第4話

 ミレアとユーグが歩く。あるところまでは無言だったが、一人が痺れを切らしだした。

「焦らす人間は嫌われるわよ、一体どこまで歩かせるつもりかしら?」

「もう少しだよ、お嬢さん。悪いがあの先までは付き合ってくれないか?」

 ユーグが顎をしゃくり上げて、指し示した方にあるのは小高い丘だった。

 そこにはなにかの生活跡のようなものが見える。ユーグは気にせず歩き、ミレアもしょうがなく本人の道楽に付き合う。小高い丘に一面生える雑草が風に靡く。夜の空に浮かぶ月が光り、緑の絨毯が淡いハイライトの乱反射を作り出す。二人して来た場所は、昔に栄えていたであろう文明の一部が転がっていた。

 辺り一面に遺跡のように瓦礫が散らばる。ユーグは足を止めると、ミレアに振り返って深い笑みを称えた。

「ここは昔、私が住んでいた場所だ。もう遠い記憶の彼方で忘れそうだが、しかし昨日のことのように覚えていることもある」

「つまらない与太話はごめんだわ」

「お嬢さん、私も君と同じなのだよ。同類だ、人の皮を被った悪魔に等しいのだ。だからなによりも私には、一つだけ言えることがある。私とお嬢さんは、お互いが誤った選択をとったということだ」

 ミレアが身構える。化物になって二度目の生を受けてから、初めてとる行為だった。

「だから、それがどうしたというの? 私の目的は変わらない、私はこの国を根絶やしにしてやるの。だってそうじゃない、一人だけが損をするのなんて馬鹿みたいでしょうに」

「お嬢さんはなにを望んだ、欲しいのものは本当に復讐だったのかね? 借り物の体にこれ以上、罪を付与してなんになる? 復讐の果てに手に入る物は満足ではない、虚無の感覚が残るだけだ。賢い君なら気づけるはずだ」

 ユーグは真剣な顔でミレアを見る。それが必死の説得なのだと内心で素直に受け取った。

 だが、たったそれ如きのことで意思が欠片も揺らぐことは無い。既に遠い昔、とっくに賽は投げられた。一回だけ瞼を閉じきり、少ししてまたゆっくりと持ち上げる。

「賢さ、智慧、先見、私はそんなものに興味は無いの。貴方も死後の世界とやらを見たのでしょう? あそこにはあるのは暗闇だけ、後は何も無いわ。だったら、私にとっては恐れるものなど何も無い」

「本当にそうかね、お嬢さん? 君も最後に見ただろう、無限に広がるあのおびただしい数の渦をね。私もつい昨日のことのように覚えている、そして結論も言える。あれ――

 バガッ!!

 ミレアは素手で手近にあった石造を無造作に砕き、その顔はとても苛立っている。自身は優越を感じたいはずなのに、先ほどから話の主導権は悉くユーグに握られ続けているからだ。

「うるさいわね、貴方の声は癇に障るのよ。今すぐ、その喉元を掻き切ってあげるわ」

「わがままな子だ。人の話を聞けねば、それは人の心を持ち合わせてすらいない、本物の化物だよ。君はそうではないはずだろう?」

 ユーグが帯剣しているサーベルを鞘に納刀した状態で地面に放る。ミレアは彼が武器を放棄したのを確かに確認した。だが、お互いが人外の力を振るえる場合、サーベルなど只の鉄の切れ端に過ぎないとわかっている。

 結論として油断をせず、警戒は怠らない。

「あの渦の先が私たちの次の場所だ。暗闇の中でもがいていた鏡写しの自身が、本当の私たちなのだ。私たちは先を拒み引き返し、そして今ここにいる。そして他の命に取り付いた結末は、ただ消えるのみなのだよ」

