第9話

 手頃な出費の宿を確保して夜中になる。木でできた窓枠の外は、人工的な橙色の光源が目立つ。ぼんやり眺めていると人々が闇を恐れ、灯りで必死に振り払おうとしているように思えてしまう。もしくは人がいるところに灯りが出来上がっていき、数が増えれば光が増していくように感じた。

 森に住み慣れすぎたせいなのだろう、久方ぶりの町は異界のようだ。ミレアが座っていた椅子を揺らして小さく軋ませながら、呑み足りなかったために露天で買わせた酒をあおっていた。

 ただ数時間と眺め続けていた。神秘的でもない光景なのに、不思議と今だに飽きがこない。暫く感情を整理していくと、予想外の答えに行き着く。

 生の息が漂う空間がひどく懐かしい。自嘲して小さく笑みをつくってみせると、随分と病んでいるのだと気づいた。寂しんでいる。しかし、なぜそういった思考に陥るのかが理解しきれなかった。

 流し目でベッドに寝込んでいる人物を見てみる。シーツを巻き込むようにして背中を向けていた。

「もう寝たかしら?」

「いや。これだけの目まぐるしい体験は初めてだ。興奮して寝れるわけがない」

 一声だけかけてみれば、エダスがひどく居心地の悪そうな声で返してくる。

「丁度いいわ、少し話しに付き合いなさい」

「その前に一つ、確認しておきたいことがある」

「なにかしら?」

「服にしても旅費にしてもそうだ。一体どうやって今ままで稼いでいたのだ。前は夜盗でもしていたのか?」

 エダスは気にかかっていた。ミレアがどうやってここまでの経費を賄っていたのか。もし悪行を生業にして得た蓄えで宿泊費があるとしたらと、エダスはとてもやりきれない気持ちになってしまう。今の状態でさえ既におんぶに抱っこでミレアへと頼るしかなかった。歩んでいる道が理想とかけ離れ始めていることに、現実は理不尽の塊でしかないと愚痴ってしまいたい。

「悪いけれど、その予想は外れだといっておくわ。正解は自分自身で稼いだよ。服も日用品も生活に必要なものは、正統な報酬で得ていた」

「本当か?」

「疑り深いわね。私が嘘をついて、なんのメリットがあるっていうのかしら。もう今は無いでしょうけど、職はサーカスの花形よ」

 少女は外を眺めながら、記憶の糸を手繰り寄せるように想い返す。言葉が上ずり、少しだけ自慢げに語ってみせる。

「これでも一座では稼ぎ頭だったのよ? 子供の癖に、お給金も一番高かった。今考えてみれば、座長が手放したくなかったのでしょうね。貴方は無防備なままで、獣の檻へ入っていける?」

「飼い犬ならいるが、熊や狼は無理だ」

「アルマンは虎、ティガータは大熊。普通はしない異常な芸も達者だったから、仲間の団員には怖がられていたわ。私と対等に話してくれたのは一人だけ。流石に歳でしょうから、寿命を全うして死んでるでしょうけど。面倒見の良い、姉のような存在だった」

 過去で復讐のために仮宿としていた便利な場所だった。年数が経つにつれて、多少の愛着もわいた。目的を果たしたあとであったとしても、居座り続けようかと考えたことがある。だが、そんな希望も虚しい願いでしかなかった。所属する人々は、体のあちこちへと年輪のように皺を刻んでいく。

 対してミレアは成長が止まったかのように、いつまでも子供のままだ。最初の数年は笑って済まされるが、なかなか歳をとらない状態に疑いの眼を向けてくる人間が出だしてしまう。サーカス団に所属してから抜け去るまでの一〇年のあいだ、少女の姿はずっと変わらなかった。

 なぜ余りにも外見に変化がみられないのか、その理由は自身にもわからない。化物サカになって以降の七〇年が経った今でも、六歳からやっと一二歳程度といった成長しかなかった。

 時に逆流しているわけではないが、存在自体がとても歪だ。ミレアの回想を遮るかのように、エダスが一言だけ喋る。

「眠気がひどい。僕はもう寝させてもらう」

 姿勢を変えて寝なおすと、細い線のような声が聞こえてくる。賛美歌のような曲だったが、名前の知らない歌をミレアが一人で緩やかに口ずさむ。宮廷音楽家には到底及ばない拙さだが、ひどく心が落ち着く。

