第7話
目が覚めてみれば、いつも使用しているベッドの上。もうすぐ朝の支度をするために、自身専用の使用人がやってくる。そう見慣れた光景はなく、現実は固い地面の冷えた感触があった。申し訳程度に一枚引かれた布の上で寝ていた。手の甲で口元を拭い、周りを見渡せばテーブルの上に着ていた鎧が置かれている。
相変わらず縄には縛られたまま――と、いうことは無かった。驚いてその場から立ち上がってみれば、鎧が剥がされ軽装の服だけを着込んでいる状態だ。腰には律儀にナイフが提げられていることに気づく。
「護身用よ。ここらはたまにではあるけれど、傭兵くずれの夜盗もでるの。お守りは御免だから、自身の身ぐらい管理して頂戴な?」
朝食にしていたのだろう、ミレアが兎の干し肉を毟って食べている。椅子に座ったままで話しかけてくると、木皿の上に載っている残りの干し肉を投げ渡してきた。エダスは慌てて掴み取ると、驚いてミレアを凝視しだす。
少女は嘆息し、木のジョッキに注いでおいた水を口に含む。一口だけ飲むと、少し機嫌悪そうに告げた。
「約束を果たしただけよ。今日の朝までもったら、食事をあげるって」
「敵の情けは受けない」
「炊事はできない、洗濯も、掃除も出来なくて家事が全滅だなんて。あら、なんて使えない男なのかしら?」
「くっ……、なぜわかる?」
「……適当に言っただけよ。なんて駄目人間なの」
ミレアは本気で脱力した。エダスが威厳を失った。
エダスが気を取り直し、真剣な表情でミレアを見る。少女は青年の脳が空腹にやられたのかと、白い目を向けるだけだ。凶敵に対し、ゆっくりとナイフの切っ先を立てる。朝陽が反射し、鋭い光が走った。
「僕がこの刃をもって、お前を刺すとは思わないのか?」
「無理ね、貴方じゃ私には勝てないもの。逃げ出しても良いわよ? 終課(午後の九時)までに深い森を一人で抜けきれる自信があるなら、どうぞご自由に。この森は夜盗の他に、狼も群れて生活をしているわ。幾つかの獣の頭は私が殴殺したから、今は大部分が分派して徒党を組んでるでしょうけど」
しれっと語る内容に、エダスが頭の中で思い描く光景。熊の頭部を素手で砕ききり、足を掴んで引きずっていく。食糧確保に喜ぶ少女の顔は、とても無邪気そうに笑っていた。確かに狂っていると納得がいく。
「今なにか、とても失礼なことを考えてなかったかしら?」
「いや」
ミレアがなにかを感じたらしく、苛立ち不満そうな声を上げる。エダスはやり取りをしながら考えていく。この化物に勝つ方法はないのかと。攻撃力をもつ武器は、手にはナイフが一本だけ。確かに頼りになる。だが、目の前にいる存在には全くといって足しにならない。
思いを知ってか、知らないふりをしているだけか。ミレアが気にせず質問を投げかけてきた。
「一つ聞いておきたいの、私が貴方を生かした理由は只一つだけ。なぜ、私を切ることに戸惑ったのかしら?」
「……」
心に刺さり抉られる言葉だった。エダスが今までの心境を忘れたように俯く。急に生まれてきたのは、罪悪と虚空に苛まれた感情だった。騎士としての職務を全うできなかったこと。
そして、ミレアの姿が身内と重なって見えてしまったという事実だった。
「あら、だんまりかしら?」
「……」
「私は不細工な、見てくれの悪い人形と会話をしているつもりはないわよ?」
くっと、エダスが唇を噛む。数瞬だけ戸惑ったが、少しして重い口を開く。
「――似ていたんだ。背格好が、歳の離れた妹に。それだけだ」
「……は?」
「何度も言わせるな!? 僕の妹と同じような、ただの子供を斬れなかっただけだ!」
斬るべき手を返した。背格好が自身の妹であるカリッサの像と重なって見えてしまったのだ。だから騎士の忠義を見失った。ミレアが目を丸くする。発せられた余りにもな回答に、遂には耐えられなくなってしまう。
「ぷっあはははははははははははははははははははははははは、うっ!?」
「笑うなっ!!」
エダスが大声を出す。内容が余りにも滑稽すぎてミレアのつぼに入ってしまったらしい。大爆笑し手で膝を叩き、最後には咽始める。慌てるようにして抑え込むため、持っていたジョッキの水を飲みほしていく。
