げ捨てた。エダスが口元から流れる血を拭い、落ちていた剣の柄を握り込む。刃の途中部分は歪み、くっきりと指で掴まれた痕が幾つもこびり付いている。

「しっかし、準備運動にもなりゃしねぇ。もう二、三発きめたら師匠を追うか」

 エダスが歯を食いしばる。完全に舐められ、遊ばれていた。こちらは剣で、相手はただの素手のみ。ミレアに襲われた際で世の中の広さを身に染みたが、こうも立て続けに負け続ければ心も折れそうになってしまう。

 剣を地面に突きたてながら、よれる足に踏ん張りをかける。敵わないと理解していても、戦意を燃やして睨みつけていく。

「いいねぇ。誰か守るつった以上は、立ち上がる根性みせねえとな。だが、回復して追ってこられるのも面倒なんだよな。こっからは、お楽しみのグレートアップタイムだ。内臓が破裂して死んでも、化けて出るなよ?」

 口調から確信できた、ここからは一発でも受けたら即死する。クローグのだらりと下がりきっていた拳が、ゆっくりと昇っていく。エダスが剣を構えながら、これからの流れを考えていく。

 ミレアから強敵を相手取ったときの助言は貰っていた。提案を生かすか殺すかは自身次第だ、一か八かの賭けとなる。再度として深く息を吸い込むと、掛け声をかけて動く。

「ハァッ!」

「いい掛け声じゃねぇか! 面白れえ、そのままくた――、危っぶねぇ!」

 クローグがサイドステップを踏んで回避に徹する。今までいた場所を投げつけられた剣が通過していった。エダスは意表をついて背を向けると、一目散に家財のない家屋の中へと逃げ込んだ。クローグが面倒臭そうにしながら、首を鳴らす。

「ち、ヤケクソかよ。拳闘士じゃねえ人間が、武器を捨ててんじゃねぇ」

 エダスが屋内に駆け込み、床に置かれていたものを確認する。そこには刃に厚みのある無骨な剣が置かれていた。傭兵隊長だったダゥイルのものだ。これだけは形見として持っていたいと思い、ミレアに戦闘跡から持ってきてほしいと頼んでいた。エダスの普段使用する剣よりも、攻撃力がある代物だ。限界の力で振り抜けば、破壊力は保証されている。

 だが、当たればという前提がつく。この武器は事前動作が大きく、いってしまえば速度が乗るまでの間が酷い。では、どうすれば当てられるのか。

 決まっている、頭を柔軟にすればいいのだ。一つしかない出入り口から、差し込んでいた月夜の明かりが遮られる。戸口の端に指がかけられ、クローグが笑いながら声をかけてくる。

「悪いが終わりだな、坊ちゃん」

「いや、僕の勝ちだ」

 二人で屋外に出る前から用意していた。赤く灯る火は暗い部屋を蛍のように照らし続ける。

 備えあれば憂いなし、エダスが皮肉毛に笑う。ミレアが用心のために準備していた武器を腰だめにして持ち上げた。狙いは定めず適当に前方へ向ければいい。あれだけ大きい的だ、寝ながら撃っても当たるだろう。

「おいおい、なんだそりゃ。胸糞悪い匂いで、俺の鼻でも潰そうってのか?」

「僕の恥を一つ教えてやる。悲しいことに、生憎と昔から得意なのは剣じゃない。弓だ!」

 撃ち放たれた銃弾がクローグの首を貫く。ど真ん中に命中し、騒ぐ陽気な声をだす部分が潰れた。存在を知っていれば、ずっとその場で留まる間抜けな反応はなかった筈だ。状況という賭場で、ミレアの提案が読み勝ちした。

 パンッパンッパンッパンッと、続けざまに鳴る銃声は、喉元を抑えるクローグの他にある急所をことごとく射貫いていく。エダスが装填積みの銃を立て続けに持ち替えながら、間を空けずに引き金へと指をかける。