 一時間ほどのあいだ、部屋には優しい音色が流れ続けていた。


     ◇


 秋空の晴れは風が吹けば涼しく、陽射しもゆったりとした湯船のように柔らかい。

 休日として定められている日の表通りは、人々の賑やかな光景が垣間見える。ミレアが小物の荷物を手に提げて、エダスが厚手のコートを肩にかけている。同世代ほどの子供たちが、二人の横を楽しそうに駆け抜けていく。エダスが頭を掻いて、嘆息しながら商談の様子を眺めていた。

「お嬢ちゃん、本当に可愛いねぇ! よっし、もう一つおまけしておくよ!」

「まあ、ありがとうございます。おじ様、大好き!」

 商人との間に仕切用の台が置かれていなければ、今すぐにでも抱き着きそうな満面の笑顔をみせる。愛想を振りまくミレアにエダスが心底あきれ返ってしまう。七〇を越えて老婆のような年齢の化物が、少女の外見を最大限に利用していた。しかも一軒一軒回るたびに買った上で媚を売り、幾らまけてくれるのか交渉をしだすのだ。

 中年の男性店主がいる店ばかりを狙い撃ちする辺り、なんとも小慣れ過ぎていた。本当に人里の離れた森に隠れ住んでいたのか疑いたくなってしまう。白い目で見ていると、ミレアが流し目で返してくる。

「なにかしら、社交性の欠片もなさそうな顔をして?」

「節操のなさに言葉を無くしているだけだ」

「仏頂面よりも価値はあるわね。まあ、エダスじゃ一トゥルネでさえ、まけてはもらえないでしょうけれど」

 売り言葉に買い言葉だ。ミレアの挑発に乗ってしまいそうになるが、青空を見上げて心を落ち着かせていく。エダスは胸を張ると、脇に携えている短剣の柄を掴む。

「商いは商人がすればいい。僕は正騎士だ、戦場で剣を振るうことが職務だ」

「ようは不器用で、私よりも弱いのよね?」

「…………」

 どうあっても言い負けてしまう。これ以上の口撃をされても堪りかねるとばかり、勝てない土俵から降りることにした。ふとして景色を眺めてみると、風によって湖畔が小さく波立つ。太陽が天に昇りきる前に、ミレアは必要なものを一気に買い揃えていた。

 引っ越しの旅支度となる入用の買い物だったが、必要最低限のもの以外は買わない。食糧に至っては水筒となる革製のものだけ。あとは護身用の長さ程度になるナイフが三本ほどだ。

 少ない。長旅になるかもしれないのに、ミレアの取り揃えたものに疑問を抱く。エダスは腑に落ちず、思ったことを直ぐに口へと出す。

「食糧は購入しないのか?」

「現地調達よ。途中で襲ってきた狼か熊を狩るわ、害獣駆除で付近の住民も助かるんじゃないかしら」

「路銀はどうする?」

「不思議よね、人なんてどこにでも住めるのだから。襲ってきた夜盗から金を巻き上げて、補填する予定よ。犯罪も消えて治安も良くなるんじゃないかしら」

 襲うわけではないが、全てを返り討ちにして稼ぐ算段らしい。理解はできたが理解不能な旅の予定を聞かされて、思わずうんざりとしてしまう。安住として殺伐さのない、心が安らぐ生活はできないものなのかと。

「もっと、穏やかに暮らすことはできないのか?」

「ついこの間まで、ひっそりと静かな暮らしをしていたわよ。貴方達が来たせいで台無しになったけれどね」

「それはミレアが自身で犯した罪だろう」

「私から先に手を出した覚えは無いわね」

 悪びれずに言う様をみて、エダスの感情が沸騰する。僕達の隊へと先に攻撃をしかけたのは、ミレアではないかと。かといって、抗議しようが強く出れないようでは、単なる負け犬の遠吠えにしかならない。顔を斜めに向けて俯瞰して見える少女にしてみれば、過ちなどとは毛ほどにも思っていないだろう。