「ゴホッ。し、信じられない。そんな理由で、私に振り下ろす、や、刃を止めたっていうの?」
目に溜めた涙を拭きながら、少し苦しそうにして喋る。エダスが言うべきではなかったと猛省し、歯を食い縛って暴れたい衝動を堪えた。ミレアは一頻り笑いきると、拍手をしながら褒め称えだす。
「道化師に向いてるわね。心の底からの笑い方なんて、もう遠い昔に置いてきたと思っていたけど。最高ね、おかげで腹が捩れたわ」
「くっ……」
そのまま立ち上がると、縄で吊るしてあった兎の干し肉を丸々一頭分ほど取り外す。未だ後悔感に苛まれるエダスに向けて放ると、新たに水を汲みなおした。一気飲みして中身を空にすると、とても機嫌がよさそうにする。
「楽しませてもらった礼よ。水が欲しければ、汲んである樽から取り出しなさい」
持っていた木のジョッキをエダスに投げ渡し、少女はドアを開けて外へ出て行く。残されたエダスが肉を持って、思い切り真上に持ち上げる。力任せに叩きつけようとするが、寸でのところで行動を改めた。なにをしても体力は使う、結果として腹は空いてしまう。
ジョッキで樽から水を掬うと、一気飲みをして乾いた喉を潤す。全身に染みこむ感覚は、生の実感と生き返る心地よさがあった。干し肉に
目が血走り、夢中になって食べ続けていく。すると、再び扉の開く音がした。ミレアが両腕で何かを抱えている姿が目に入る。どうやら屋外に保管してあったものを持ってきたらしい。
「ぷ、なによそれ。格好が意地汚い、子供みたいよ?」
肉を頬張った状態でミレア方を向けば、また面白いものをみたようにして笑われてしまう。エダスはいまさらと開き直り、プライドは捨てた。散々、ここ数日の間で
「食べなければ目眩を起こす、本来の務めさえ全うできない。だからもう、どう思われようと一行にかまわん」
「本当に見てて飽きないわ。今度はなにをしてくれるのかしら?」
「僕が知るか!」
ここまでずっと怒鳴ってばかりだったエダスが、しこりのような喉の痛みを感じだす。精神的にふらついてしまっていた。その場にへたり込むように座り込むと、威嚇するように睨むだけで精一杯だった。
緊張感の張りつめた空間を作っても、視線の先ではどこ吹く風になってしまう。ミレアが陽気にして巻かれた布を三つほど、机の上に放りだす。また猿轡を噛まされては堪らない、エダスがナイフの切っ先を上に構えていく。
「なに、手伝ってくれるの? ちょうどいいわ、生地を切って頂戴」
ばっと広げられた布を見せられて、どうして良いのか固まってしまう。ここを切って欲しいと指を刺され、渋々と従った。一体なにを始めるのかと不安になりながら、黙ってなすがままにされる。大雑把に生地を切り終われば、ミレアが用意していた細い炭の切れ端で印をつけていく。握り
昼間まで没頭し、食事をとらずに更に作業を続ける。最初は気を張って見ていたが、集中力にも限界があった。五時間後には、もう駄目だとエダスが根を上げてしまう。気づけば、ミレアが縫い針で糸を二枚の重ねた布に通し始めていた。
「縫い物……?」
信じられない光景に、不思議そうにして聞いてみる。
「そうよ、女性なら誰でも嗜むでしょうに? 貴方のお仲間が空けてくれた穴は、知らない誰かがやってくれる訳でもないし。最後は私も化けて、一着がおしゃか。おかげで服が一揃い、駄目になったわ。今は蓄えておいた布で、新しい服を作ってるところよ」
所帯じみていて、生活観が溢れ、なんとも人間臭い。いや、普段自身たちが営んでいる日常となんら変わらなかった。
失敗したのだろう。針の先端を指に刺してしまい、口に当てて痛がっている。ほのぼのとして見える光景は、歳相応のものだ。ぼけっとして眺めていると、ミレアがむっとした顔で睨んできた。
「誰の言葉だったかしら。人を笑うと、同じ分だけ返ってくるらしいわよ?」
因果応報を説かれ、はっとしてしまう。顔に手を当ててみれば、笑うことに耐えていたらしい。知らないうちに顔の表情が歪んでいることに気づく。