「……ふふ、あは、あはははははははははははははははははははははははっ!!」

 ミレアは腹を抱えて大笑いする。一頻り笑いきって――――そのまま真顔になった。

「後悔しているのであれば、それは貴方が自分勝手にすれば良いだけでしょう?」

 感情が爆発する。

「そんな下らない価値観を私に押し付けるなっ!! 私は貴方じゃないのよっ!? 戯言は貴方が朽ち果てたら、またゆっくりと聞いてあげるわ。喋れる口が残ってたらねぇええええええええええええええええええええっ!!』

 着ていたドレスが全て破けて引き千切れ飛んだ。

 あとには大きすぎる犬の化物が嘶きを上げ、光景にユーグが内心で焦りだす。それは彼自身が化物の形になろうとも、ミレアほど大きくはならないこと。帰結として純粋な力勝負では負けることが予想できたから。

 二度目の咆哮音と共にミレアがユーグに向かって突進を開始した。

「これは私の想像以上だ。負けるかもしれんな」

 一人事のように喋ったユーグがミレアの突進で吹き飛ばされる。一旦動きを止めたミレアが獣と同化したような声で喋りだす。

『……速いわね、貴方は何と混じったのかしら?』

「愛馬さ、共に戦場を駆け抜けた大事な家族だった。確かに、お嬢さんの言う通り私は後悔をしているのかもしれないな」

 吹き飛ばされたはずのユーグが、高い柱の上に立っていた。ミレアが内心で歯軋りする。確かに攻撃を当てたと思ったからだ。人間では一足飛びに辿り着ける高さではない。見下ろすようにして、その場所に彼はいる。先ほど投げ捨てたサーベルをいつの間にか片手に携えながら。

 避けた上にサーベルを拾いなおし柱の上へ。化物はどちらだと、底の見えない相手にミレアが唾を吐く。ユーグは抜刀すると鞘を投げ捨て、刃を下段に構えて切り上げの姿勢を取る。一撃でなにかを仕留めようと腰を落とす行為は、必殺のような鋭利な空間をミレアに錯覚させていく。

「だからこそ、私はここでお嬢さんを止めなければならない。君を止めることが、どうやら今の私の使命のようだ」

『やってみなさいな。ただし、人間のままの姿で私に勝てると思わないことねぇ!?』

 ミレアが跳躍し、一拍遅れて地面が爆ぜる。巨体から繰り出される勢いに、ユーグはタイミングを見計らう。瞬間、ミレアと交差するように今度は彼が跳躍する。

『 !? 』

「ふう。やはり、スピードは私の方がやや優勢か」

 お互い地面に着地するとミレアは体の一部から血を流していた。傷の大本を辿れば、ユーグのサーベルが血に塗れている。

「タフだな。君がそれでは、私の攻撃は無意味のようだ」

『だったら、全力で来ることね。私はそこらの令嬢みたく、脆くないわよ?』

 ミレアの体から流れつづけている出血が直ぐに止まる。程なく串刺しにされた部分が、何事も無かったように回復しきった。呆れるほどに強大な治癒能力に対し、ユーグは内心で舌を巻く。再度サーベルを構え直し、倒れんばかりの前傾姿勢をとる。

 ミレアは馬鹿の一つ覚えの行動にしか見えず、口を開け舌を垂らす。大木を一噛みで砕きそうな大量の牙がユーグを威圧する。

『死になさい』

 迷いのない突進、ミレアが駆けるとユーグも全力で走り出す。途端、いきなりユーグの姿が霞の如くかき消えた。口を開けて迫ろうとしたミレアが、自身の生存本能に従って力任せに後ろへ跳躍する。

 ザクッ!!