 ふと、数日前のことを思い出す。窓辺へと腰掛けながら、陽射しを背にして縫い物をしていた光景が記憶を掠める。手馴れた様子で針を迷いなく布に通し続けていた。駄目で元々と、エダスがとりあえずの提案をしてみだす。

「危ない橋ばかりを渡りたがっているようだが。どこででもいいから仕立て屋などをして、ひっそりと過ごしていく生き方もあったのではないか?」

「同じ職場の人間はどんどんと死亡していく。百年経っても姿は変わらない、死にもしないじゃ無理があるわ。一〇〇歳の子供なんて、大抵の童話では魔女の化身よ?」

 笑い話だとばかり、ミレアが肩を竦めてみせる。特に気にする風もなく見えたが、エダスにはその背中が少しばかり淋しくみえてしまった。

「さて、荷物も充分に蓄えたし家に帰るわ」

 少女が伸びをして言った瞬間、青年の背筋に冷や汗が噴きだす。脳裏を駆け巡る恐怖の騎乗を思い出し、急な眩暈が襲ってきた。

「僕はもう、あれには乗りたくはない……」

「あれとは失礼ね。私の背中に馬乗りだなんて、普通は虐待行為でしかないわよ」

「人の姿であればだがな。せめて安物の鞍を――

「嫌よ」

 買わせて欲しいという言葉を一刀両断されてしまう。ミレアがエダスに対し、ぶすりとした表情で睨み付ける。少女は柔らかく小さな口端くちはしを両手で引っ張り、可愛らしい仕草をとりだす。それでいて目元が全く笑っていない。

「私にくつわを付けろって言うの? そんなの前に死んだ時だけで充分よ」

 ミレアの脳裏に嫌な光景が蘇る。今より幼く男によって押さえつけられた自身と、叫び続ける母親の顔を思い出す。思わず苦虫を噛み潰した顔をしてしまう。エダスが顔を顰め、死という言葉に戸惑いを感じた。前に後ろ手で縛られ椅子に座らされている際のことだ。確かに一度、本人は死んでいると言っていた。酔い狂ったように暴れながら喚き散らし、強烈な印象が記憶としてこびりついている。

「一つ聞きいていいか?」

「なにかしら」

「僕はミレアが死んだと言っている、捕まった夜での話が未だに信じられない。だが、いったい幾つで亡くなっているのかを知りたい」

「聞いてどうすると言うの?」

 そう、その通りだ。なにも解決せず、なんの足しにもならない。エダスにも漠然とした答えさえなかった。ただ、純粋に知りたいと感じただけでしかないのだから。ミレアがつまらなそうに告げた。

「六つよ」

「……むごい」

「惨かろうが酷かろうが、これが現実よ。誰が死のうと、世の中は勝手気ままに動き続けるものでしょう」

 投げやりでいて、どこか儚げな表情をしていた。聞かなければ良かったと思う反面、哀れみにも似た同情心が青年の中で顔を覗かせだす。仲間が殺されている、憎い仇敵きゅうてきの筈なのにだ。まるで船上の甲板にでもいるかのように、気持ちと視界がぐらんと揺れる。

「立ち止まらないで、歩いてちょうだいな。考えてるような難しい顔だなんて、気持ち悪いだけよ」

 無言でいると、ミレアが笑って返してくる。歳相応の無邪気さを観れば、無垢な表情だけで全く害悪のない少女にしか見えない。エダスが顎に手を当てるのをやめ、溜息を一つ吐く。

「ああ、そうだな。暗いのは死人の顔だけで充分だ」

「なぁにそれ、私への当てつけかしら?」

「ミレアは生きてるだろう。僕が言っているのはのは、既に墓地へ還っている人たちのことだ」

 何気なく喋った一言にミレアが眼を丸くして、急に歩いていた足を止めだす。先へ出たエダスが振り返って不思議そうな顔をした。理由が解らないまま、とりあえず尋ねてみる。

「どうした?」

「……いえ」

 滅多にみることのない、動揺した回答だけが続く。

 『生きている』。生き返ってから、今まで一度たりとも指摘されたことのない一言。ミレアの心が跳ね回りだす。

 肌が濡れた。理由も理解も追いつかず、ゆっくりと手の甲で頬を拭う。自身の流している涙だと気づくのに、少女は数秒を要した。感情の整理がつかず、喜怒哀楽のどの部分で反応したのか見当もつかない。エダスが眉根をひそめて腰を落とし、無遠慮に顔を近づけてくる。