エダスがしまったといった顔をして、一瞬だけバツの悪そうな顔になる。だが顔を左右に振って、目の前にいるのは化物なのだと考えを改めていく。
「なんだ。体に穴を開けられても平気なのに、小さい針は痛がるのか?」
「当たり前でしょう、痛いに決まってるじゃない」
どういう基準だと呆れそうになってしまう。憎まれ口を言ってしらけてしまう自身がいた。ミレアが軽く鼻を鳴らし、不貞腐れながら文句を言ってきた。
「体に穴が空いても痛いし、針が刺さっても同じよ。我慢してるだけに決まってるでしょう」
もはや開いた口が塞がらない。常識の通じない相手なのだということを悟り、エダスはこれ以上の言葉を控えることにした。ひとしきり作業が終了したのか、ミレアが縫っていた布を置いて椅子から立ち上がりだす。
外からの日差しは夕闇、淡い橙色の光が部屋中に射し込んでいた。
「さて、食事の調達に行く時間ね」
「待て。夜に動くのは危険ではないのか?」
「なに言っているの。大きい得物を狙うなら、夜以外ありえないわよ」
「寝込みを襲うというのか?」
「馬鹿ね。狼か熊を普通に狩って、調理用の肉にするのよ。しばらく家に
人にとって、今述べた獣が一番の天敵となるはずだと苦悩してしまう。本人は至って当たり前に言ったつもりだろうが、なんとも世間離れした回答が飛び出すだけだった。
◇
何も見えない。見上げれば星々の瞬きと、地上をほんのり照らす月の光があるだけだった。
「聞きたいことがある」
「なにかしら?」
「狩猟に出ると言っていたが、なぜなにも持たない?」
「素手でやるからよ。なに言ってるの?」
あなた馬鹿なんじゃないの? といった顔をされ、エダスが苛立ってしまう。額を二本の指で揉み、怒りを沈下するために押し黙った。数秒して復活すると、前で歩いているミレアに遅れないようにする。突然に足を木の根にとられ、転んで尻餅をつく。少女が肩を竦ませて、なにを遊んでいるのかといった表情になった。
「運動音痴ね、どこを見ているの。しっかりと歩きなさい」
「どこをどう、歩けというんだ……。僕に見えるのは、ずっと先まで黒い空間だけだ」
「目が悪すぎるわね。なんて使えない男なのかしら」
顎に人差し指を当て、少し考えて結論に達したらしい。ミレアがいきなりエダスの手を掴み、どんどん森の奥深くへと進んでいく。
「おわ!」
「よちよち歩きの坊やだものね、しょうがないから引いてあげるわ。足元だけは、自力で確認なさいな」
軽く平地を駆けるような速さで引っ張られ、必死に足を動かすことだけに集中しなければならなかった。余りにも違う身体能力の差に圧倒されてしまう。単独行動を取られれば、一瞬にして生死をかけた迷子の確定だった。
少女に手を引かれる青年の構図が、なんとも情けない。だが、愚痴をはく余裕もないほどの闇が広がり続けている。整った呼吸も最初の二〇分程度しか持たなかった。己から出る荒い息、虫の鳴き声、近くを流れている小川のせせらぎが音を立て続けている。心臓の鼓動も爆発的に増していく。
遂に我慢できなくなり、咄嗟に限界を告げる。
「待て、待ってくれ! これ以上は、足が、持たない!」
「人ではこれくらいが限界なのかしら。まあ、しょうがないわ」
ミレアが合わせるようにして足を止めた。エダスが腰を曲げ、両手を膝につけていく。冷えた空気の中で体中に汗が噴き出す。少しして、ふらつく足元を整えた。未だ暗い闇が続き、エダスが緊張によって首筋を強張らせる。いきなりどんな生物が出てきてもおかしくない、深い森が得体の知れない印象を与えてきた。
ミレアの表情は変わらない、姿勢の一つをとっても緩やかさしか感じない。不思議に思って聞いてみる。
「お前は夜が怖くないのか?」
「私にとっては昼と同じ世界、闇も光も変わらないわ」
「暗い場所が見えにくくないのか?」
「言ったでしょ、同じよ。じゃあ、ここから先に伸びた枝が一本あるわ。枝は折れているか否か」
ミレアが前方を指し示す。二メートル以上先にある視界が、暗闇によって閉ざされたように塞がれていた。答えようにも、全くのあてにならない勘だけが頼りだ。
「見えるわけがない、判断のしようもない」