 噛み砕こうと迫ろうとしていた場所から金属音が掻き鳴らされる。サーベルの刃全てが地面に埋りきっていた。スピードに乗じた力技が、決して薄くはないであろう石畳を貫ききっている。ミレアが一撃に込められた破壊力を予想し、対戦相手の様子を着地した場所から観察し続ける。

「成る程、勘も良いようだ。今のは惜しかった」

『危なかったわ、流石は歴戦の騎士様と言ったところかしら?』

「巨体にのせた力に、相手を侮らない謙虚さがあるのは些か厄介すぎるな。お嬢さんはどうやら、いやはや、かなり骨の折れる相手のようだ」

 ユーグはなんなくサーベルを抜き、折れていないか手首を回して軽く振り回す。ピュンッと空気を切り裂き、付着していた血と土が地面に降りかかる。ユーグの笑みが深みを増す。皴の彫りが足される度に、ミレアが警戒度を跳ね上げていく。

 来る。

「ならばだ、少し搦め手を使わせてもらうとしよう」

『三度は無いわ』

「そうだな、老骨に長丁場は不利だな」

 二人は三度目の激突を開始した。

 ミレアが右に跳び、ユーグが続けざまにその場へ食いつくように追従する。ミレアは今度それを逆手に取ると、反発的に勢いをつけて巨体の体を活かし、ユーグを力任せに吹き飛ばす。

「惜しいな、戦場では頭を使うことが大事だろう?」

『なっ!?』

 ミレアが吹き飛ばしたと思ったそれは、いつの間にか脱がれ投げられていた服だった。ユーグが着ていた白いシャツは良く目立ち、その分だけミレアの意識が全てまわっていたのだ。だから一瞬の隙が出来てしまう。

 ズッ

 犬の横腹にあたる部分、深々とサーベルが突き刺さる。皮膚からの食い込みが臓物までダメージを与えた。

「流石に体躯が良いようだ。サーベルが心の臓まで達さなかったのは、こっちにとっては痛手か」

 ユーグがミレアに刺し続けているサーベルを勢いよく切り上げ抜く。

『ガアァァアアアアアアアアアアアアっ!!』

 ミレアが盛大に叫び声を上げる。束の間、少女の狂喜に満ちた口の中にある牙が、ユーグに向けられた。

 ガツッ!!

「ぐぬっ!?」

『アハハハハハハハハハハハハハ、痛み分けよっ!! まぁ、貴方が一方的にやられただけでしょうけどねぇえええええええええええ!?』

 ユーグが後ろへ跳躍し、ミレアは腹からはみ出した内臓を地面に垂らして笑う。口から喉で絡まっているたんように、奪った左腕を吐き捨てた。

 ユーグが噛み千切られた左肩、傷口にある激痛を無理やり気力で捻じ込む。

「ぐっ……、はぁ、ふぅぐっ! 恐れ入る、大きな体になろうとも傷の痛みは伴うだろうに」

『ふん。私は一度、首を落とされているのよ。今更この程度の痛みで、怯む方がおかしいわね?』

 ミレアの切られた部分が煙を吹き始め、垂れ下がっていた腸が独りでに腹の中へ戻っていく。一〇秒と経たないうちに、負傷していた横腹の傷が塞がった。ユーグはサーベルを投げ捨てて、人間での戦いを捨てた。体がミキミキと音を立て始めていく。

「この姿になるのは本当に久しぶりだ。お嬢さん、馬の後ろ足は強烈だよ。喰らいつくなら腕ではなく、足の方が賢明だったね?』

『あらぁ、随分スマートになったわね。あはは、顔が殆ど骨で剥き出しだなんて、まさに死人にはおあつらえ向きだわ』

 ユーグの姿は三本の足がある馬に変わり、人よりも一回り大きな姿に変わる。足の爪は普通よりも金属質特有の反射を返す。通常の馬となによりも違うのは、まるで戦の兜を被せられたかのような顔の造りだった。実際は骨で覆われているのかもしれないが、足同様に金属質の反射を見せる。

