第6話

 いつから居たのか。

 一際高さのある岩場の上で、少女がにこにこと笑って座っていた。見た目が一二歳程度の村娘のような格好をしている。幽霊のように立ち上がり、幽鬼のように告げていく。

「恨みたければ、恨みなさいな。私に会ったことを」

 暗闇はびこる月の映えた夜のなかで、惨殺劇の幕が開けた。

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 少女の姿が見えなくなったと思えば、直ぐに端のほうで悲鳴が上がりだす。

「た、ヒュー、すけ、ヒューヒュー、がぐ!?」

 血が喉に溜まり呼吸と言葉が機能しにくい状況の中、最後は首が千切れ飛んで宙を舞う。返り血を浴びた少女が首の角度を斜めにして、吊り人形のようにする。つまらなそうに見える顔だけをしながら、呆れた様に呟く。

「少し足をのばしてみれば、いるわねぇ。うようようようよと、性懲りも無く。はぁ……、本当に懲りない。貴方達で三回目よ?」

「陣形を整えろっ!!」

 ダウィルから焦りにも似た荒い声が発される。

「まさか、こんな子供が!?」

「嘘だろ、おい!?」

「こんな深い森の入り口に年端も行かない子が、一人でいるわけないでしょうが!? 戦闘準備、抜刀っ!!」

 続くようにチェシアも怒声を上げ、周囲の動揺を落ち着けさせようとする。エダスが戸惑いながら、皆と同じように抜刀していく。

 なんだ、こんな子供の形をしたのが化物? まさか、これが僕たちの討伐対象だというのか……!?

 相対するようにして、ミレアが周りを確認していく。夜の帳が落ちきった中に、光として月明りとかがり火が一つあるのみ。彼らにとって、昼間にも等しい光明は限られている。対してミレアは見開かれている縦長の瞳孔で、暗闇の世界を全て正確に視界へと捉えて行く。

 正面に一〇人、左右に三人ずつ、後方で馬番をしているのが二人だけ。

 ――脆い。脆過ぎる。

 この程度の人間どもだけで、化物サカである自身を殺すつもりなのかと内心で笑ってしまう。一期一会へ尽くすにはと、胸の前で両手を組む。それは祈り、今から死ぬ人間への手向け。

 両の手を解き広げきると、オペラ歌手のように片手だけ前にだした。

「名乗るのは礼儀よねぇ、私の名はミレアよ。家名はとうの昔に滅び、私も捨てたの。さて、貴方たちの名前を聞く気はないわ。だって、これから死ぬ人間の名前なんて、一々覚えてられないでしょう?」

「矢、放てぇ!!」

 ダウィルの野太い声が深淵とした暗闇に木霊す。三人が用意していたボウガンから矢を射る。次には乾いた音が響き、樹木に突き刺さる金属音があるだけだった。

 高速にして揺れるように光る二つの青白い瞳が、その場にいる全ての人間を補足していく。

「飛び道具なんて野暮ねぇ、闘技者なら剣で立ち向かってくるのが騎士道ではなくて?」

「がゃ、ああああああああああああ――、ぐぇう!?」

 ボウガンを携えていた一人がミレアに片手で掴まれ投げ飛ばされる。そのまま岩へと激突すると、衝撃の大きさから白目を向いて気絶してしまう。

「あはは、ご臨終ね?」

 追い打ちをかけ、間を与えない追撃。指先を束ねた容赦ない素手の突き刺しが、いとも簡単に鉄製の兜を貫く。直通した攻撃は、皮膚から頭蓋骨を突き破って脳までを破壊する。

 脳漿を撒き散らした二人目が呆気なく絶命し、人生に儚く幕を閉じた。

「あら弱い。前に来たのと同じ鎧だなんて、防具の厚みが足りてないわね?」

 手を振りぬけば、地面に血が滴り片手が赤く染まりあがる。返り血を肌と服に浴び、怪物が赤黒一色のドレスを着ているような様になる。

 傭兵の何人かが火縄銃を構えだす。全部で四丁、焦げ付くような火薬の匂いがミレアの鼻孔を過敏に反応させた。穴倉のような場所に六〇年も篭り、人と隔絶された世界にいた。少女は新たな時代を告げる武装を知らない。あるのはそれ以前の古典的な偏った知識のみ。最近では黒魔術でも流行っているのか、世間じゃ魔女も肯定化されたらしい。