「大丈夫か?」

 随分と月並みな言葉だったが、相手を思いやっての一言だった。ミレアが下を向いて顔を隠す。無性に恥ずかしさを感じ、服の裾で乱暴に目元に溜まった涙を削ぎ落とした。数秒して落ち着くと、不思議と気分が良い。

 見上げれば、エダスが眉根を寄せて困った表情を見せている。少女はいつもの顔に戻り、人を食ったような表情で返しだす。なにか物を強請ねだるようにして、後ろ手にしながら軽く腰を曲げた。

「あら。無事じゃなかったら、一体なにをしてくれるのかしら?」

「少しでも心配した僕が馬鹿だった」

「男の甲斐性は、女の我侭わがままをどれだけ受け入れられるかよ。よく覚えておくことね」

 ミレアは立てた人差し指を振りながら、とても愉快げな顔をする。スカートの裾が上がるほど足を上げて歩く。みるからに上機嫌であることが傍から見て取れるが、エダスには胸を逸らして態度を大きくしているようにしか感じられない。

「町を出る前に、食事を済ませておきたくなったわ」

 唐突に言われ、少女がぐるりと右へ方向転換していく。いつだって決定権の手綱は一人だけが握っている。不公平だと幾ら嘆こうが、事実は強力な梃子てこでも動かない。

「ここにしましょう」

 昨日入った酒場のような場所とは違い、飯ものを主体としたレストランだった。店内は活気づき、どの椅子も殆ど埋まっている。昼時ともあり人の入りは満席状態だ、給仕の女性達もせわしなく動いている。偶々たまたまに入ってみたは良いものの、空席がなさそうな雰囲気しかない。一声かけて聞いてみれば、幸運にも奥の一テーブルに二席分が空いていた。

「お客さん、悪いんだけれど満員なんだ。食べるなら他と一緒になってもらうけど、問題はないかい?」

 ミレアがにこりと微笑んで、問題はないとお辞儀をする。幼子の可愛らしい仕草に給仕の女性が良い子ねと、合いの手で褒めだす。そして得意げな顔で演じているのだと解っているエダスには、どんな茶番だとしか思えない。注文は幾らで有り合わせを適当にと頼みながら並んで席に腰掛ける。対面には同じようにして男女の一組が座っていた。

 両方ともに二〇代といったところで、質素な服装の佇まいだ。どちらもエダスより年上にみえ、互いに纏っている雰囲気の質が全く異なっている。

 女性は上流階級の貴族を思わせ、男性は粗野で野性味あふれる顔だちをしていた。美女と野獣の組み合わせのようにも見えるし、修道女と山賊にも見えてしまう。珍妙にみえる二人組だが、身なりに関していえばミレアとエダスも変わらない。

「お姉さまにお兄さま、お食事中にご相席を失礼します」

「ええ、どうぞ。私たちも旅の途中に立ち寄った身ですから」

「お優しいお言葉、感謝します」

 ミレアはスカートの裾を摘みながら笑顔でお辞儀をし、エダスも軽く一礼する。対して瞑るように目を細め続けていた女性は、一瞥して観察したのち頬を和らげていく。男性は出されていた食事に夢中らしく、ミレアたちを見ずに手をぶらつかせた。とくに構わないようで、多少焦げた肉を頬張っている。

 かといって黙って食べていたかと思えば、笑いながら気さくに話しかけてきだす。

「育ちのいい嬢ちゃんに奴隷のあんちゃんか。これはまた、えらく凄い組み合わせだな?」

「なにっ!?」

 声を荒げて激昂しだしたのはエダスだ。初対面からの不躾ぶしつけなものいいに、椅子を倒して立ち上がる。次の瞬間には体の鳩尾を軸に曲げ、横へとくの字になっていく。正面の二人に隠されて打たれたミレアの拳が、目にも留まらぬ速さでテーブルの下へと引っ込む。