『人間同士では決闘となろうが、これでは獣同士の争いか。お嬢さん、悪いが全力で君を止めさせてもらうよ』

『私からすればロバに等しい大きさよ? その骨で覆われている頭を、丸ごと噛み千切ってあげるわっ!!』

 二頭の化物が再度の激突を開始した。

 三本足の馬となった化物が地に馬蹄を響かせる。刹那の存在を許容させない、月夜に反射した鋼鉄のような前足が巨獣と化したミレアの頭蓋骨を貫く。

 手応えなし。捉えきった前足から、金属同士の軋むような音がする。口の中から覗く巨大な牙の群れが、虎挟みのように前足を咥え込んでいた。

 攻撃を最小限の動きで避けきったミレアが嬉しそうに笑いだし、頬にあたる部分の皺が寄りだす。

『ハッフ、ハ、手枷も嵌められないように、このまま噛み砕いてあげるわっ!』

『運は私の味方らしい、君はこの体の使い方をよく知らないようだ。やはり、知恵では私に分があるな』

 形成の逆転はいつも予想外で始まる。ユーグが捕まれている前足の肩部分を人間の状態に戻しだす。関節を無理なく曲げきった馬の化物が、寸分の狂いもなく姿勢を反転した。虚を突かれた獣が驚きに意識を持っていかれる。

『ガァハアッ!?』

 辺り一面に苦痛の叫び声と破裂音。兜を持った馬が、蹄による後ろ足からの強烈な蹴り上げをかます。直撃したミレアの腹部が爆発したように吹き飛ぶ。肉片と内臓の一部が飛び散り、二箇所の抉られた部分から流血が発生していく。

 ミレアが渾身の一撃をくらうも、血を吐きながら勢いよくユーグヘと噛み付いた。

『次は脳天からもらう』

 虚空。

 食らいつこうとした場所に標的は既になく、頭上からひどく冷めた声だけが聞こえてくる。

『はん、笑わせないで頂戴なっ!!』

『 !? 』

 ミレアが内心で嘲笑う。死に体にはまだ遠い、この命を持っていきたいのであれば五体を砕けと。

 巨躯が腸を曝け出しながら、前方に一回転して跳ねきった。曲芸師ならば出来て当たり前の動きをミレアは化物の体で行う。一瞬にして上下の立場が入れ代わる。

 ガツッ!!

『ぐあぁあっ!』

 足の一本に根本から噛み付かれたユーグが、歯を食い縛るようにして呻き声を上げていく。

『ふんっ!』

 ミレアが馬の体を力任せに振り回しだす。筋肉繊維の千切れる連鎖音のあとで、足を引き千切られた馬の化物が勢いよく遺跡の壁へと激突した。

 瓦礫が転げ落ち、石の砕ける音が鳴り響く。

『アハハハハハハハハハ、二本足の老人なんていい様ねっ!? ああ、腕と足を一本ずつ失ったから、少しニュアンスが違うのかしらぁ?』

 血を吐きながら、瞳のない犬が嬉しそうに話す。前足の爪で威嚇するように、かつては床だった石の板を削る。体はゆっくりと肉体再生が始まっていく。敵が動き出すまでは回復に専念すべきだと、ミレアは自身の血に塗れた口から舌をだらりと垂らした。

 ユーグは屍のように動かない。

『一時と持たずに酔いどれるなんて、社交ダンスにもならないわ。さて、その頭を砕いて終わ――

 即座に言葉を切り、本能に従って一足飛びに真後ろへと跳躍する。

『あがぁ!?』

 最後に地面から放したはずの前足一本、体から綺麗に切り離されていた。

 新たな痛みと共に、憎しみの篭ったような顔つきで見上げる。下に倒れ付した死体はなく、石柱の天辺を足場にしていた。二本足のままによろよろと立っている馬の化物は満身創痍だ。

 だが、全く油断できない。

『今のを避けるとは思わなかった。四岐を奪えなかったのは、こちらに分が悪いようだ』

 紅く光る双眸がギョロリと音を立てたかのように見下げてくる。ミレアが内心で焦りだす。視認させない鋭利な刃が余りにも危険だと、心中で警鐘を鳴らしていく。

 馬のような体で武器はもてない。武装することなど不可能だ。数本も足を失った状態で、どこから攻撃を繰り出してきたのか。

 二撃目を避けられる自信がない。上手くやられてしまえば、生きていた時のように首を切られる可能性もありうる。

 死ぬ、失敗すれば殺される。どうする、どうすれば、あの二本足の馬の化物を殺せるのか。

 ――――は? 私は、なにを考えているの?