 特に気にせず、新たな獲物めがけて踊るように飛びかかっていく。狙うは隊長格、頭を潰して部隊の麻痺を狙う。一番立派そうな鎧を着ている貴族騎士は逃げ出そうとしている。

 問題外だ、たいして自身の勘は外れていないらしい。

 一際屈強そうな、傷だらけの鎧を着た号令主に手刀を振り下ろす。ダウィルがロングソードを斜めに構え、ミレアからの一撃を全力で受けとめた。

「ぐう!?」

 余りの威力に足が土へとめり込む。大型の鈍器から繰り出されたような強烈な衝撃が走る。鉄よりも硬度を持つ爪が、剣身の平に歪な音を立ててくい込み続けていく。

「あら、よく受け止めたわね?」

「はあああああああああ――!?」

 ダウィルの気合が咆哮となって口から吐き出された。

 挟撃。

 兵士の一人が止まっているミレアに斬りかかるが、片手で難なく受け止められてしまう。押しても引いてもびくともしない、すかさず腰に携えてあったショートソードの握りに手をかけだす。ミレアは無駄な足掻きだと笑い飛ばす。

「遅すぎるわよ坊や。よちよち歩きには、まだ早かったわね?」

 受け止めていた片方の手を開けて、当たり前のように兵士の首半分を手刀で貫く。ボロ屑のように息絶え絶えの一人が出来上がり、喉を潰された本人は悲鳴を上げることさえ出来ない。ミレアが首を傾げて笑う。

「あら、丸ごと引き千切ったつもりだったのに。思ったよりできるじゃない、坊やから半人前に呼びなおしてあげる」

 余裕を語っている一瞬の隙間を縫う。ダウィルがミレアの顔面目掛け、全力の殴打を行った。返されるは赤に染まりあがった血濡れの手、先端の爪が周囲の光を反射して鋭い光を放つ。その手はいともあっさりと、熟練の手練れとなる者の腹部を鎧ごと貫く。

「ガハッ」

「貴方がこの群れの頭なのでしょう?」

 喉にむせ返るような味が充満し、ダウィルが吐血した。ミレアが抜きなおした腕で、嬉しそうに再度の突き刺しを行う。鼻の部分を中心にして、一気に射抜く。統率役として機能していた人間の死亡が確定した。

 両手を力なく下げた、ダウィルの頭部から腕を引き抜く。両手を広げて片目を瞑り、おどけた口調で笑う。

「さあ、指揮官はなし。精々、足掻きなさいな?」

「ウオオオオオッ!!」

 一人の兵士が大声を出しながら、激昂して飛び掛かっていく。なんて間抜けだ、声で切りかかってくる方向がわかってしまうだろうに。ミレアが嗜虐的な笑みを浮かべ、背後へ対応するために体を半回転させる。

 さあ、剣を受け止めて反撃だ。

 切りかかってくる寸前、相手の剣戟がビタリと急停止した。ミレアが力ずくで受け止めたのではない。切りかかってきた兵士が無理やりに動きを切り換えたのだ。自ら攻撃を止めた、なぜかという感情が噴出する。拭えない疑問だった。戦場で合間見えた敵を切れない兵士など、いったい何の役に立つだろうか。ましてや人ですらない化物に対して刃を振り切らぬ理由などない。

 だが、久しぶりの面白い問題だ。

 娯楽としては良い、暇つぶしに生け捕ってしまえ。ここまでを数瞬の間で思考し、返すかたちで手刀を放つ。兵士が次の行動をとりきる前に、首後ろを水平に殴打しきっていく。

「が!?」

 エダスが白目を向き、地面に倒れこんで気絶しだす。チェシアが叫ぶ。

「ブーランジェの馬鹿が、死に急いでんじゃないよっ!!」

 ちりちりと鳴る幾つもの音と煙、火薬の匂い。一人が号令を下す。

「撃てぇ!!」

 発光は数箇所だった。月、星、焚き火とは違う新たな攻撃色。盛大な掛け声と共に、銃撃の一斉射が放たれ幾つもの赤い光が瞬く。火薬の破裂と風を切り抜く無数の音が、ミレアの胴体を貫いた。乾いた布と皮膚の破れる音、少女の体が踊ったように揺れだす。