「勝因は僕の知識がほんの少しだけ上だったこと。あとは、貴様の慢心した油断だっ!!」

 計5発、最後に撃ち切った銃を投げ捨てて、ダゥイルの剣を掴み切ると振りかぶりる。

「ごがっ!?」

 上段から一気にクローグの肩へと目がけ、渾身の斬撃を加えた。肉と骨を断ち切って、重い傷を叩き込む。倒れ伏していく敵を眺めながら、エダスがやるせない表情で見下ろす。

「はあ、は、はあ、はあ……。すごい威力だ、これでは正騎士の立つ瀬がなくなってしまうかもな」

 まだだ、まだ脱力はできない。ミレアのいる場へと急がなければ、本当の盾としての役目を全うできないのだから。エダスが一歩を踏みしめて、出入り口へと向かう。


     ◇


 揺れ落ちる木の葉のように据わった軸がない。掴みどころのない動きに翻弄されてしまう。右へ振った腕に対し、左に体を反らされる。左に振れば右へ、噛みつけば槍の切っ先で口の中を貫かれてしまう。

 開いていた口を閉じきって槍を挟みこむ。相手の牙を奪おうとしたが、噛みついたと思っていた槍は既に引き抜かれていた。ヒルーダが青白く光る目から、もやを纏わせ静かに述べだす。

「心のベールを剥ぎ取られるのは、初めてのようですね。戸惑いと混乱で、感情が暴れていますよ」

『ぬかしてなさい、すぐに透かした顔を噛み砕いてやるわ!』

 戦闘はミレアが押している。いくら刃からの一閃を受けても、持ち前の超絶的な回復力があるのだ。ヒルーダの攻撃を一切にして通さず無力化している。効くとすれば殴殺できる、鈍器の方が有効打として機能する筈だ。

 そのはずなのに、ミレアは全く勝機を見いだせる気がしなかった。避けられる、強力な攻撃が簡単にいなされてしまう。現に面で押し切ろうと全身で体当たりをかますも、

「瞬発力は驚異的ですが、戦術の幅が単純すぎます」

 ミレアの長い耳が綺麗に削ぎ落された。ヒルーダが槍を高跳び用の棒として地面に刺し込み上空へと上がりきる。次いで抜き取られた刃先が、寸分の狂いもなく欲しい答えを攫っていく。

 ミレアが鼻のあたりにへと急激に皴を寄せた。

 羽衣のように、しなやかさを纏って円を描き舞う。追従する煌めく銀の線が、動きをなぞるようにして迫ってくる。ヒルーダの流れるような連撃が巨大きな犬の顔を切り刻む。

『煩わしい! 蜂だというなら、針を引き抜いてやる!』

 早さだけが取り柄のひ弱な害虫だ。潰すために、もっと大きい面を寄こせと心の衝動が要求する。ミレアが両の前足を地面にめり込ませた。

『さあ、吊り人形のできあがりよ!』

 爆発したように、土と岩が扇状へと放射されていく。散弾された制圧に逃げ場はない。当たれば複雑骨折により、四肢があらぬ方向へと曲がってしまうだろう。

「お粗末ですね。私が全て避けると考えるのは、愚策ですよ」

『なっ!?』

 ヒルーダが得物の先端で、自身に当たる幾つもの石を叩き落とすか軌道を反らしきる。達人の域に到達した反射神経は、どちらが化物かを判別不可能にさせた。

『げ、ぐ、ちぃ!?』

 連撃の流線を阻むものはない。手首、肘、脇、首の関節部分に切れ込みが入る。赤い華が咲くようにして、ぱっくりと筋が開ききった。健を断ち切られ、巨体の前方が地に沈む。

 ミレアが身動きを取れず、威嚇するようにして歯をむき出しにする。傷が回復しきるまでに、数分を要してしまうだろう。無防備な状態で、この後の動きを組み立てていく。変幻自在の動きをする武器に対応しきれない。行動を読まれてしまい、常に先回りされてしまっていた。