 ミレアが混乱しかけた状態から我に返りだす。次に、失った前足と回復中の腹部の激痛を忘れ、心の中で笑い転げた。

『クク、アハ、アハアハハハハハハハハハハハハハッ!! 私ったら大馬鹿者ねぇ、一体なにを恐がっていたのかしら?』

 とっくのとうに死人ではないか。死んだ先の場所も知っているのだ。生死に趣を持つ必要がどこにあるというのか。

 盛大に、自分自身の思考に対する愚かしさを嘲笑う。

『これで終わりだ、お嬢さん』

 ユーグが声を発して姿を消す。ミレアが全力で顔を左に向けた。

 残像を残したような動きで馬の化物が動いている。犬の化物が跳躍し、断頭台ギロチンのようにして巨大な口を開く。

 さっくりと犬の足全てが宙を舞う。

『終わりよっ!』

『ぬぐあぁあああ!?』

 馬の嘶きが聞こえ、半身の肉が食い千切られる音が戦闘の場に木霊す。それは、二頭ふたりの激しい戦いに幕を下ろす合図となった。


     ◇


 手首と足首から先、腸の回復に専念するミレアが裸のままで地面へと腰掛けている。相対するようにして、大の字で動けない状態のユーグがいた。顔色が悪く片足と両腕、右肺辺りから先を抉り取られて失っている。

 ミレアが目を鋭くし、小さな口をゆっくりと開く。

「なぜ、最後に狩れる手を緩めたのかしら? 頭を狙えば仕留められたかもしれないでしょうに。後学のために、是非とも理由を聞かせて欲しいわね」

「……気まぐれではないさ。大人が子供に対し取って良い行動とは、体罰ではない。手を差し伸べて良い場所は、頭と手だけなのだよ。行為は撫でる事と握手だけが許される」

 戦意喪失をしたユーグが、夜空に瞬く光を見ながら楽しそうに会話する。口端からは、赤黒い液体が噴出していた。

 一言を発するたびに、血液は二酸化炭素を取り囲むようにして泡を作り続けていく。話した内容が余りに下らないと、ミレアが盛大にその場で舌打ちをした。

「ふざけるな、反吐が出るっ! これだから善人は苛つくのよっ!」

 反発しあう磁石のように、必然のように心が怒りの衝動へと駆られだす。暫くして澄まし顔を作り、当たり前のように一言を綴った。

「私は借りるのも貸すのも大嫌い。貴方の大事な息子は見逃す、これでお相子にさせてもらうわ」

「……それは、ひどく助かる。あれは灯台でね。失っては、その周りにいる者の明かりが無くなってしまうのだ……、ありがとう」

「うるさい、黙れっ! 口を潰すわよ!?」

 声を思い切り荒げる。ミレアは感謝の言葉にうんざりしてしまう。もう少し体が回復したら頭を吹き飛ばすと、心の中で意思を固めだす。ユーグは軽く笑うと、本当に楽しそうな笑顔を作った。

「…………疲れた……、永く生き過ぎたな。だが、息子を見逃してもらえた最後の戦には、大きな価値を見出せた。お嬢さん、良い事を教えてあげよう」

 敗者が勝者へなにを享受するのかと、ミレアは思わず噴き出してしまいそうになる。

「は、どこまでも見下してくるわね。――良いわ、どうせまだ動けないし、最後の寝言くらい聞いといてあげるわよ」

 腸が再生しきり、両手と両足がメキメキと音を立て続けている。細胞が活性化し分裂、形状記憶のように指の先までもとの形を取り戻そうとしていく。見立てで体が元通りになるまでは、のち数分ほどかかりそうだ。