 エダスが苦悶に耐えた呻き声をあげ、顔色を青くしながら蹲る。

「お兄さん、先ほど食べた野生のきのこに当てられてから様子がおかしいわ。今日はもうなにも喋らないで、静かにしていたほうが良いと思うの」

 ミレアが少し困った顔で、心配している仕草をした。しかし実際にはその逆で、背中をさするが猫のように軽く爪を立てながら警告する。これ以上、場をややこしくするなと。一皿を平らげて指を舐め回した男性は、首をひねって不思議そうな顔をした。

「なんだ、お前ら兄妹か」

「ええ、そうです」

「髪も目も色が違うみてえだが。まあ、今どき珍しくもねえか」

 国同士が日常的にいさかいを起こす世の中で、戦争孤児は見渡すだけでごろごろと転がっていた。男性にはどちらかが拾われたのだろうと、昨今の事情から普通程度ぐらいにしか思っていない。横で耳を澄ましていた女性がコップの水を飲む。食事をひと段落終えたらしく、慈愛の表情をミレアへと向ける。

「私はヒルーダ、隣はクローグです。父母もなしにお二人だけでの旅とは、とても勇気がおありなのですね。どちらからこられたのですか?」

「はい、この町の一つ先にある村です。お二人はどちらまで旅をされてるのです?」

「個人的に縁を持つ、隣国の領主様から便りがありまして。私達はこの近くにある関所を越えた街へ向かう途中となります」

 ミレアの耳が小刻みに反応し、一瞬だけ緊張したようになる。得体の知れない感覚に囚われ、なにかが妙に引っかかった。だが、単なる気の迷いだと心の中で切り捨てていく。はにかむ様な笑顔でいると、クローグが笑うようにして返す。

「まあ、そういうこった。ああそうだ、二人とも村から出てきたつってるけどよ、ここらだとミシルとガーティエルダ、ゴルドッサか。どこから来たんだ?」

「ゴルドッサです」

 一体どこにある村か理解できず、ミレアが流れに任せて即席の嘘をつく。今いる国と国王の名さえ知らないのだ。必然、周りの村などに興味はなかった。クローグが嬉しそうに破顔しだす。

「俺らもそこから来たんだよ。いやあ、あそこの宿の大将は恰幅もよけりゃ、気前も良いよな。戻ったら礼を言っといてくれよ」

「わかりました。戻りましたら、お二方様が大層喜ばれていたとお伝えしておきますね」

 だんだんと会話を合わせるのが辛くなってきた。ミレアが内心で気後れしてしまう。粗野に振る舞うクロークの横で、ヒルーダが優しくほほ笑み眼前で十字を切る。

「お二人の旅に、神の祝福があらんことを祈らせていただきます」

 ミレアとエダスの分の食事が運ばれてくるが、片方は食事に手を付けず返答する。

「お姉さまは、修道士さまなのですか?」

「いえ、神に誓えど寺院への所属はしていません。それでも道々は危険が付き纏いますから」

 はっきりいって息苦しい。荒れる心をひた隠して、読み取られないように幼女の仮面をかぶり続ける。休めていた手を上げて、ここで始めて食事をとりだした。

 ゆるりとした空間のはずなのだが、なぜだか違和感を伴う。これはミレア自身が持つ勘から生じる、一種のきな臭さだ。野性味あふれる行動をする男よりも、目の前の女の方が強烈な異彩を放っている。どうしても背中を引っ掻かれるような、閉じかけの目に底暗い冷えたものを感じてしまう。

 警戒をよそのに、ヒルーダがやさしい声で尋ねてくる。

「お二人は国境を越えられていくのですか?」

「いえ。そちらには行かず、別の村へ行く途中です。砦の先はしばらく深い森が続くと聞いていますし。熊にでも出くわせば、兄さんと私ではひとたまりもありません」

 素手の一撃で仕留めきる癖にと、エダスが飲んでいたもので咽せて咳き込む。嘘をつけと猜疑の視線を向けてみれば、ミレアの額に邪魔すんじゃないわよと青筋が浮かぶ。他になにか適当なもので、話題を路線変更できないものか。目端を利かせて青年の後ろに立てかけてあった、布でまかれた棒を不思議そうに眺めてみる。