 人の身でありながら、異常なほどの強さを誇っている。ヒルーダが横に一回転し、槍の刃に付着したミレアの血を振り払う。

「貴方は最初、私を侮りました。過信の行き着く先は、傲慢のみです」

 ヒルーダが腰に提げていたものをミレアの眼前に放り投げた。巻かれていた布が衝撃によってほどけていく。

『あ、ああ、止め、て、い、いや、いやああああああああああああああああああああああああああっ!!』

 身動きの取れないミレアが絶叫を上げた。巨体を竦ませながら、暴れようともがく。半狂乱になったようにして、口から唾液の泡を飛ばす。だが、縄に巻かれたようにして身動きが取れない。四肢の健がまだ治りきっていない。

 正気を保っていられず、やがては巨大な体躯は小柄な少女へと戻っていく。痙攣したようにして、体が跳ねまわる。

 ヒルーダが澄ました表情で淡々と語りだす。

「やはり、貴方にとっての畏怖は斧のようですね? 知っていますか、螺旋を自ら切り離して生き返った者にとって、禁忌となるものがあるということを。それはですね、本人が死ぬ瞬間の原因となったものです。川、森、火、縄、刃物の類であれ、本人とって死因に付随する物。それらには決して逆らえないという、呪縛のような概念が存在します」

 槍の柄を地面に突き立てると、揺れる髪を巻き上げなら髪留めを通す。這うようにして足掻くミレアの裸姿を静かに見下ろす。

「ここに辿り着く前ですよ。貴方が派遣された傭兵達を殺戮した村へと赴きました。ご丁寧に手掛かりを残してくれたので、非常に助かりました」

 ミレアは話を聞けない、なにも考えることができない。両手で頭を抱え怯えてしまう。恐怖の支配から逃れようと、ただひたすらにうずくまり続ける。戦闘を継続することなど論外だ。

 ヒルーダが再び槍を両手に持って、腰を落とし構えをとっていく。

「いかに回復速度が速くとも、頭蓋を破壊しては助からないでしょう。苦しまぬよう、一刺しで楽にして差し上げます」

 胸元で十字を切り、静かに祈りの祝詞を告げる。槍の切っ先をミレアの頭上に掲げていく。

「神よ、罪深いわたしたちのために。今も、死を迎える時も祈って下さい。螺旋を自ら切り離した彼の者にも、最大限の慈悲なる祝福を」

「慈悲をくれるというなら、処断なき慈悲が必要だ!」

 割って入ったエダスが、大振りの一撃でヒルーダの居た場所を斬りつけた。少し離れた場所から、槍の金属が鳴る音が響く。槍を構えなおすヒルーダは表情を動かさずに告げてくる。

「いいえ、必要なのは安らかなる眠りです。クローグはどうしましたか?」

「倒した!」

 怒鳴るエダスがミレアに駆け寄り、自身の上着をかけて上半身を抱える。虚ろに広がる瞳孔は、焦点が定まらずにせわしなく駆けずり回るだけだ。間に合ったことに安堵する暇もない、大声で呼びかける。

「ミレア!」

「怖い、怖い、斧、お母さま、助けて、死ぬ、やだ、やだ、苦しい、足、重い――

 エダスの視界に手斧が収まる。手を伸ばして掴むと、振りかぶって明後日の方向へと投げ飛ばす。重みのある剣を両手で構え、最強の敵を睨みつけた。ヒルーダを一つ嘆息すると、槍を手回しさせていく。

「……しょうのない弟子ですね、また遊んだのですか。手酷い痛みを受けたのであれば、教訓として良い薬でしょうか」

 チャキッっと、回れていた槍が音を立てて止まる。

「騎士の忠義を汚さぬため、今一度だけの猶予を。エダスさん、引き返す気はありませんか?」

「見逃す気はないのだろう」

「残念です」

 エダスの眼前に切っ先が迫りきっていた。

 避けても間に合わない。引くのではなく、押し切れ!