 しょうがないと、死に行く者の戯言に付き合うことにする。

「やっと聞く耳を持ってくれたか……、よく聞きなさい。私たちには先がない、人では無くなった身で逝った者は霧となって死体が残らず……、生まれ変わった次がないのだ」

 化物には三度目の死が得られない。語られる内容はミレアにとって未知のものとなる。

「だから私は七〇〇年も生きた、遠い昔は同じ場所で、違う国の旗を掲げていた。その時、君と私と似た者を屠ったことがある。最後、彼は煙に巻かれ消えたのだ。骸が残らない、血も、肉も、骨もだ」

 なにも残らない。これが全生の終わりを告げることを意味していた。

「彼は言っていた。死の世界から戻った化物は、皆サカと呼ばれていると」

 聞きなれない言葉だ。私もユーグもあったことのない彼とやらもサカと呼ばれる化物らしい。ユーグの体から紫の霧が発生しだす。体が溶ける様にして無くなっていく。

「忘れてはいけない、本当の自身は既に渦の先へと旅立っている。君は劣化した模造品、私と同じように贋作の域を願った者。この言葉を忘れないでほしい、死を引き返した者は『報われない』。どう足掻いても、この呪縛からは逃れられない――

「……中途半端な話の区切り方なんて最低ね。いいわ。あなたの言葉は、頭の片隅にでも放り込んでおいてあげる」

 ミレアがなにも無い地面へと、顔を向けながら答えた。誰の返答もなく、言葉は虚しく宙を彷徨う。


      ◇


 一国が滅ぶ。疲弊した動物へとハゲタカが群がるように。幾つもの他国が、新たな領地を増やさんと軍の派兵を開始していた。

 奪い合いは加速し続け、攻め込まれた側の人々が死屍累々となっていく。村が燃え、町が壊れ、日常の生活が破綻し続ける。侵入者たちは斬りあって殺した兵士の耳を削ぎ落とし戦利品に、人は奴隷に落ちていく。手に入るものは、全てが新資源となった。

 最後の砦は中心都市にそびえる城。一番に乗り込んだ国は、もう一国を待って二国分の戦力へと兵を纏め上げる。協定が結ばれた後、圧倒的な数の暴力が進軍を開始しだす。灼熱と噴煙、怒号と叫び声が響く。狂気にも似た空気が戦場を埋め尽くしていた。

「城門を突破しろっ! ベリエを前へ!?」

 指揮官が叫び、破城槌ベリエが防壁として機能している分厚い城門へと繰り返し打ち込まれる。掛け声と共に何度となく鉄製の牝羊を模した先端と門が激突し、やがて一つの出入り口が出来上がった。

 攻め側の兵士たちが突破口を切り開ききり、一気に城内へと雪崩れ込んで行く。

「貴族を捕えろ、栄誉と武勲をっ! 王を捕えた者には特別に褒章を与えるぞっ!!」

 報酬に名声という名の欲に見入られた騎士と傭兵の目が血走り、城内を逃げ惑う無抵抗の人々が全て獲物と金貨に見えた。迎え撃つようにして、門の内側に控えていた兵士が一斉に隊列を組みだす。

「砲を用意っ! 撃てぇえええっ!!」

 守備側で用意されていた大砲へと火が入る。炸裂する火薬によって砲塔から飛び出した〇・五トンの石弾が潜入してきた敵兵士を薙ぎ倒す。厚さにして三ミリの鉄製胴鎧が紙くずのように凹み、人体も破裂したように千切れ飛ぶ。先頭を切って突撃してきた大半の兵を殺しきると、入れ代わるようにして槍兵が進みだした。