「正直ね。嘘でもどちらか答えた方が、得だと考えないのかしら」
「剣に誓った。僕は騎士の道に背かない」
「だから交渉も駆け引きも下手くそなのね。枝は折れているわ、確かめましょう?」
真面目に答えれば、余計なひと言が返ってきた。エダスが苦虫を噛み潰し、ミレアが貴婦人のように笑って見せる。解答を求めて二人で歩き、一キロほど先まで辿り着く。数十歩も進めば目的地に到着すると思っていた。だが予想を遥かに越え、余りにも距離が離れている。こんなものは、たとえ昼間であったとしても見分けられるわけがない。
ミレアが言った通り、確かに伸びた枝は折れていた。「ほら、よく見えているでしょう」と、少女がさも当然のように振る舞う。
「聞け化物、僕の目は決して悪くない。弓もそこらの連中よりは、上手く扱えている自負がある」
「あら、へっぽこ騎士様にも、一つくらいは取り柄があるのね」
いちいち癇に障る嫌味を言われ、エダスの胃が悲鳴を上げ始めていく。腹の辺りを手で摩り、少し辛そうにしてしまう。元凶の張本人は気にすることもなく、正解の折れた枝を触って調べ始めた。暫く観察していると、やがて目を細めだす。枝の折れた部分は、まだ水分を多量に含んでいた。
「折れてから、まだ時間が浅いわね」
「だから、それがなんだというのだ」
エダスが気の抜けた声で聴き返した。
「どこまで間抜けてるのかしら。時間が浅いということは、近くに獣がいるということよ」
一気に緊張感が襲ってきた、獣は即ち敵となる。四方八方、どこから向かってきてもおかしくはない。手に持っていた短剣を構え、防御を固めていく。ミレアが嬉しそうに口を開いた。
「来たわ。死にたくなかったら、私から離れないことね」
「どこから……!?」
二人を取り囲むようにして、光の点が無数に存在していた。低い唸り声、狼の群れが口から涎を垂らしている。こちらが隙を見せ、一斉に飛び掛かる瞬間を窺っていた。
「身の程を知らない蛮勇さ、潔いというより畜生らしいわね。まあ、外面しか見えていない辺りは、人も同じようなものかしら」
ミレアが手近にあった、ある程度の大きさがある木の幹を素手で叩き割った。自身の何倍もの大きさと重さを兼ね備えた幹を玩具のように軽々と持ち上げる。一振りすると風が疾走しだし、即席の巨大な棍棒と化す。エダスは息を飲んで確信していく。この森で最強の生き物は、間違いなくこの一人の少女なのだと。
「一〇匹いるわね。三匹ほど挽肉にすれば、いい感じかしら」
狼の一匹がミレアに飛び掛かっていく。牽制の一撃だったつもりなのだろうが、それは即死の要因でしかない。顎を大きく開き、巨大な牙で噛みつこうとしてくる。返されるのは嘲笑う顔、棍棒の一振りに狼の脳天がかち割れた。
「惜しいわね、囮なら上手に働かないと」
後方から飛び掛かってきていたもう一匹が、横振りの一撃に吹き飛ばされる。あまりの強烈な打撃によって、口から血を吐き出しながら地面に打ち付けられていく。ミレアの笑みが残虐を含みだす。
「そら、三匹目よ?」
持っていた木の幹を投げ飛ばし、エダスに飛び掛かっていた狼に直撃させた。ここらが潮時と決めると、殺気を飛ばして周囲に警告を加えていく。狼たちが本能から身を竦ませ、戦ってはいけない相手だと認識した。群れの頭となる一匹が吠えだすと、他の数匹が威嚇しながら従いだす。やがて少しの睨み合いが続くと、群れは森の奥へと去って行った。
ミレアが三匹の骸を集め、尻尾を掴んで引きずり出す。
「上々ね、これで新鮮な肉料理を作れるわ。さあ、家に戻るわよ」
エダスからの返事がない。振り返ってみれば、剣の切っ先を震えさせながら向けてきていた。狼と同じようにして、本能からの威嚇だった。恐怖心から歯を鳴らす。外見が同じ人間だから、勘違いしていたのだ。今、目の前にいる存在は根本的につくりが違う。
つまるところとしての結論は、畏怖の拒否感だった。
「なあに、私と一戦やりたいの?」
「ぐっ……!」
やる気のない視線を向けられると、興奮が削がれていく。やがて、勝てない相手だと客観的に理解し直し、荒い息と共にゆっくりと剣を下に降ろす。
「私の怒気に当てられたのね」