 やった。目の前にいる怪物を倒したと誰もが確信した。

 だが、期待は絶望の音を掻き鳴らして崩壊していく。

 倒れない。ミレアは自身の胴を目視して血を吐きながら、とても苛立って唾を吐き捨てるだけ。

「痛いじゃない」

 そのまま片手を撃たれた肺に捻じ込み、銃弾を素手に掴み取って取り出す。

「矢より早い武器は初めて見たわ。細長い筒から火を噴いて飛び出す、金属の丸い、球かしら……?」

 通常では信じられない光景に、撃った本人達が悲鳴にも似た叫びをあげる。

「肺に穴を開けても平気だなんて!?」

「ゾンビかよ!」

 チェシアが次弾を急げと叫び、残りの人間が盾になるようにして狙撃手の前に陣形を固めきった。しげしげと遠巻きに観察していたミレアが、ニタリと笑顔を作る。

「見たところ、二発目を放つのに時間がかかりそうな様子の武器ね。ノーコンだわ、撃ち抜くなら心臓か頭にしときなさい。まあ、次があればだけど」

 鋭い観察眼で指摘され、余りに知恵の回り方が早すぎるとチェシアが舌打ちした。初見で相手の武器の特性を見破ってくる。殺しきれるか、生き残れるのか。撤退の号令を即断し、彼女は口を大きく開ききった。

 遅い。ミレアの方が、一歩分だけ素早く行動しだしてしまう。怪物が小さな口で告げ、

「最近の人間も、なかなかどうして良い得物を持ってるわね。光栄に思いなさい、油断はしないわ――

 死神の鎌を振り下ろす。

 ――全力で相手をしてあげる』

 応戦している兵士の持っていた松明に晒されていた少女の影が、猛烈な勢いで膨れ上がっていく。布の引きちぎれる連続音が鳴り止むと、地鳴りのような獣の唸り声が聞こえだす。火と月に照らされる、耳と首の長い巨大な犬が一匹。両目がなく、毛並みがエメラルドグリーンの色をしていた。誰もが唾を飲み込み、恐怖に目が澱んでしまう。

 勝てるわけがないと。

「ひぃ、ひああああああああ!」

 傭兵の一人が叫び声を上げ、必死の全力逃亡を開始した。

 ドン! と、大砲が撃たれたかのような轟音が鼓膜を占拠する。強烈に地面を蹴飛ばす音が鳴ったと思えば、他が悲鳴を上げる間もなく傭兵が食いちぎられている。

 ミレアが既に死亡した者の上半身を唾のように吐き捨てた。

『鉄の味しかしない、本当に不味いわね』

 蜘蛛の子が散ったようにして、我先にと一つの集団が逃げ出す。服装が整っているところを見れば、正騎士の者達だとわかる。もう一方の集団は纏まって逃げ出していた。

 ほうと、ミレアが感心する。見てくれの格好は個性があるくせに、行動から場数を踏んでいるのが確認できた。

『頭をもがれた割に、手足だけで生き残れる方法を知ってるのね。だけど残念、逃げ切れるわけないでしょ?』

 傭兵の集団がチェシアを殿として馬に乗り込もうとしている。先ほど気絶させたエダスが鞍の上へと乗せらていく。ミレアが空高くまで跳躍すると、傭兵達の眼前へと着地する。沈むような地響きに馬が恐怖から暴れだす。

『悪いけれどお互い様よ、一人も逃がす気なんてないわ。私の姿を見られたまま去られるには、少々都合がよくないの』

「今よ!」

 チェシアの掛け声と共に、三発分の銃弾がミレアに直撃していく。

『あはは! 図体が大きくなったなら、狙える的も大きくなると思ってたのかしら?』

 獣が愉快に声を上げて素早く跳躍しきり、成功したと思った狙撃が失敗していた。当たらない、ただの一発も命中しない。

「ちくしょう、化物のくせに曲芸かよ!」

「がっ!?」

 傭兵の一人が右足に咬み付かれ、そのまま一〇メートル以上も高く上空へと放り投げだされる。落下すれば岩に打ち付けられ、衝撃を受けた胴体の内臓が破裂してしまう。逃げ切れないと判断した傭兵の一人が、装填しきっていたボウガンから再び矢を放つ。