「ですがお兄さんは逞しい体つきをされてます。脇に立て掛けてある大きいものを振り回せば、怖い動物も逃げていくのではないでしょうか?」

「ああ、どうだろうな。確かに俺が振り回しても役には立つだろうが。これの中身は旗だからな、金ものも薄っぺらくて、そこらの柱をぶっ叩けば直ぐに歪んじまうよ」

「旗?」

 エダスが不思議に思って口に出す。クローグが肩を竦めて両手を挙げる。

「ああ、そうだ。ちょいと頼まれごとでね、道すがら気前の良い商人に荷運びを頼まれてんだ。まあ、それももう少しで終わりだけどな。ほら、嬢ちゃんが言ってた砦の先から続く森のせいで、やっこさんいわく暗いところは好かないんだとよ。丁度いい、小遣い稼ぎだな」

 ここの食事分でだいぶ減るがなと、小銭の入った小さな袋を取り出して笑う。他愛ない世間話と食事の音、周りの雑音が続く。相席の一期一会も終わり、先に席を立つのはミレアとエダスの二人だ。

「楽しい食事の時間をありがとうございます。また会う機会があれば、是非お声をかけください」

 愛想笑いで手を振るが、本当はもうこりごりだ。会うのも二度とごめんだった。「またな」、「お気をつけて」と、残った男女が返すように手を振る。完全にミレアたちの姿が見えなくなると、ヒルーダが伏せがちにしていた目を軽く開く。

 同じくクローグは剣呑な顔つきになり、歯の間に詰まっている肉を爪で穿ほじくり返す。水を飲み干すと、肩をすくめて決まりきった結論を尋ねてみた。

「ミシルとガーティエルダ、ゴルドッサね。阿呆かよ、そんな名前の町村はこの国に存在すらしねぇんだよ。……で、師匠からみてどうなんです?」

 ミレアはカマをかけられていた。だされた村の名前は全て存在しないものだ。嘘を見抜かれていたことを少女は知らない。ヒルーダは呼応するように言う。

「ええ、あの二人はこの国の住人ではありませんね。ミレアと名乗っていた少女ですが、まず間違いなくサカでしょう。終始こちらに対しての拒否感が強かったのですが、隣の青年は素直に包み隠さず語ってくれましたね。会話中にわかったことですが。彼女は天眼ヘブンズアイで火を操るでもなく、熊を素手で一撃だそうです」

 クローグが思わず口笛を吹く。あの細腕でよくもまあと、心底から関心してしまった。

「首狩の化物退治を師匠の縁故貴族に頼まれたがよ。砦境の向こうで暴れてるのが、まさかあの嬢ちゃんとわね。いやいや、どうして世間ってヤツは狭いもんだ」

「この近くで他のサカや天眼の噂は聞きません、彼女が私たちの討伐対象です。外見から歳は読めませんが、私より上でクローグよりは下でしょう。エダスと呼ばれた青年は人間ですね」

「師匠の目測は当たるからな。外見はガキだが、実際は若作りしすぎの婆さんか。これだから女は怖いね、化粧も香水も付けづに色気まで通り越してやがる」

 忌諱感いらずの手加減無用、やりやすい仕事で助かったとクローグは胸を撫で下ろす。本当に子ども相手では、彼にとって殺すにしてもやりきれないものがある。

「なあ、師匠」

「どうしました」

「あの坊主の方だ、エダスとかいわれてた奴。なんで嬢ちゃんと一緒にいるんだと思う?」

 少し考えるが、ヒルーダにはわからない。会合中にクローグの言った理由を探りきれてはいなかった。

「どうでしょうか。奴隷にしているにも見えないですし、行動を強制させているようにも感じませんでしたね。できればあの青年は生かし、親元があれば帰してあげましょう」

「さいですか。まあ、あんたはそういうと思ったよ」

 お優しいこってと、残っていた肉をついばみながら肩を竦める。ヒルーダがゆっくりと水を飲み干した。目くばせすると、立てかけてあった旗を手に取る。いや、これも嘘だ。中身のそれは実際、ずしりとするような重さをしている。

「クローグ、ここを出ますよ」

「ええ!? まだ飯が食べ終わってないぜっ!」

「せっかちが直りませんね、誰が食べ終える前に出ると言いました。私はこの町から出るといったのです。今日中に国境を越えて、廃村になった村へ向いましょう。敵がサカと確定すれば、そこに弱点のヒントが隠れているかもしれません」

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