試練

 昼、イルエと聖騎士キューリアがギルドを去った後のこと。

 どうやら、初めて女性の裸を見たキューリアの興奮が収まらず、ずっとあれが硬直したままだったらしい。

 キューリアはどうにかして鎮めようと努力したらしいのだが、その努力の方向性が大きく間違っていた。

 まずは、何か特殊な呪いによる攻撃を受けたのだと解釈し、自身に対して解呪の魔法をかけた。しかし、そんなことをしても当然なんの効果もない。俺は勃起が収まらなくなる特殊すぎる呪いなんてかけていないし、そんな呪いは知りもしない。この世に存在するのかも不明だ。探せばありそうだが。

 次に、キューリアは、自分の体にどこか不具合が発生したのだと解釈し、イルエに回復の魔法をかけさせた。キューリアから事情を聞いたイリエは、そんなことで解決するわけがないとわかってはいた。しかし、キューリアに意見することも逆らうこともできず、おとなしくその命令に従った。

 結果として、キューリアの体はより一層元気いっぱいになり、余計に硬直が激しくなってしまったのだとか。

 それでもキューリアはどうして体に『異変』が起きているのか理解できず、自分はよほど特殊な攻撃を受けたに違いない、と思いこんだ。

 どうにかして鎮めようと試行錯誤を繰り返すが、そのどれもが的外れ。あらゆる回復系の魔法や魔法薬を試して、どんどん体に力をみなぎらせてしまった。

 もう自分ではどうすればいいのかわからない、とキューリアは取り乱し、イルエに対して、とにかくどうにかしろと怒鳴り散らす始末。


「……どうにかしろって、私に性処理を手伝えってことですか? と心の中では思いましたが、口にはしませんでした。でも、娼婦ではないので、そんなお手伝いしたくありません。

 自分で擦って放出すれば全部解決することなのに、キューリア様は性に関する知識がほぼ皆無なのでそれすらわかりません。ある意味、可哀想ですね。教会の都合で、ひたすら純粋な聖騎士として育てあげられた結果、ああなってしまいました。

 ……ちなみに、私は一般人レベルの知識は持っていますよ。キューリア様が極端なだけで、一般の信者なら知識を得る機会はあります。

 それで、回復魔法でどうにかできる問題ではないと私はわかっていますので、恥を忍んでここまで参りました。大変情けないお話ではありますが、勃起を抑える薬をお譲りくださいませ……」


 イルエの話に区切りがついて、俺とセリーナは顔を見合わせる。もはや笑い話なのだけれど、ある意味キューリアは哀れだとも思う。危ういやつなのは知っていたが、よほど特殊な育ちをしてきたに違いない。宗教的な事情で、きっと人間的な部分をかなり否定されてきたのだろう。自慰すら知らずに二十歳前後になるって、正直わけがわからん。


「わたくしとしても、初めて遭遇する事態ですね……。そういう事情でしたら、薬を出すことはできます。できますけど……根本的な解決にはならないかと……」

「そうですね。でも、私ではこの先のことなど面倒見切れません。私の言うことなど聞きませんし、他の誰の言うことも聞かないでしょう。……もっと階級が上の方達がきちんとキューリア様を導いてくだされば良いのですが……。彼を今のようにした張本人なので、導いてはくれないでしょう。性の知識に疎く、純潔で従順な彼を作り上げたことを、むしろ誇りにさえ思っているはずです」

「……そうですか。教会は色々と複雑な事情が絡んでいて、わたくしも下手な介入はできません。根本的な解決をできないのは心苦しいですが、ひとまず薬を作りますね」

「お願いします。でも、あなたはただの他人なのですから、キューリア様の今後のことなどいちいち気にする必要はありません。……いつか体を壊すか、心を病むかしても、あなたには何の責任もありません」


 イルエはキューリアの同僚のようなもののはずだが、随分と冷めた態度だ。

 まぁ、見てればイルエがキューリアに良い感情を持っていないのはわかるし、そもそもラミラト教に対しても否定的なのも察する。

 セリーナが困り顔で薬の調合を始める中、俺はイルエに尋ねる。


「……もしかして、イルエは、ラミラト教から抜けたいのか?」


 イルエは数秒沈黙し、意を決したように口を開く。


「……ここだけのお話ですが、抜けたいとは思っています。でも、それはできません。私が抜けてしまうと、故郷の孤児院にお金が送れません」

「孤児院、ね……」

「はい。私は、孤児院の出身です。そして、別にラミラト教の教えに惹かれて入信したわけではありません。……ただ、教会のために絵を描くことが一番の収入になるので、そうしているだけです」

「へぇ? 絵を描くんだ?」

「はい。昔から絵が得意で、孤児院にいるときにも、絵を売って運営資金にしていました。それが教関係者の目に留まって、色々あり、私はラミラト教に入信して教会のために絵を描くようになりました。

 ……教会からの依頼は、お金にはなりますが、基本的に宗教画なんですよね。神様だったり、神話のワンシーンだったりを描きます。絵を描く行為はそれだけで楽しいとは思いますが、正直、宗教画ばかりを描くのにはうんざりしてしまっているのも事実です。

 本当は、もっと描きたいものがたくさんあるのです。でも、そんな時間もお金もありません。教会に言われるまま、神様の偉大さを伝えるための絵を描き続けています」

「そっかぁ……。それはある意味苦行だな。っていうか、イルエはどうしてここまで来たの? ダンジョン探索のための旅なんだろ? 絵描きなら、ここに来る意味もないと思うけど」