「……うるさい」
エダスが絞り出すようにして虚勢を張る。人外の圧倒的な力を見せつけられ、この先のことを考えていく。本当に死んだ人間の仇をとれるのかと、自答自問し、自信喪失をした。
◇
三日目の朝、なんとも聴き慣れない音がしてくる。金属の擦れ合う音が耳障りだった。エダスは不機嫌そうに起きだすと椅子に座り、一心不乱で机に向かっているミレアに気づく。未だに朝陽も出かけの時間、炉には火が焚かれたままだ。
人間でなければ不眠不休が可能なのかと考えてみるが、当前のように答えは出てこない。上半身だけを起こし、遠巻きに眺め頬杖をつきながらきいてみた。
「なにをしている?」
「学習よ。これの仕組みを知りたいの」
ほぼ無心になって、マッチロック式の銃を解体しているミレアがいた。昨日まで部屋には金属質の塊など存在していなかった。きっと、チェシアたちが持っていたものを拾い集めてきたのだろう。予想しながら少女の足元に転がっている数丁の銃に目を向ける。
「見事ね。とても面白い仕掛け、初めて見るわ。貴方には、これが何かわかる?」
寝起きで聞かれても、頭の中が回転せずに困ってしまう。エダスが顔を左右に振って、呆れた表情になる。
「僕が知るわけないだろう。専門の鍛冶師ではないし、銃の存在自体、最近知ったばかりだ」
「これ、銃という呼び方なのね。この弾いて返すものと螺旋の入ったもの。一〇をこえる部品を組み合わせてできた武器だなんて、今まで見たこともないわ」
ミレアがバネを両端を指で押さえながら持ち上げる。残りの空いていた手で、ネジをを持ち上げていく。興味心身で覗き込む姿は、歳相応の子供のようだった。
「鉄を単純に溶かしても造りが細かすぎる。個人で作ることは無理だけど、当たれば体を貫く威力だけは一級品。これが五〇〇ほどあれば、私を簡単に殺すことができるわね」
客観的に述べられた、最後の一言が物騒極まりない。少女は光の指す小窓へと視線を向けながら、遠い目をして語った。
「昔に戦った馬の
一二歳程度の外見をした子供が、貪欲に新たな知識を吸収する様子。エダスにとって、とても新鮮な光景だった。誰かから教わるのではなく、自身の想像と発想で物事を理解していく。ただ壊し、ただ食べて、ただ寝るだけの生物であると考えていた己の浅はかさを改めた。静かな空間で、かちゃかちゃと無機質な金属の音が鳴り続ける。
考えてみた。どのくらいの間、この少女は他の人間と接触していないのだろうか。エダスが何気なく聞いてみる。
「この森から出たことはないのか?」
「出たことがないというのは、少々語弊があるわね」
ミレアが人差し指を頬に当てだす。しばし考えたあとで、思い出したように呟く。
「住み着いたのはずっと前。最後に街へ出たのは……、そうね。三〇年くらい前だったかしら」
自身の歳の二倍近い年月を告げられたエダスが心の底から驚いた。次には神妙な顔になってしまう。
「お前、いったい今幾つだ……?」
「まともに数えたことなんてないわね。まあ、七〇程度はみといていいと思うけれど。いったい幾つだったかなんて、私には今さら関係ないわ」
生みの親よりも上の年齢を指し示され、青年の頭は混乱した。目の前の少女には常識などないのだと、あと何回繰り返せばいいのかを考えてみる。首を捻り、最後は溜息をつく。
「無駄な行為か」
「顔に出やすいわね。貴方の乏しい想像力が、手に取るように解るわよ?」
「腹芸は嫌いだ」
「話を戻すわね。そのときに見た市の出店とお店に並んでいたものが、私の中にある最新の知識。今回、これの一撃を受けて考えたのよ。たまに頭の中の情報を刷新するべきだとね」
ミレアは疲れてるのか、自身の肩を軽く揉みほぐす。指を二本立てて一本を折り曲げてみせると、残りの一本を立てたままにしてみせた。
「もう一つあるわ」
「なんだ?」
「ここも煩くなった。住む場所を移すわ」
「今いる土地から離れて、旅立つというのか?」
エダスが驚いて、信じられないような顔をする。一箇所に定住すれば、大抵が一生のあいだ留まるものだと。戦火や飢饉、疫病でも起こらない限り、移住するという選択肢は生まれない。