「なにやってるの、走れバカ!」

 焦るチェシアの言葉が虚しく響く。ミレアは笑い、鋭い一撃を肩へと受けながら突進してきた。例えるなら装甲車だ、まるで怯む様子がない。逃げ遅れた一人が、巨大な前足に踏み潰されていく。

 あるのは悪夢、逃亡中の傭兵達が泣き喚きたくなる程の恐怖に支配された。

『そろそろ飽きたわ。遊びはお終いにしましょう』

 ミレアが駆け抜ける速度を倍以上に上げ、全ての兵士を薙ぎ倒す。一瞬の判断で横に飛び、避けきれたのは三名。チェシアと傭兵の一人、気絶して運ばれていたエダスだけだ。あとは踏み潰されるか吹き飛ばされていた。

「チェシア、こっちが時間を稼ぐ!」

「死ぬ気じゃないでしょうね!?」

 一人が槍を構え、チェシアが近くにあった銃を取り出す。最短装填時間を目指し、弾込めを始めていく。ミレアが喉を鳴らし、悠々と舌を垂らした。

『悪いけど、貴方達に構ってる時間もそこまでないの。他に逃げた害虫も始末したいのよ』

「だったらこっちを見逃して、さっさと行けよ!」

『所詮のところ人生なんて、甘くはないでしょ? お休みなさい、坊や』

 傭兵の振るう槍が、ミレアの長い耳を擦ねる。最後の一撃が避けられ、返される両の前足に押し潰された。後は一咬みされて、首から上が引き千切られていく。乾いた音、化物の口から弾が入り、後頭部辺りから貫通する。

「くたばれ!!」

 チェシアが続けざまに剣を投げつけ、ミレアが上手に咥え込んだ。刺さっていれば、丁度脳天の位置にピタリと当てはまる。

『ふが、残念。貴方いい腕ね、職はサーカスにしとくべきだったわ』

「……ちくしょう」

 ミレアが口を開け、チェシアの胴体を真っ二つに噛み千切った。


     ◇


「うっ……」

 エダスが呻くようにして目を覚ます。見渡して目に入ったのは、どこか人家の部屋だということ。そこまで認識しきって、未だぼんやりと辺りを観察し続ける。次に視界で理解したのは、先ほどまで仲間を殺していた仇敵の少女だった。

 一気に意識が覚醒し、首筋に走る痛みを無視する。身動きがとれず、思い切り歯を食い縛って力を入れてみたが体の自由がきかない。軋む音に気づいたミレアが、背中を向けた状態で話しかけてくる。

「あら、おはよう」

「ふざけるなっ! 縄を解け、化物っ!!」

 椅子は頑丈な柱に縄で括られ、エダスは椅子に括り付けられている。ミレアは笑顔で近づくと、指で彼の顎をひょいと持ち上げた。

「嬉しいでしょう坊や。貴方、私の玩具に選ばれたわよ?」

「殺してやる!」

「どうやって?」

「……くそっ!!」

 尋ねられ、冷静になってみて考えた。だが、今の状態を抜け出す良い方法が、全く浮かばなかった。垂れ下がった前髪が視界を邪魔する。結局、一言だけ叫んで押し黙ってしまう。自身は辱めを受けている、既に騎士として誇りを穢されていた。なぜおめおめと一人だけ生き残っているのだろうか、全く生きている価値が見出せない。

 エダスが血走った目で吐き捨てる。

「一思いに殺せ!」

「なぁにぃ、自分から殺せだなんて物騒ねぇ。今の貴方の生殺与奪は私の権利、当たり前でしょ? 飽きたら殺すし、面白ければ生かすわ」

「お前は僕から騎士の忠義さえ奪うのか!?」

「そちらの勝手、こちらの勝手なのよ。言い分が噛み合う訳ないでしょう?」

 ミレアがエダスの口に手を突っ込む。少女は嬉しそうにして、残りの手で怒りに震える頬を撫でだす。

「舌を噛み切る権利さえ、あげる気はないわ。言ったでしょう、ペットにはなんの権利もないって?」

「ぐ、あああああああああああああっ!!」

「くく、あははははははははははははっ!! あなたはどれくらい持つかしら!? 二日、それとも三日!?」

 エダスは化物の穴倉の中に、自分が入ってしまったのだと自覚していく。胸中で様々な感情がが渦巻き、ミレアの楽しむ顔が目の前にある。叫びきって喉が渇きに飢え、皮膚の味が充満しだす。力尽きると笑い続ける少女に対して、成り行きを呆然と見つめ続けることしか出来なかった。