「うおおお!」

 咆哮を上げながら前のめりに。肩を突き立て、ヒルーダの胸あたりへ体当たりをかます。眉間に金属がめり込み、皮から肉までが浅く裂けていく。

 剣の刃はリーチの長さが邪魔になる、柄を使って二撃目に繋げるのだ。

「良い思い切りです」

 切り返しの速さにエダスの体が届かない。ヒルーダが体をバネのようにしならせて、上半身のみ後退させきっていた。引き際にすぼませた手が横薙ぎにされ、エダスの片目に深々と傷をつけていく。

「うぐあっ!?」

「終わりです」

 連動したように手から槍を離し、刃先の向きを反転させて掴みなおす。槍投げのような姿勢から、動きに合わせて威力が増す。力みのない動作で、槍の重みが丸々エダスの左足に吸い込まれた。

「んぐご、ぼっ!」

 耐える痛みから声が漏れ出る。ヒルーダが再び一回転して、横薙ぎによる一閃をくりだしてきた。狙いはエダスの首、一撃で仕留めきる。

「貴方みたいな悪魔なんて、エダスをくれてやる気はないわよ。冗談いじゃないわ」

 ミレアがエダスの体を抱え込み、その身に攻撃を受ける。手応えを感じつつ体制を整えるために、ヒルーダが後ろへと跳躍した。槍を構えなおしてくると、感心したような顔になる。

「精神も怪我も、回復が速いですね。少し驚きました」

「よくもやってくれたわね。お陰で腸が煮えくりかったわ」

「そのようですね。ですが、摩耗は防げなかった様子。その身で私の攻撃を受けたのです。反撃して斬り返せないあたり、心身の限界が近いのでは?」

 指摘された通りだった。動くのがやっとの状態で、戦闘行為は無理なほどに辛い。ミレアはヒルーダには敵わない。斧を畏怖するのは、前々から本能的に感じて避けてきていた。実際に見せられれば、なにも考えられなくなるほど思考が混乱した。精神もやすりで勢いよく削られた。

 残された策は限られ狭まっていく。

「賢い選択ですが、思い通りにさせる気はありません」

 心を読まれようが関係ない。即座に手近な石を掴み切って、ヒルーダの顔面目掛けて投げ込む。苦も無く槍で弾き飛ばされた。ミレアが背を向けて駆けだし、決死の逃避行を開始した。

 体力の残りがない。いつもは軽い筈のエダスが、手から離してしまいそうになるほど重い。脇に抱えている状態から背中に担ぎなおし、一気に山中を駆け抜けていく。後ろを振り向く余裕はない。一動作でも無駄な動きをすれば、確実に二人とも命が零れ落ちてしまう。

 顔の真横に槍の刃が現れると、そのまま木に突き刺さる。内心で盛大に罵詈雑言を浴びせながら、生き残りをかけてひたすらに走った。

 背後に迫る気配が収まらず、どんどんと膨れ上がっていく。

「させません」

 遠くからでも澄んで響く声がした後、投げ込まれてきた槍がミレアのふくらはぎに突き刺さった。

 間に合った。

「死にたいなら、着いてくるといいわ」

 底の深い崖が前方で口を開けている。ミレアは槍が突き刺さったままで、迷わずに飛び込んでいく。ヒルーダが急停止をかけて、崖の底を見下ろす。次いで手もとを見つめながら、道連れにされた槍のことを考える。