この時代に個人の旅行という概念は存在しない。交通も情報も大概に整備されていなければ、行方不明者は一生かかっても発見できないような環境だった。
駆られる衝動は義憤だ。歯を剥き身にして、理不尽極まりない者を睨む。
「そう、引越し。慣れた家を手放すのは惜しいけれど、私はもともと根無し草よ。拒むほどの執着をする理由もないわ」
「ならば、なぜだ。なぜ僕ら討伐隊が来る前に、お前は今の決定を下さなかったのだ!」
あと少しでも早く決まっていれば、無駄な犠牲は無かった筈だ。誰も死なずに済んだはずだと、後の祭りのような状態に暴れだしそうになる。
「決まってるでしょう、ここに至った考えは貴方達が攻めてきたから。銃なんてものを見れば、幾ら馬鹿でも留まることを危惧するわ」
「どういう意味だ?」
エダス達によって、ミレアの思考に変化が生まれていた。
「頭を使えば結論も出てくる。迎え撃つの繰り返しをすれば、私はいずれ負ける」
あくまで冷静な判断に対し、返す言葉が見つからない。圧倒的なまでの蹂躙劇をしてみせた怪物が、自らの負けを予想している。ありえない光景を見ているようだった。
エダスの呆けた表情に反応し、少女は自虐的に笑う。
「一番最初に兵隊が五人、次に三〇人、貴方達で二〇人と銃。次はどれだけの戦力で来るか予想できない。一〇〇構成の軍隊なんかで来られれば、流石の私でも逃げ出すわ。これに全員が銃を携帯していた場合、全滅させたとしても私が無事を免れることはないのよ」
棚から木の入れ物を取り出すと、蓋を開けて豆を一粒だけ机の上に乗せる。横に置いてあった木のジョッキを持ち上げると、豆をゆっくりと押し潰していく。最後は中身が圧に耐えられなくなり、飛び出て砕け散った。
「ジョッキは大群の兵士、豆が私。解りやすいでしょう?」
入れ物からもう一粒を拾い上げて、そのまま口の中へ放り込む。小腹を満たすために喉へと通して飲み込んだ。次に人差し指で机を叩く。表情は軽い苛立ちを作っており、エダスはその意味を量りかねる。
「私には家名なんてないけれど、ミレアという名前があるの。いい加減お前とか、化物とか他の呼び方で言われることに耳障りを感じ始めたわ。ミレアと呼んで頂戴」
「では、こちらのことはエダスと呼べ。僕にだって同じように名前がある。坊やではない」
「家畜のくせに生意気ね。まあ、いいわ。特別によんであげる」
「エダスだ!」
「そうね。じゃあ、エダス。これでいいかしら?」
不遜にしていたエダスが取り敢えず納得した。貴族は無駄にプライドが高いとミレアがあきれ返ってしまう。駄々を捏ねて拗ねかねない雰囲気を出している辺り、今まで周りを余り気にして生きてきたことがないのだろうと値踏みをした。
気に入らなければ殺せばいい。苛立つなら原因を排除すればいい。だが、ミレアは漠然とそんな気分にはならなかった。さらに違う心の渦が現れだす。口元に手を当て、自身の感情を租借するように確認していく。少女は小声で呟いた。
不思議ね。人の名前を呼ぶことに、ほんのりとした嬉しさを感じるなんて。何故かしらと。
「なにか言ったか?」
「いえ、なにもないわよ」
話を切り上げると、椅子から立ち上がる。顎を傾げてエダスに合図していく。
「外へ移動するわ。狩ったのを捌くわよ?」
「僕に来いという口ぶりだが?」
「将来、ごく潰しの可能性がありそうね。貴方にとっても食い扶持でしょうが、働かざるもの食うべからずよ」
余りに失礼なことを言われ、エダスの頭に血が上りだす。だが、確かに道理には適っていた。結論として悲しいことに、ここで手伝わなければ立つ瀬がない。動かなければ、報酬を得られる筈もないのは当たり前のことだ。ただ寄越せとは、なんとも理不尽な要求だろう。
やらなければ、自身がただの虚栄心の塊に成り下がる。今まで軽蔑してきた同じ貴族の仲間と、なにも変わらない存在と化してしまうと思えた。嫌だと、そう素直に考えて従うことにする。
「……なにをすれば良い?」
ミレアが柔らかく笑う。
「おりこうさんね、ついてきなさい」
「子ども扱いするな!」
「子どもじゃない」