     ◇


 次の日の夜を迎えた。一日を経っても戦死者を弔うことができず、墓標を立ててやることもできない。エダスは口を布で巻かれ、喋ることさえままならない。戦えないことも死に場所を見失うことも、全てが情けない。負の感情を抱き、場違いな空腹感に苛まれてしまう。絶望感に浸っていても、生理現象は抑え付けられなかった。

 ぐぅと、無常にも腹の虫が鳴り出す。

 目の前では、煙の立っている釜の中でスープが音を立てている。抜け殻のようになりながら、不意にリズム感のある音が聞こえてきた。体の鈍痛を感じたが、新たに見た光景が衝撃すぎて吹き飛んでしまう。

「なによ?」

 鋭い光と共に、エダスの口に巻かれていた布が床へと落ちていく。ナイフが壁に突き刺さる。

「……調理?」

 なんとも薄気味の悪い。投げ込まれ、頬辺りを通過したナイフのことなど気にならない。

「悪い?」

 ミレアは料理用ナイフで野菜と野兎の肉を適度なサイズに切り刻んでいた。意外な声に対し不機嫌に答え、少しだけ頬を膨らます。火をかけていた鍋釜に、切った具材を落とし込んでいく。

 エダスが自身の目を疑ってしまう。昨日のことが脳裏に甦り、狂った人間像と人格破綻者としての面しか意識できていない分の反動が酷く胸中を揺さぶる。周りを見れば、民家の小窓としている部分と部屋の隙間から夕日の赤い陽射しが差し込んでいた。

「――僕を食べる気か?」

「ハンッ。人間なんて不味いもの、どうして食べなきゃいけないのかしら? なに、最近じゃちまたで奴隷の人肉料理でも振舞われるの?」

「いや、そんなわけないだろう」

「坊やはおつむが弱いのかしら?」

「なんだと!?」

 丸一日、食事を取っていない。体力がないままに力を振り絞るが、やはり何もできなかった。ミレアが食事の支度を中断し、右手に持っていたナイフを上げながらそっけなく話す。

「ペットの分も作ってあげてるのよ。感謝なさいな?」

「化物の毒料理など、誰が食べるか!」

「別に、いらないなら良いわよ。勝手に餓死しなさい」

 暫くの間だけ睨んでいたが、眉間に皺を寄せる力もなくなってきていた。無駄な体力消費をしてもしょうがないと、エダスが押し黙る。ミレアが笑いながら、調理用ナイフを木のまな板に突き立てた。調理作業の場から体を半分だけずらし、愉快そうにきいてきだす。

「毒がいやなら自分で作ってみることね。料理が作れるのなら、今だけ体を自由にしてあげても良いわよ? ところで貴方、パンの焼き方を知ってるかしら?」

「……」

「なんだ、知らないの?」

「……」

「図星とは恐れ入るわ」

「……料理は使用人の仕事だ!」

 苦し紛れに言い訳してみる。実際のところ、エダスは生まれてから一度たりとも料理をしたことがない。生活の中で掃除や身の回りの世話は、全て使用人に任せていた。要するに言えば、生活力ゼロの無能者に近い。ミレアが見下げて呆れだす。

「これだから騎士は使えないのよね。威張り散らして肥えてる、どこかの贅肉領主となにも変わらないわ」

「く、僕だってやればできるだけの力はある! ただ、やったことがないだけだっ!!」

「大声を出さないでよ、煩い家畜ね」

 ミレアがエダスの階級をペットから家畜に格下げした。そのままツカツカと歩き出し、彼の縛っていた縄を緩めていく。

「抵抗したければしなさい、即死させてあげるから。じゃあ、言った通りに証拠を見せてもらいましょうか? 簡単な料理もできない男なんて、この世に生きてるだけで罪だわ」

 エダスは今すぐにミレアの首を絞めようとも思うが、男ではないとの烙印を押されたまま殺されるわけにはいかない。恥の上塗りをしてなるものかと鼻息を荒げ、両腕の篭手を外していく。騎士道に曲がった道は存在しない、精神を尊ぶのであれば正々堂々と挑むのみ。