 血臭の漂う空間で一進一退の攻防が続く。混沌の坩堝と化した争いの中で、ミレアが城の胸壁に立っていた。見下げたようにして、俯瞰から光景を眺めている。

化物わたしも人間も、大して変わらないじゃない。あるのは咽返むせかえるような臭いばかり」

 他の方へと目を向け、独り言を呟く。見つけたわよと。

 視線から見える窓枠の向こう、兵士に囲まれて逃亡を試みる女王の姿を見つけた。

 視線を移して手に携えている三つの塊を確認すると、一足飛びに大きく跳躍しだす。一〇メートル以上ある距離の幅を脚力だけで縮めきった。

 目の前に迫る窓を突き破る。窓ガラスの砕け散る派手な音と共に、廊下へと着地していく。いきなり現れた不審者を見て、女王の一行が驚愕の顔をしだす。兵士たちがミレアを囲むようにして武器を構えた。

「痴れ者め、無作法であろうっ!!」

「女王様、お下がりをっ!」

「子供のなりで、どうやってここまで!?」

 男性の野太い大声に対し、ミレアが鬱陶しそうに顔を顰めてしまう。やる気なく、片手から吊り下げていた物を適当に女王の方へと放る。

 否、それは物ではなく者だった。

 三つの生首が床を転がっていく。絶叫したように目を見開いて絶命してる顔は、地獄に落ちたかのような如是相だ。

「 !? 馬鹿な、ありえんっ!」

 女王がその場で金切り声を上げだす。彼女はそれらの顔に見覚えが合った。

 我が子の亡骸を見て絶叫する。

「死んで一人ぼっちだなんて、可哀想でしょ? 息子たちとのご対面なんだから、喜んで良いわよ。一人残らず、首を撥ね飛ばしてやったわ」

 ミレアが疲れた笑いを放ち、子供を殺された母親が憤怒の形相へ。兵たちへと、即座に指示を飛ばす。

「殺せっ!!」

「一〇年以上経っても変わらないわね、肝の腐った女王陛下様。お前は殺さない、息子たちを失った状態で一生を苦しみ抜いて死ね」

 問答無用とばかり、兵の一人が槍をミレアに向けて突き刺した。

「ハズレ、ペナルティは死よ」

「かっう、ヒゥ!?」

 叫び声をあげることが出来ない。兵士の喉がミレアの素手によって貫かれ、攻撃を加えた槍は簡単に避けられていた。

「化物めっ!」

「囲みきれっ!」

「死に損ないの国にしがみ付くなんて、馬鹿みたい。騎士の忠誠なんて、早死にのもとね」

 一箇所が中心となり、暴風雨のように荒れ狂う。斬りかかって来た全ての兵士がボロ布のように宙を舞い続けていく。絶命者が五人に達したところで、残りの一名が守るべき主を見捨てて脱兎の如く逃げだした。

 余りの激しい光景に女王は言葉を失っている。全身に返り血を浴びたミレアが、胴体に突き刺していた腕を引き抜く。腰を抜かしいる無様な女王の横をゆっくりと通り過ぎた。

「まさか……嘘だ、デジレの…………娘?」

 一方がありえないものを見たような顔をし、もう一方が呆れたように返答する。

「なんだ、やっと気づいたの。おかげ様で、死の淵を這い上がってきたのよ。殺しきれなかったのが、災いしたわね?」

 女王への復讐は果たし終えた。もう用はないと、気にせず先に歩いて進む。目指すべきは王のいる玉座の間だ。その他の人間は。全て路傍の石に等しい。血を含んだ足を床につく度に、ペチャリペチャリと生々しい音が鳴り続ける。

「ふ、ふふ、ふふふふふ、あっははははははははははははっ!!」

 女王は気が触れてしまい、その場で発狂し笑いつづけた。

 目的の場所へ着けば、後の結末は瞬く間にして行われる。玉座の間には王とミレア以外、誰もいない。数秒前までは確かに近衛兵がいたのだが、一匹の化物サカによって全滅してしまっている。普段が神聖で静寂を保っていた場所、それが今は黒い赤一色に染まりあがっていた。