「……これは、私に課せられた試練です」

「試練?」

「はい。私の信心の浅さが、上の人もどうやら伝わってしまっているらしく……。試練が設けられました。キューリア様と共に旅としてダンジョンに入り、そして目的のものを取って帰るよう命じられました。それができれば、私は神様の加護を受けた正当な信者。できなければ、私は神様が見放した偽りの信者。そういう試練です」


 ……とんでもない魔女裁判だな。


「いやいや、それ、高確率で死ぬだろ。見たところ、イルエには戦う力なんてほとんどないだろ? 回復役専門だったとしても、ダンジョンの下層で通用する実力があるとは思えないが?」

「そうですね……。要するに、死んでこい、という話ですよ」


 イルエが乾いた笑みを浮かべる。生きることを諦めた態度で、もう笑うしかない、とでも思っている様子。

 それがなんだか非常に腹が立って、拳を握る。


「……逃げないのか?」

「キューリアは私を逃がしません。それに、逃げ切ったところで、私には行く当てもありません。教会の裏切り者として追われ続ける生活になるのも目に見えています。

 ……もう、私にはどうにもできませんよ。考えるのも疲れました。孤児院の皆には悪いかもしれませんが……よく考えれば、孤児院のことは私が責任を負うことでもありません。もういいのかな、とも思います」


 その乾いた笑みは変わらず、抜け殻のようにも感じられた。

 たまたま今日知り合ったばかりの関係だけれど、どうにかして助けてやりたいな、と思ってしまう。


「……絵を、教えてやってほしい子がいるんだ」

「はい?」


 ポツリと呟いた俺の言葉に、イルエが首を傾げる。


「俺が買った奴隷でさ、絵を描くのが好きで、一人でずっと絵を描いてる。でも、独学じゃ限界があって、いずれは伸び悩むと思う。その子に、絵を教えてやってくれないかな? そうすれば……どうにかして、イルエを助けるよ」

「……それ、本気で言ってるんですか? 私を助ける? はっきり言って、それは非常に面倒くさいことになりますよ?」

「ま、大丈夫だろ。俺には頼りになる仲間もいるし、大々的にそっちの宗教改革を進めようってわけでもない。一人の女性を教会から抜けさせて、あとは生活の面倒見て、孤児院向けにお金を送れるようにすればいいんだろ? なんとかなるだろ」

「こ、言葉にすればそれだけのことなのかもしれませんが……」

「大丈夫だ。なんとかなる。ただし、無償で助けるわけじゃないからな。ちゃんと働いてもらうぞ?」

「え、ええ……それは、いいですけど。でも、そもそも、あなた、お金は持っているんですか? 孤児院には、今は三十人ほどの子供がいます。その面倒を見るためのお金は、相当な金額になりますよ?」

「当てはある。心配すんな」

「そう、ですか……」


 イルエはまだ半信半疑の様子。無理もないな。有名な冒険者ってわけでもないし。避妊具売って大儲けしている、なんてことは、他の町までは広まっていない。


「これ、見たことある?」


 セリーナの店にも置いてある避妊具を、イルエに見せる。


「ラミィですよね? ここ最近、売られるようになりました」

「これ作ってるの、俺なんだ。正確には、俺と相棒のスライム。今めちゃくちゃ売れてて、これからももっと売れるはず。相当な収入になってるから、孤児院の子供達のことも、面倒見られるよ」

「本当、ですか? それが売れていることは知ってますし、相当な儲けになることもわかりますが……本当に、あなたが?」

「本当だって。安心しな」


 まだ疑っているイルエに、薬を持ってきたセリーナが言う。


「ラウルの言っていることは本当です。避妊具はこれからもどんどん普及して、もっと大きな稼ぎになるでしょう。孤児院の三十人くらいなら支えられますよ。……こちら、依頼の薬です」

「あ、ありがとう、ございます……」


 イルエが薬を受け取る。が、まだ救いの手が差し伸べられていることを信じきれない様子。


「とりあえず、それをキューリアに持って行ってやりな。それとも、俺たちもついて行こうか?」

「いえ、大丈夫です。……赤の他人に今の状態を見られたら、キューリアがまた何をしでかすかわかりませんし。とりあえず、これで落ち着いてもらいます」

「うん。あと、そっちの依頼、たぶん俺達が受けることになるはず。そんときは宜しく」

「え? あの馬鹿げた依頼も受けてくださるんですか? 不当に低い報酬で?」

「そうしないと色々と収まりがつかないからな。仕方ないよ」

「……あなたは、もしかして神様の使いか何かですか?」

「違うよ。俺はただの人間。……人間を救うのは、神様じゃなくて同じ人間だよ。俺はそう思ってる」

「……そうですね」


 イルエが泣きそうな顔で笑う。


「……あなたに相談して良かった。あのとき、キューリアとの会話を聞いて、あなたならもしかしてと、思っていました。ありがとうございます。まずは、これを持って行きます。またお会いしましょう」

「うん。またな」


 イルエが名残惜しそうに店を後にして、俺とセリーナが残される。


「……良かったかな。勝手に話を進めちゃったけど」

「仕方ないですよ。ラウルはそういう人ですから。……また一人増えたなぁ、と呆れてはいますが」

「べ、別にそういう雰囲気じゃなかったろ?」

「そういう雰囲気でしたよ。……まぁ、いいです。ここで相手を突き放す人であったら、わたくしはラウルをここまで愛してはいません」

「……どう転んでも、セリーナに寂しい思いはさせないよ」

「本当に、約束ですよ?」

「うん。約束だ」


 そして、どちらともなくキスをする。

 軽く舌を噛まれて痛かったが、文句など言えるわけもない。

 少しでもセリーナの気持ちが晴れるよう、熱いキスを続けた。

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