「ぐっ……」
確かにと、年齢差に渋々と納得せざるを得ない。外に移動すれば、異様な光景が広がっている。
「昨晩、血抜きだけはしておいたわ」
処理するためだったのだろう。三匹の首元が切られ、大量の血が地面で黒く固形化していた。いつの間にやったと、エダスがびっくりして様子を窺う。
ミレアが木に立てかけてあった薪割り用の鉈を拾い上げ、縄を使い木に逆さ吊りで括っている狼の死骸を切り刻み始める。傍から見ていて、もの凄い解体ショーを一人でこなしていく。綺麗に皮から肉を削ぎ落とし、地面に広げてあった布の上に放って行く。エダスは自身の妹とミレアを重ね、人形遊びと鉈を振り回して作業する構図が余りにも同世代としてかけ離れていると感じた。逞しすぎる生活力に溢れた少女をみて、これはないと首を振ってしまう。
中身は七〇歳を越える老婆のような年齢なのだが、どうしても幼い外見に惑わされる。少し離れた位置で観察していると、鉈を振り回していたミレアが手招きをしてくる。
「背丈が無いのは不便ね。私では届かないの、上の方を削いでくれるかしら?」
言われて見てみれば、高い位置の部位が切り取られていない。
「僕がやらなくとも、軽く跳べば簡単に届くのではないのか?」
「言動から意味を汲み取りなさい……。貴方、未だに仕事量がゼロよ? だったら、ご飯は抜きね」
「やる」
鉈を渡されると力をいれ、一気に肉を切り落とす。普段から剣の鍛錬をこなし続けている。動かない物を切り裂くなど造作もないことだ。
「よし」
とりあえず手応えを感じた瞬間、尻辺りから跳ね上げられる感覚を覚えた。エダスが悶絶したようにして地面に倒れこむ。痛む部分を抑えていると、蹴り上げのポーズを取っていたミレアが吼えた。隠すべきスカートの中が丸見えだが、少女はおかまいなく顔を赤くして猛り狂う。
「真直ぐ刃を向けて切り込むなんて、どこまで知恵が回らないの! 町に降りて売り物にするつもりだった毛皮に、穴が開いたじゃない!?」
「だったら、最初からそうだと言え!」
エダスが涙目で叫びながら訴える。ミレアは地面に落ちていた鉈を拾い上げると、そのままエダスの眼前に振り下ろす。切られた数本の金髪がはらりと風に舞い散っていく。
「昔のどこかに生きてた原住民は、人皮で入れ物になるバッグを作っていたらしいの。貴方の皮は丈夫なのかしら。ねぇ、確かめて良い?」
エダスが顔面蒼白になる。生きたままで生皮を剥がされる痛みを想像できなかった。拷問のようなことを言われ、思わず手を上げてしまう。ミレアならやりかねない、実行すると思えてならないのだ。
「これじゃあ、売り物の値打ちが下がるわね」
少女が溜息をつき、もう一度だけ鉈をエダスの手に握らせる。ふっと笑ってみせると、手のかかる弟を見ているような表情で話しかけていく。
「チャンスをあげる。この際に一枚は駄目だとしても、文句は言わないわ。残りは綺麗に削ぎ落としてみせなさい」
「……。次こそは上手くやってやる! 見ていろ!」
立ち上がったエダスが肩を回し、意気込んで目の前の課題に取り組む。胸を張上げ勇猛果敢に突進して行く様は、勇将の気風が如く。いざ行かんと、目の前の解体作業へ飛び出していった。
数時間が経過した頃、切り株に座ったていたミレアが顔を上に向けて手で目を覆う。振り上げていたが、今度は逆に下を向いて溜息をつく。最後はジト目でエダスを見る。
「すごいわね。ここまで不器用だとは、思っていなかったわ」
「なぜだ、なぜ何度やっても上手くいかない!」
「それは貴方が、エダスだからじゃないかしら」
「くそおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
エダスが両膝を地面につき、余りの悔しさから獣の如き雄たけびを上げた。前方には三匹ともぼろぼろになってしまった狼の死骸がある。他の捕食動物に食い散らかされた後のような光景だった。
この日の夜、ミレアはお情けの食事をエダスに施した。
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