 少し後ろから、草場が揺れだす。

「すま、ない師匠。や、られちまった」

「随分と酷い有様ですね」

「ず、い分と良いの、を、貰っちまったよ。ち、話しにくい!」

 クローグが口から溜まった血の塊を吐き出す。やられた傷は少しづつ塞がりだしていた。負傷した部分の上からは、黄色い粘性の強い液体が付着している。

「喉に血が溜まってな、まだまともに喋られねえ。怪我したところに油を張って凌いでる。しこたま急所ばっかやられちまった」

「騎士の忠義に手を抜きましたね、話はあとで聞きましょう」

「小僧は騎士でも俺はただの浮浪者だからな。忠義なんてもんは、こちとら知らねえよ。しっかし、師匠から逃げ切るなんてすげぇな。そんなに強かったのか?」

「ええ、相応に。あの胆力は、流石と賞賛すべきです」

 クローグがおかしそうに笑い、ヒルーダが不信感から眉間に皴を寄せた。

「槍は?」

「持っていかれました。その辺に捨てられているでしょうから、回収が必要ですね」

「ほう。師匠が得物を取られるなんて、初めてなんじゃねえの?」

「沈黙は金と知りなさい。休む必要があれば、私の匂いを辿って追跡してくるように」

「おー、おっかねえ。少しからかっただけで、これかよ。悪いが剣で切られた傷が効いてる。出来るだけ早く追いつくようにするわ」

 ヒルーダは一つ頷くと、槍を回収するために走り出した。


     ◇


 左目左足の負傷は、エダスの歩行に壁となって立ちはだかる。ミレアに肩を借りながらの移動には、かなりの速度低下が加算されてしまう。

 剣を杖代わりに、なんとか足をもたつかせないようにする。二人とも息が荒く、今すぐにでも休憩が必要だった。

「すまない、僕が力不足なばかりで」

「無理よ、私でもあの女には勝てないわ。距離を稼ぐ寸前まで、全く生きた心地がしなかった」

 刺さっていた槍は小川に投げ込んでおいた。底が浅く、重みから流されずに残るだろうが、多少の時間稼ぎにはなるはずだ。ミレアが垂れさがる髪に指を通しながら問いかける。

「男の方は死んだのかしら?」

「いや、間違いなくミレアと同じだった。あれでこの世を去ったとは思えない」

「そう。追手が両方とも健在なのね」

 間違いなく追いつかれてしまう。ミレアが思案していくが、未だ思考力は調子を戻しきっていない。時々、歯車の部品が噛み合わないようにして考えが抜け落ちていく。

「森を抜けきれば、街道沿いに川が流れてる。丸太でも何でもいいわ、しがみ付いて下流にいくの。匂いの足跡を消して、追跡から逃れきるわよ」

「ああ、わかった」

 ミレアがエダスを引っ張るようにして、力を振り絞るように前進する。エダスが動かなくなってきた足に踏ん張りを入れた。ミレアが思い出すようにして喋る。

「西のずっと端よ。船で遠くの場所まで、渡れると聞いたことがあるわ。頭に布を巻いて、辺り一面は黄色い砂だらけの土地、崇める神も全く違うらしいの」

「物知りだな。そんな場所があるなら、とても楽しそうだ」

「そこまでは追っても来ないわ。だから、今だけは何としても逃げ切るわよ」

「ああ、そうだな。ミレアはそこでなにがしたい?」

「エダスと楽しく暮らしたい。本を木陰で読んで、転寝して。夕暮れの景色を一緒に眺めて。安心して、ぐっすりと寝ながら毎日過ごしたい」

「そうか」

 森の中で銀が瞬く。無機質でできた金属の刃が、ミレアの首目掛けて振り下ろされた。

「あ……」

 命の危機を察知したから、本能が無意識に反応した。避けて返す手は反射的に攻撃へと転じていたから。だから、気づいたときには間の抜けた声しか出ない。

 もし、磨耗しきっていた精神に毛先ほどの余裕があれば。

 もし、振り返っていれば。

 もし、自身が殿をかってでていれば。

 そんなものはありえず、現実は無慈悲しかなかった。

 手をすぼめての突き刺しは、相手の胴を貫ききっていた。ミレアは目にした光景が信じられず、呆然と口を開けるだけ。エダスが力なく笑い、剣を放して地面に倒れこむ。

「いやあああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 意識が動転し、両手を頬に当てながら絶叫する。急かすようにして膝をつき、必死の思いでエダスの上半身を抱えあげる。液体が肌に付着した感触と、鉄の強い臭いが充満しだしていく。出血が続いてエダスの顔が青くなりだす。