 転がる骸の群れが積み上がり、即席の墓場となった場所で親子が久しく再会を果たす。一国の主、そして殺戮者となってしまった妾の子。

 王は全てに怯えていた。崩壊する国に、傅くことを辞めた家臣に、目の前にいる強大な力を手に入れて現れたかつての愛娘に。ミレアが父親である王を見る。

 ――――やつれきっていた。

 ストレスから来る急激な老衰が、皮と骨だけの生物へと変貌させていた。ミレアも疲れきっていた。復讐だけに費やした一〇数年という歳月の時間は、いつしかから負の感情が少女の心を貪るように侵食していく。少女は気づけない。いや、気づいていたが正常に引き返すには、既になにもかも遅すぎていた。

 目的の場所まで辿り着いたが、最早ギリギリの状態ですらない。感情が崩壊しかけいる。少女は幾年からか、最後の数年からか、ずっと考えてきたことがあった。王である父に対し聞きたいことがあるのだが、本人は返答をくれるだろうか。ミレアは光の灯らない虚ろな眼で、恐れによって目を血走らせた王へと声をかける。

「お久しぶりです、お父様」

「寄るな化物めっ!!」

 それが久しぶりに会った父親の言葉だった。

 ミレアは自身を探してくれたかどうかを問いたかった。大切な母親を探してくれたのかを知りたかったのだ。しかし、もうなにもないのだと気づいた。最後の夢のような幻想から現実に引き戻され、ミレアの心が破裂する。

「さよなら、お父様」

 王の首から上が、大熊以上の大きな獣の手で千切れ飛んだ。血塗られた玉座の間を見ると、そこには首のない死体があるだけ。自身が崩壊させた一国の縮図を見て、歴史に残らぬ名もない大罪人が呟く。

「終わっちゃった、終わらせたのね。――――どうしよう、もうすることが無いわ。どうしたらいいのかしら、疲れた…………」

 半壊させた玉座の間の入り口のドアが音を立てる。おぼつかない足取りで、復讐を終えた者が部屋を後にした。

 ただ、ヒタヒタと、ペタペタと。

「あは、あはははは、ははは、あは、あは……はーっあ…………」

 気力なく精気の抜けきっている表情をしたミレアが、女王と同じように気が触れたようにして歩き続けていた。どこに行く当てもなく、城を出て砂塵の舞い続ける戦場を幽鬼のように彷徨う。様子を遠巻きに眺めている三騎分の馬蹄が地面を打ちつけながら、少女の元へ向う準備をしている。

「なあ、おい。あら幽霊か悪魔かよ、ガキが戦場を歩いてるぜ?」

「ああ、俺たちは後追いの隊に混ぜられて戦利品も得られなかったからな」

「傭兵稼業にゃ干上がった役回りだわな。やるか?」

「修道院より奴隷商ってな。売り飛ばせば、一杯分の酒代にはならぁな。ハッ!」

 下卑た会話のままに傭兵たちが馬の腹を蹴り飛ばす。そのまま走りきると、片腕を出してミレアの胴体を攫うようにして持ち上げる。

「よぉー、可愛いお嬢ちゃん。奴隷の素敵な人生がお待ちかねだぜ?」

「興味ないわ」

 ミレアが手を平にして、甲冑ごと傭兵の胴体を貫いた。

「特別サービスよ。暴れたりないなら、私が手伝ってあげる」

 少女を囲みこもうとした傭兵たちが、逆に舵を切って逃げ出していく。目が恐怖に澱みだし、我先にと生を求めだす。一瞬にして現れた巨大な犬の化物サカが、彼らを一瞥して追うこともなく蔑んだ表情だけを向けた。

 戦場に現れた異質な存在は、興味なく荒野へと向かって走り出す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る