「見ていろ!」

 両腕の服の裾を捲ると、目をギラつかせながら調理場へと向かった。

 数時間が経過していた。もはや何も言えず、エダスは落ち込んだまま無言で縛られていた椅子に座りなおす。どうやら縛りなおせといっているようだった。数十分後、料理になる筈だった物が炭と化した。ここまで酷いのは見たことがないと、ミレアが余りの哀れさに少しだけ同情してしまう。

 少女は両手を腰に当てて溜息をつく。

「貴重な材料が無駄になったわ」

「……」

「家畜を信じた私が馬鹿だったのね」

「……これ以上は、なにも言うな。わかっている」

 再びエダスが縛り上げられる。無力だと、なけなしの誇りも失う。ミレアが炭を片しながら火の調節をしていく。薪をくべながら余りの不器用さを嘆き、エダスの格付けを役立たずの家畜へと落とす。

「材料を残飯以下にした罰よ。明日まで生きてたら食事をさせてあげるわ」

 エダスは一言も喋らなくなった。ミレアは食事を済まし、木のジョッキに汲まれていた水を外へと放る。次には部屋の隅にある樽の蓋を開けだす。室内に葡萄酒ぶどうしゅの匂いが充満した。黙って下を向いていたエダスが驚いたようにして顔を振り上げる。

「なにを考えている!?」

「なによ。唯一の娯楽にケチつける気?」

「子供が飲んで良いものじゃない!」

「なにいってるの、私は化物よ?」

 はっとなって、エダスが我に返る。自身でもなにを言っているのか理解しきれなかった。外見に惑わされたのか、空腹の余りに思考判断が鈍って目が回ってしまったのか。

 ミレアは木製のジョッキで樽の中身を一掬いすると、そのまま一気飲みした。外見通りであれば、一発で目を回しかねない量だ。立て続けに二杯三杯と繰り返し、未だ酔った様子もない。

 二時間が経った頃、三一杯目をあおってようやくほろ酔いになり始めた。常人ではもうとっくに虫の息になって、倒れていてもおかしくない。小さい体に対しての許容量を越えている。あの体のどこに、多量のアルコールが納まるのか。

「これは熟成に時間がかかるから、どうしても手間がかかるのよねぇ」

 どれだけ笊なのだと呆れているエダスに話しかける。

「あら、腰抜け騎士様はお酒も嗜めないのかしら?」

「僕は成人の儀で済ませている」

「だったらぁ、口移しで飲ませてあげるわよ?」

「いるか!」

 ミレアは感情が昂ぶり、目を見開いて嬉しそうに声を上げた。

「あはははははははははははっ! どう、貴方は私を殺したい!? それとも、この貧相な体を犯したいかしら!?」

 ケラケラと笑いながら木のジョッキに入っている酒を一気に飲み干す。光源が少なく暗がりの中で飲みきれず、口から酒の水滴が溢れた。体に沿って喉から胸元へと走り、反射する何筋もの光線を作り出していく。場末の酒場で踊り狂った娼婦がやるような行為は、年相応ではない一種の艶めかしささえ感じさせる。

 目の前で笑い続けている存在に自分が殺されかけたことを忘れさせる。幻想的で御伽噺のような光景を見ている気がした。

「あはは、はぁあ……。どうしたの、黙りこくって? やあねぇ、この手のお話は、お坊ちゃんにはまだ早かったのかしら?」

「なにを言う、僕はとっくに成人している!? だからお前を倒すための、討伐隊にも選ばれたのだっ!!」

 エダスがからかわれた羞恥心から叫びを上げ、ミレアへとくってかかる。少女はその光景をとても嬉しそうに眺め、酒樽からジョッキで酒を掬う。そして喉を潤すために口元へ一口運び、流し目でエダスを嘲笑った。