 深すぎた人体の損傷は、もはや手の施しようがないほどに手遅れだ。

「なんで!? なんで、なんで!?」

 どうしてどうしてと、錯乱したように喚くばかりしかできない。ふっと、エダスの手がミレアの頬を撫でる。泣きじゃくっていた叫びが止み、真相を知るために言葉を待つ。死を予期している青年は、よれよれの声で尚も気遣うように喋る。

「君一人だけ、であれば、助かる。僕は足手、まといだ」

「嫌よ、ふざけないで!」

 揺さぶりたい、身勝手な意見に顔をはたいてやりたい。しかし、そんな余裕はエダスにないことを知っている。

「前に、いって、いただろ。それ、を、思い出し、た」

 笑うエダスの顔に大粒の涙が落ちた。それを皮切りに小雨のように、絶え間なく降り注ぐ。ミレアは嗚咽を漏らしながら、冷たくなる体を温めようと必死に抱え続ける。

「僕は信じてみる、賭けよう、君の言っている、ことを。だから、お願いだ、もし前に言った、ことが本当の、ことなのだとした、ら――

 これは希望なのか呪詛なのか。ミレアの予想もしていなかった言葉が紡がれる。

 ――生まれ、変わった、僕、を探してくれ」

「いや、いやよ、いやいやいやいやいやっ!!」

「今は、一休みに、入るだ、けさ。また必、ず一緒に、なれる。そうなのだろ、う?」

「私は今が良いのっ!! 今、貴方と二人で居たいのっ!! 今じゃなきゃ駄目なのよ!?」

「逃げろ、逃げ切って、くれ。家名を、今から、君の名、前は、ミレア=ブーランジェ、だ。これを」

 エダスが自身の胸元へと視線を移す。応えるようにミレアが頷いて服の間に手を入れ、丸い金属のプレート型になるネックレスを持ち上げる。彫られている紋章は、ブーランジェの家系がもつ証明となるもの。

「形見で、はなく、僕が、君の従者と、なる証だ。これと、家名を、目印に生、まれ、変わった、僕は、君を見つけ、出す」

「私はミレア、ミレア=ブーランジェ」

「ああ、そう、だ」

 ミレアがエダスの頬を優しく撫でながら、互いの瞳を重ねるように見つめていく。今生から去る最後までは、片時も意識のすれ違いを起こさぬようにと。

「少し、休、む」

「ええ、お休みなさい。今は寝て、明日また起きるわ」

「ああ」

「そうしたら、夕餉ゆうげを楽しみましょう」

「たのし――

 エダスの腕が力を失って、垂れさがるように落ちた。ミレアが開く目を手で覆う。開いた眼を閉じて、その場にゆっくりと横たえさせた。

 首の後ろに両手を伸ばして、ネックレスの鎖についている留め金を外す。自身の首にかけなおすと、死者の口に自身の口を重ねた。

 数秒間して、口元を離したあとに笑顔を作る。

「――見つけるわ。どんなことがあっても、生まれ変わった貴方の元まで必ず辿り着く。約束よ、ここからが全ての始まりになるの」

 別れを済ませることなく歩き出す。持ち物は羅針盤のネックレスと羽織る簡素な男性用の上着のみ。後はなにもない。

 宝物庫はいらない、目的の先で全ての価値に勝るものがあるから。

 この身があれば十分だ、動ける体があるから。

 心があれば満たせる、意思を宿す器になるから。

 夜明けが日差しがミレアの姿を照らし出す。果てしなく長く続く、迷いのない一本道が目の前にあった。

 遥か後方で、二つの人影が様子を観察していた。

「良いんすか、師匠? このまま、あのガキを逃がしちまっても?」

「問題はないでしょう。もうこの場で、これ以上の罪を重ねることはなさそうです。今の彼女は何よりも、殺してしまった本人の生まれ変わりを欲している」

「生まれ変わりなんて、本当に見つかんのかね」

「あの心にあるものは最早戦闘意識ではなく、広大な砂漠にある一握の砂の一粒を探すように。彼女には、これからあてのない永過ぎる旅路だけが待っているでしょう。それは終わりのない呪いです」

 ヒルーダが槍に布を巻きながら応えていく。次に指示を出すため、今後の予定を告げていく。

「クローグ、エダスさんの遺体を回収します」

「あいよ。親御さんところに届けるんで?」

「ええ、死因は名誉の戦死。彼は最後まで、討伐対象へと果敢に挑んだ。これで家の誇りも守られ、誰の傷も浅く済みます」

「真相は闇の中へってか。まあ知らない方が、世の中綺麗に回るもんだしな」


     ◇


 少女の長い話が終わる。いったいどれくらいの間、一人語りをしていたのだろう。戸や窓の隙間からは、夜明けの淡い光が差し込みだしていた。初老の女性は、ついと疑問に残る部分を訪ねだす。

「貴方のお苗字であるイバは、どこで付けられたものですか?」

「この旅の途中よ。今は無き、滅びた部族の長が私を家族として迎え入れた時に貰ったの。今求めている探し人とは、また別の話」

 永い時を経ての旅路、積もる話を語れば幾らでもありそうだ。いや、きっときりが無いほどの出会いと別れを繰り返してきたに違いない。ミレアが重ねていた手をほどき、真剣な面持ちで口を開く。

「ここまでよ、私が過去で過ごした相手の素性が解る部分はね。どうかしら、彼はこの世に生きていると感じることが出来る?」

「残念ながら、場所は特定できるのですが。貴方の想い人は、まだこの世に生まれてきてはおられません」

「そう……。では、解ることだけ教えて頂戴。何百年も彷徨って、放浪の末にやっとここまで辿り着いたの。あと一〇〇年程度であれば、ゆっくりと待つことだけに専念させてもらうわ」

「ここより東、大陸から海を渡って島へと行かれて下さい。国名は日本、首都は東の都。その場所を中心にして生活を営まれるのが、宜しいでしょう」

 初老の女性は的確に場所を指し示す。ミレアには見えないが、この占術師には見えているのだろう。場所も時間も飛び越えて、本人の身形も把握できているのかもしれない。だから他に都合のいい助言も寄越してくれるのだ。

「今は戦争中です。行かれるのでしたら、後一五年ほどされてからの方が無難かと」

「どういうことかしら?」

「貴方の容姿は目立ちます。それに、その頃より後でしたら、海を渡りやすいかと存じます。大日本帝国は今後において、戦争に負けますので」

 当たり前のように語る姿を見て、ミレアが感心してしまった。清の国に入った辺りからだ、どこもかしこも帝国兵は怖いと話題で持ちきりになっている。中国全土を覆いかねない勢いがある国が負けるというのだから、世の中わからないものだと一人ごちた。

「ありがとう、素直に忠告を受け取っておくわ」

 暫くの足止めをくうが、永久の時を越えてきた身では一瞬の出来事でしかない。ミレアがゆっくりと立ち上がって戸を開けた先には、新たな一日を告げる眩い朝日が上り出している。机に数枚の紙幣を置いて礼を述べると、外へ向かって歩みを進めていく。遮るようにして初老の女性が違う解を述べた。

「それともう一つ」

「なにかしら?」

「貴方の生まれ変りも同じ場所に現れるでしょう。容姿は背が高く、黒目に黒髪の暗い過去を持つ青年です」

「その部分には興味ないわ」

 ミレアがそっけなく答えて背を向けた。開けられていた戸が静かに閉まり、女性だけがいる質素な空間となる。眼を瞑って首を左右に振ってしまう。残酷な話ほど無慈悲なものはない。

 そう、占術師はミレアに本当の真実を一つだけ告げなかった。

 呟くように独り言が漏れ出す。

「お可哀想に、貴方は想い人と会えば残酷な現世を再び呪うこととなりましょう。ですが、どうぞ貴方に幸のあらんことを」

 けっして、欲した相手の生まれ変わりが男性とは限らない。占術師の見えたもう一つの像は、エダスの生まれ変わりが『若い女性』だということだった。

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流転の化者 蒸し芋 @raporuto

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