「くく、それであの有様じゃあね。日が昇って沈むまで、保つことも出来やしないじゃない。人間たちの集団に囲まれたって、私はなにも恐くないわ。お坊ちゃんに至っては私に剣を向けることすら躊躇う始末、――ねえ?」

「なんだ化物?」

 ミレアが机の上から酒の入ったジョッキを持ったままエダスに近づく。エダスの眼前に自身の顔を置いた。

「人間を殺すにはコツがあるのよ。なんだと思う?」

「それは、お前が化物だからか?」

「浅いわね、それじゃ答えにならないわ。要はなにも思わないことよ、憤りも無ければ同情も無く、さりとて何も感じない。最後は憎しみすら沸かない、興味が無い。だからいくら殺したって泣きもしないの。例えばそうね、貴方の名前は?」

 ミレアがエダスに酒臭い息を吹きかけながら聞く。悪臭に嫌悪感を催した。椅子に縛られたまま、しかめっ面で吐き捨てるように答える。

「エダスだ、エダス=ブーランジェ」

「ではエダス=ブーランジェ、貴方の身内が殺された。どうする?」

 エダスは何を言っているというように、ミレアを睨んだ。まるで話にならないとばかり、彼は当然のことのように語る。

「決っている、一対一の決闘を申し込むだけだ」

「そうね、もちろん正々堂々と挑んで相手の命を奪うのよね? で、仇をとって死んだ身内の無念を晴らして、自分が満足する」

 ミレアは酒のジョッキを煽り、入っていた液体を再び一気飲みする。口から漏れ出た分を手の甲で拭うと、冷めた目で見据えてくる。

「さてさて、ここでその後に何が残ると思う?」

「何が言いたい!?」

「答えはなにも残らないの。この意味がわかるかしら? 憎い相手を幾ら殺してもね、死んだ自分の身内は還ってこないのよ。あるのはすっからかんの中身だけ――くく、あははははははっ!!」

 ミレアが腹を抱えて笑い出し、エダスは自分の考えを侮辱されたように感じた。反発的な行動に出て興奮したように動けば、ギチギチと縄と椅子の軋む音が響く。

「あれだけの人間を殺した化物のお前に、なにがわかる!?」

「わかるわよ? だって、私は復讐のために生き返ったんだもの」

 ミレアの答えにエダスが言葉を失う。彼は『生き返った』という言葉に疑問が沸き、少女は再び酒を煽るために酒樽の方へと移動していく。

「殺したわっ! 何もかも殺しつくして最後にはね、なにも残らなかった。くく、あははははははははははははははっ!!」

 バガッ!!

 そのまま思い切り木のジョッキを壁へ投げつける。ミレアの余りに怪力じみた力で、頑丈そうなジョッキがガラスのように粉々となって砕け散った。

「あは、そうよぉ、何も残らなかったのよ。あーあ、可愛そうな私はどこに行くのかしら? どうせ、昔殺した同類のように消えてなくなるのよ」

 半世紀以上前に復讐を果たすため殺した、盟主のユーグが言っていた意味が今なら解る。やがて自分は消えていく、存在すら残らないのだと。

 ミレアが机に乗ってそのまま藁葺の天井を眺めてみるが、返ってくる答えはない。ごろりと横になれば、見えるのは傷の入った木の柱だった。エダスはしばしのあいだ様子を窺っていたが、興奮を落ち着けながら呼びかける。

「おい」

「……」

「どうした?」

 ミレアからの返答がなく、無視されているのかと再び頭に血が上りだす。一方的に言いたい放題されてはたまらないと、苛立って足で地面を叩く。

「話はまだ終わってない! なぜなにも喋ら――

 聞こえてきたのは寝息だ。疲れたのか、満足したのか。少女はそのままの格好で寝てしまっていた。たちの悪い話につき合わされて、挙句の果ては一方的な話の打ち切りかと心の中で嘆く。

 化物と遭遇してからのたった二間日で、一体どれだけの疲れが溜まったのだろう。部屋の中心に見える灯りに安らぎを感じ、急激な眠気が襲ってきた。相手はいつでも自身を殺すことができる。対してこちらは縄を解く術もない。エダスは一つため息を吐くと、顔を上げて椅子の背にぐったりと体を預けた。

 最早どうにでもなれと思い、そのまま意識を手放した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る